読み進める昨日 第7回 藤井貞和
昨日を越えて

水素爆発について、若松丈太郎は書く。「一九七二年にアメリカの原子力委員会は、マークⅠ沸騰水型は格納容器が小さいため、水素がたまって爆発した場合には損傷しやすいので、使用を止めるべきだと警告している。/しかし、こうした警告を無視して、「外的事象」は過酷事故対策の対象にはしないとか、複数の炉が同時に損傷することはないなどと過小に想定して、一九九二年に原子力安全委員会は「日本では過酷事故は起きない」と無責任に断じて、経済性を最優先にして、十全な事故対策を講ずることがなかった」(『福島核災棄民』〈コールサック社、12月〉、81ページ)、と。

 「経済性を最優先にして」「十全な事故対策を講ずることがな」く、再び稼働する時代をこれから続けるのか、どうか。いま、時刻は12月14日の深夜(もう15日の午前1時)、総選挙の前夜ということになる。この総選挙の汚らしさは、原発を政争の道具にして、「何年後に脱原発」と言ってみたり、言わなかったり。そして投票時間が終わった途端、開票まえから、同じ政党のなかで食い違いが始まり、「原発をどうするとお前は言った、言わない」のなすりつけあいとなろう。翌朝に開票が終わってみると、よくもまあ、粗大ゴミ、燃えるゴミ、燃えないゴミの山を当選させたことよ、と有権者たちは呆れるにちがいない。ペットボトルやリサイクル。有権者たちはゴミの分別(ぶんべつ)に励んだに過ぎない、ご苦労さん、と冗談を言いたくもなる、大量の新人議員たちに、国政にふさわしい器量のあるはずがない。いや、それがいけないわけではない。「小さな民主主義」とでもいうべき、これからの在り方が始まると評価できると思えば。そのためには有権者たちが監視し関与して、つねに可視的な位置にかれらを置いておかねばならない。

知らず、いつか再稼働するのが原発ばかりか、国防までが「再稼働」提案されかねない、もぐら叩きみたいなこの国になるようでは、悲惨な「核災」にある福島県民、そして震災地に対して、どの面下げて国会議員だなどと見得を張れるか。「沖縄」が争点から消える今回は、そのまま福島そして被災地を消した、消そうとする総選挙でもある、と見ぬかれる必要がある。

東京はどうしよう。国政と地方行政(東京を含む)とは、対立させるべきところを対立させる。東京直下地震が予想されている現在であり、ハザードを乗り切るための(昔ふうに言えば)「東京市長」を、都民は落ち着いて選出し、千人でも、一万人でもを救助し、避難させる方途を、首長に模索させねばならない。猪瀬直樹にどれだけの経験値が蓄積されているか、そこに賭けることになる。気仙沼市中央公民館に避難した被災の人々を、東京消防庁のヘリコプターによって救出させた、その経験値は高く評価できる。猪瀬にやって貰いたいこととしては、皇居地を東京福島特区(あるいは東京第二十四区)として避難者への住居などの提供を図ること、ついで緊急時の避難箇所として、その皇居地を開放できるようにと、日本国天皇、皇族、宮内庁らと「密約」を交わしておいてほしい。……

と、ここまで書いて、いま総選挙明け、そして都知事選挙の翌日となる。後者について言えば、大量得票を背景に猪瀬のやらねばならないこととして、日本全国が見せつける「福島県外」(あるいは被災地外)という冷たい壁を、東京からぶっ壊す作業が要る。ほんとうは冷たいのでなく、ちょっとしたはずみで壊れやすい壁だと思えるものの、その「はずみ」が見つからない。保守系市長であるはずの翁長雄志(那覇市長)が、基地ゲート前でゼッケンをつけてオスプレイ反対のこぶしを挙げる姿にはちょっと感激してよい。国政から切れた、地方行政の長として、その姿でよいわけであり、まして猪瀬は無所属で支持をあつめたことに徹し、なすべきをなしてほしい。国政にうつつをぬかす大阪府市がこのままではどうなってゆくのだろう、私はいま平安時代後期(1098年)に祖型が作られたという、難波(なにわ)の古地図をひらいているが、葦そよぐ淀川の河口あたりを見やりつつ、そんな水没せる風景にもどるのではないかと心配になる。

