まぼろしの花湧く花のさかりかな 五千石
第四句集『琥珀』所収。昭和五十八年作。
今回の「花」というテーマではたと気づいた。五千石に「花の句」が少ないのだ。五千石の代表句を多く収める第一句集『田園』には、「花」「桜」の作品は一句も残っていない。第二句集『森林』になって、〈ぽつとりと金星一顆初ざくら〉〈側溝を疾走の水山櫻〉の二句が登場し、第三句集『風景』には、〈土くれに鍬の峰打ち山ざくら〉〈花さびし真言秘密寺の奥〉〈うち泣かむばかりに花のしだれけり〉の三句がある。
第四句集『琥珀』には掲出句を含め、六句が収められ、徐々に「花」の句が多くなっているが、『田園』のゼロ、というのはやはり意外というほかない。
ちなみに『上田五千石全集』(*2)の『田園』補遺には「氷海」の発表作として、以下が残る。
さくら降りとめどなく降り基地殖ゆる 30年6月
午後の懈怠さくら花翳濃くなりて 〃
夜桜に耀りし木椅子の釘ゆるぶ 31年8月
朝ざくら悪夢に慣れて漱ぐ 35年5月
『田園』刊行までの十四年間にして、四句の発表というのはごく少ないと云っていいだろう。この「花」の句の少なさの理由を知るすべはないが、当然名句といわれる作品も多い「花」「桜」の作句を五千石はやや敬遠していたのではないか、というのは深読みし過ぎだろうか。
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著書 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』(*3)の「自作を語る」の中で、掲句について、“伊豆の韮山での作”
とし、“満開の桜に出会ってこの句が生まれた”
と記す。“「花のさかり」を前にすると誰しも絶句してしまうもの”
、“私も「花」のむこうから「花」が「湧」いてくるのを眼前の景にしばし沈黙を強いられた”
と書き、さらに“我慢して「よく見」ていれば何かが発見できる”
、“「まぼろしの花」が見えてきたのはそのお陰”
、“現実の「花」も「湧」きつぎ「まぼろしの花」も「湧」きついで咲き加わっているのが見えた”、“「花のさかり」は虚実の「花」の混交だった”
としている。ここに書かれた通り、花に対峙したとき五千石でさえ絶句し、沈黙を強いられた。「花」を敬遠していたのではないかというものまんざら絵空事ではないかもしれないが、それを越えて詠もうとすれば、残せる作品ができるということだろう。
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「まぼろしの花湧く花のさかり」というのはやや分かりにくようにも感じるが、「まぼろしのような花」をうち出したことにより、現実の「花」との遠近が鮮明になり、いわゆる「花の雲」の情景が読み手に伝わってくる。「かな」止めもよく働いている。
掲句は、五千石の数少ない「花」の句の中での代表句と言っていい。
*1 『琥珀』 平成四年八月二十七日、角川書店刊
*2『上田五千石全集』 富士見書房刊
*3 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』平成21年11月20日 角川グループパブリッシング刊