小学生の頃、実家から歩いて15分弱の英会話教室に通っていた。大通りに面していて、「シャーロック」という名の外壁がショッキング・ピンクに塗られたリホーム事務所の二階だった。黒人の、例によって大柄な女性が先生で、生徒はわたしと、いつも同じ私立小学校の制服と、同じ三つ編みと、同じ白山羊のような顔をした双子の女の子の三人だった。彼女たちはわたしよりもずっと年下の帰国子女で、せっかく覚えた英語を忘れないようにと母親にその教室へ通わされていた。それゆえに日常英会話のほとんどが既に難なく話せ、一方わたしは点でだめだったので、毎週その大柄先生に「ミセイは年上なのに上達が遅い」「出来が悪い」と怒られてばかりだった。当然面白くないので、幼いわたしは悪態つきまくりで、英会話はまるで身につかなかったが「もううんざり!」という欧米式ジェスチャーだけは一人前になってしまった。当時まだ9歳か10歳だったにも関わらず、毎週のように自分は手遅れという失望感を常に抱くはめになり、それは人格形成にも少なからず影響してしまった気がする。(と、ひねくれているのを人のせいにしてみる。笑)
しかし、その大嫌いな英会話教室にも一つだけ好きなものがあった。それは「シャーロック」の脇にひっそりとあるコンクリートの狭い階段で、ペンキ塗りの青い手摺が付いていた。階段の途中で右手の細道に入ると英会話教室のドアがあった。わたしは大抵の場合鉛よりも重い足取りで教室へ向かっていたが、雨水を吸ってじっと落ち着いた感じのするその階段を見るとなぜだかいつも胸がどきどきした。そして最悪な一時間が終わり、黄色っぽい電灯の部屋から外へでると、あたりは魔法のように青い夕闇で、階段はいっそう暗く、藍色を刷いたようだった。母が迎えにくるまでの間に、階段を一番上までのぼりきると、大抵ぼんやりした白い月が出ていたような気がする。
思い出せる限りでは、これが階段に思いを寄せた最初の思い出だった。下り階段でもいいのだが、上り階段のほうが多分その先の景色が見えないことにわくわくしている。そこを通る人が少なそうなほど、上り階段はじっと妖しい魅力を放っているように思える。殊に、斜面に建てられた個人宅の間を上っていく白い手摺の階段や、お寺やお墓ののっぺりとした塀の間に、落丁のように現われる階段などを、いいなと思う。
ところで、階段好きは、鉄塔好きと同じくらいかそれ以上には存在しそうなのだが、階段を目の前にすると、何となく上ってはならないような、上ったら取り返しがつかないことになるような気がして身震いしてしまうのは幼い日のわたしだけだったのだろうか。おまけにその身震いは、強いていうならばタナトス衝動のための身震いで、階段を上ることが恐ろしいのではなく、上ると何だか危険だと直感的に思うのに、上ることを実行してしまうであろう自分が恐ろしくて身震いしていた。
当時の思いきりファンタジーな脳みそでは、階段を上りきったあとに世界の違った姿がふいに眼前に現われそうだと感じていた。自分が物語のなかに取りこまれてしまって、今までの生活とは違う時間のなかに繋がってしまいそうな感じがしていた。そんな非日常を、階段を前にすると危険を察知するほど感じていた。
今でも見知らぬ街を歩いて入るとき出くわす上り階段はちょっとどきっとする。時間があれば、やはり何かしらいけないことをしているような気持ちでわくわくして上ってみる。そこを毎日上って生活をする人の、自分の知らない日常だとかが、一歩一歩に染み付いていそうで、それが階段を上がっていると、自分の中に、ふいに流れ込んできそうだなと思う。もしかしたらそこで生活していたかもしれない自分が再生されるかも、などと、今でもひそかに思いながら、寄り道をしてしまうのだった。