有権者たちが、原発の再稼働にけっして一票を投じたわけでなく、ただただ民主党に飽いて自民票(その他)を増やしただけということを、国政担当者は自覚していると思う(朝日新聞の緊急調査では自民の政策に賛成して投票した人はわずかに13パーセント)。総選挙では前回の次点や、次々点候補が当選してくるわけだから、若いひとを中心に、さきのさきを見て投票行動をすべきだということも注意点だ。鳩山が「沖縄」に取り組んだことは評価できるし、菅直人の大震災下での判断には(=幻冬舎新書が出ている)、大災厄(たとえば東日本〈東京を含む〉全体の五千万人避難=日本の壊滅)を(幸運も重なり)直前で免れさせたことには評価を与えてよいけれども、しかし内部被曝、汚染地域の拡大を収束できないばかりか、野田政権に至ってはそれらを収束させたと称し、次期政権(安倍)への橋渡しに汲々とするかのごとくで、一旦ここに民主党は瓦解せざるを得ない。民主党議員は概して三年前の政権担当時期から、鳩山らを除き「沖縄」への無理解が目立ち(辺野古への押しつけが多数派だった)、「3・11」以後では原発稼働推進派から反対派までが同居するしまつで、不勉強な、というほかはない失格議員が多かった。落城まえに嘉田滋賀県知事の党へ落ち延びる難破船の鼠たちというのもみっともない結末だった。出直して、一年生のように勉強し、学習成果を互いに研磨する、初心に返るのみだろう。卒原発というカリキュラム(未来の党)というのは、カリキュラムがどんなにたいへんなことかを知らないようで、卒業どころか予備門にも至らなかった。

 朝日新聞の「人・脈・記―民主主義ここから」は、若松丈太郎への取材から始まる。「日本という国は形の上では民主主義を採り入れながら、実際には主権者の国民を棄民する」と氏は言う。「核災」とは若松の新著『福島核災棄民』(コールサック社)での、福島被災地の自己規定に見られる。つまり、原発は核発電であると、厳密に規定する必要がある、と。去年の『福島原発難民』(2011・5)に続き、この『福島核災棄民』は私なら私の混迷を切り拓く。いま、吉永小百合、アーサー・ビナード、早川敦子、苅谷剛彦、坂本龍一らを人名録に登録できることは幸いだ。福島県外からの真摯なアプローチがそこには見られる(『吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む』、取材・構成早川、集英社新書)。早川は書く(引用の引用をお許し願う)。「もう一人の福島の詩人」の、(和合亮一に次ぐ)「もう一人」とは若松丈太郎のこと。

もう一人の福島の詩人
ちょうどオックスフォードでの朗読会のプログラムの最終校正に取りかかっていたころ、原爆詩英訳の助っ人であり、第五福竜丸の乗組員、久保山愛吉さんの被曝をベン・シャーンの絵と繋げた絵本『ここが家だ――ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)を日本語で上梓した詩人アーサー・ビナードから、長いメールが届いた。/絶妙なユーモアに鋭い刃をしのばせて、核をめぐる日本の危機を告発してきた彼は、オックスフォードでの試みに、自身が英訳したばかりの若松丈太郎の詩を加えてはどうかと提案してくれたのだった。/今回の原発事故が起こるずっと前から、福島で教師をしながらすぐれて哲学的、一方で社会的な詩を発表してきた若松丈太郎は、原子力という名の核の危険に晒される人間の危機的状況を看破していた。それは、日常のなかにじわじわと忍び寄っていたのだ。(早川)

 「みなみ風吹く日」(若松)がオクスフォードで読まれる。

岸づたいに吹く 
南からの風がここちよい 
沖あいに波を待つサーファーたちの頭が見えかくれしている 
福島県原町市北泉海岸 
福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ 
チェルノブイリ事故直後に住民十三万五千人が緊急避難したエリアの内側 
 
たとえば 
一九七八年六月 
福島第一原子力発電所から北へ八キロ 
福島県双葉郡浪江町南棚塩 
舛倉隆さん宅の庭に咲くムラサキツユクサの花びらにピンク色の斑点があらわれたけれど 
原発操業との有意性は認められないとされた 
………     (『北緯37度25分の風とカナリア』〈二〇一〇年〉所収)

私にも何度か引用してきた若松の詩「みなみ風吹く日」だ。『吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む』には、言うまでもなく「神隠しされた街」の引用もある。早川はビナードから原稿を送られ、ことの緊迫性を感じるものの、英国での朗読のプログラムに組み込む時間的余裕がない。吉永さんとも相談の上、別冊で若松らの原詩、英訳を印刷して配ったという。

「ひとのあかし」(2011)はWhat Makes Us.(ビナード訳)と。

ひとのあかし(若松丈太郎) 
ひとは作物を栽培することを覚えた 
ひとは生きものを飼育することを覚えた 
作物の栽培も 
生きものの飼育も 
ひとがひとであることのあかしだ 
 
あるとき以後 
耕作地があるのに作物を栽培できない 
家畜がいるのに飼育できない 
魚がいるのに漁ができない 
ということになったら 
 
ひとはひとであるとは言えない 
のではないか

森川さんに約束している入稿期限が過ぎて、選挙結果とは無関係だろうに、私は数日、〈鬱〉気分に陥る。民主党の言う「二〇三〇年代に脱原発」は、核廃棄物を垂れ流しにしつつ老朽原発を使い続けるというナンセンスさで(菅らを除いてかれらは推進派ないし「どちらとも言えない」派なのだ)、そんなまやかしが許されなかったということだろうが、再稼働へ結びつけかねない政権党に圧勝を与えるという、有権者たちのねじれたその選択は、有権者自身へこれから起きる結果を見せつけて、この国を深いさらなる鬱へと導くだろう。歴史は繰り返す、ただしこれまでになかった新しい方法で。なんだか矛盾した言い方ながら、「あり得ない在り方で歴史は繰り返す」。まもなく石原が影響力をなくして去ったあと、新興党がポピュリズム政党化していった時、一二〇〇万票を投じた多くが、「そんなつもりじゃなかった」と、こそこそしはじめるだろうが、咎める人がいるわけではない。そう思うと、ずっと『鬱』になってもいられないから、『駱駝の瘤』(通信4、2012、秋)を読んですこし立ち直ることにする。福島から発信される,果敢な表現、そして批評の一環を見る。

