「兄です」と施設の人に言いながら歩行器の母がわれを見送る
九十二の叔父より来たる快気祝叔父の好みの佃煮各種
間引きつつ枇杷の袋を掛けており脚立の上に風に吹かれて
家原文昭歌集『踏水』(ながらみ書房)
『宜春』に続く七冊目の歌集。母の言葉も、叔父からのいただきものも、それはそうあるよりほかにないものとして受け入れられている。そこに淡いユーモアが漂う。
絵馬殿の奉納額の蟹朽ちて板に残れり蟹の輪郭
庭前の斑入り椿の荒獅子に花多ければ花多く落つ
彦島の先に
同じ一連から三首引いた。方眼の升目にきちんと書かれた楷書のような歌だが、
言葉に無駄がなく、近代の子規以来の写生の技の伝統が、ここに生きている。作者は石田比呂志の近くにいた人だ。歌に邪念のかけらもなく、要するに、自然体である。
日当たりの良きところより枯れの入る豌豆畑に豌豆を摘む
年年を畑の隅に生い茂る洋種山牛蒡多年草たり
淡々とした写生の歌だけれども、どこかに命の摂理のようなものを語っているところがある。そうして、ほんの少し、人生の陰影を感じさせるようなところがある。そういう意味を感じるのは、私という読み手の一瞬の気まぐれにすぎないが、植物の生に向き合っているかぎり、人間は無為ではないし、人生も無意味ではないのだということがわかる。
納屋の屋根歩く鴉の音聞こゆトタンに重みかかるその音
こういう歌がおもしろくないと、短歌はおもしろくないだろうと思う。私は美術館に出かけられなくても、旅行に行かれなくても、庭がなくても、この歌があれば不満はない。作者の納屋は、ありありと私の納屋である。