凍鶴の景をくづさず足替ふる 五千石
第三句集『琥珀』所収(*1)。昭和五十七年作。
凍鶴の凛とした情景を捉えた句。
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凍鶴のいる景色はそれだけで美しい。原野、もしくは雪原。棒のごとくに動かない鶴。
その鶴に対峙してじっと見つめていると、微動だにしないように見えていた鶴が、脚を組み替えた。それはあたかも周りの景色に馴染んでいて、その動作自体が幻だったかのように思える。
掲句はその情景を比喩に頼ることなく、詠み当てている。「凍鶴の景」は、凍鶴が、という意味合いでも読めるが、凍鶴の居る全体の景色を読み手に把握させることにも成功している。
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今回は「風」というテーマだが、実はこの句には「風」ということばは出現していない。
風は目に見えないもの。頬などに風を感じるように、身体で風の存在を認識したり、落葉が吹かれるなどの風が引き起こす現象によって人はそれと理解する。
人は古来からこの風を、神のように敬い、時に悪魔の使者のように恐れもして暮らし、季節ごとに風に名を付け語り継いできた。無風という状態でも実は風は確実に在る。この風、大気の流れが無ければ、人間は生きられないのだから。
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掲句には「風」は吹いていない、と読むのもひとつだが、花鳥諷詠の心持ちでこの句に対するとき、鶴が脚を組み替えたのは、目に見えないが、鶴に吹いた一陣の風のせいだったのではないかとも思えてくる。
*1 『琥珀』 平成四年八月二十七日、角川書店刊