木村幸雄以下、多く連載である。木村が最初に取り上げるのは『トロイカ』14号(1955・11)で、前年のアメリカ水爆実験、第五福竜丸をふまえ、原子力の平和利用に顧慮しつつも、「だが、現実には、原子力は人間の生理や心理のなかにまで深くわけいって、人間を破壊しているのだ。人間の内部や外部を問わず、刻々と蝕んできている。人間にとってまったく新しい時代――原子力時代のときに、人間の魂の間題を追求する文学はどのような現状にあるのか」(共同討議「新しい出発)という、鋭い問いかけを見る。五〇年前の『トロイカ』を保存していて木村に見せたのは、若き(未来社の)編集者・松本昌次だという。その松本が、8・15からの眼差しに3・11からの眼差しを交錯させて、いまも問い続けていると木村は報告する。

澤正宏は「原発事故と短歌」(二)で東海正史という浪江町在の歌人について、『原発稼働の蔭に』(私は未見,短歌新聞社、2004)から、いくつかの短歌、例えば「原発疎む歌詠み継ぎて三十余年募る恐怖の捨て所無し」を引いて、「一首が端的に語っているように、『三十余年』たってますます募るばかりの恐怖に晒されていた東海正史さんの心中を察すると、この「恐怖」こそが彼の周辺でも死者十数人を確認していた「被曝の実態」の核心にある心的な状態である。前回もみたように稼働する原発への深い悲しみや絶望はこの状態が深化したものと受け止められる」とする。澤さんには別に『福島原発設置反対運動裁判資料』別冊の解説・解題執筆がある。

五十嵐進「農をつづけながら・・・フフシマにて2012」は、前年の「農をつづけながら・・・フクシマにて」(『らん』他に掲載)に続く。昨年度の、福島県内より発信せられた多くの表現者の論述のなかから、私は五十嵐の書いたそれに感じることが大きくて,何度も反芻し引用させていただき,無断で何十部もプリントやコピーにしては若者たちに配布した。氏は今回,『詩歌と戦争』(中野敏男)から、「『震災後』ということを意識するとき,わたしが関東大震災のケースについてとりわけ考えておきたいと思うのは,その震災から戦争へと進む時代の中で生きていた民衆の心情のことです」という一文を引く。注意点は今回もずばり「震災後」という語であり,至当だ。五十嵐には新著(句集)『いいげるせいた』(霧工房,11月)がある。

和合亮一『詩の礫』を「震災ノート」(『ふたたびの春』所収)から読み進める、秋沢陽吉の「コップとマスクと樹皮と」は、県内から発せられる和合研究として貴重だろう。「「震災ノート」における詩の手法は,この歪んでしまった現実に正確に対応しているのかもしれない。静かでさりげない装いの中から,硬質な戦慄の響きが聞こえてくる」、と。

古川日出男『十六年後に泊まる』が論じられる,小田省悟[まいったな ビヨンド]は,古川作品を残念ながら私は未読だ。「そうか……死んだひとたちはどこにも避難不可だぞ。墓地は永続する避難所じゃなかったのか。まいったな」。「まったな」がこの小説では三回、反復される。丁寧に古川作品を読む小田の筆致に引かれる。

磐瀬清雄「「フクシマ」考」もまた,朝日歌壇などの短歌、同・俳壇などの俳句をひき,丁寧に、福島県民が託す表現者の心情を伝え、徐京植『フクシマを歩いて』に深く同意しつつ、多方面にわたり,福島からの報告は,東京辺りで聞き知る総合誌などでの論調より,数倍の重みがある。県内からではないが(毎日歌壇),「真夜ふいに核弾頭が嗚咽する〈存在したくなかった〉と泣く」(春日部市、宮代康志)。原発も本当は存在したくなかった、と磐瀬は結ぶ。

巻末(横組み)は,課題「「大震災の中で」について」。福島県立湯本高校3年生国語科担当の島貫真による,生徒たちへの課題提示,レポートの内容,分析メモ,今後の予定という,実践報告を載せる。「分析の視点について(メモ)」から、項目だけ書き出しておく。

①身体的な恐怖 
②存在論的恐怖 
③「人為の裂け目」を目の当たりにした不条理の恐怖 
④自然に対する「畏れ」と新たな「生」の促し 
⑤第3の水準における「恐怖」の逆立性 
⑥原子力発電所の事故について

新詩集では太田隆夫『有為の奥山今日も越えて』(私家版,9月)を、五十嵐の句集とともに受け取る。

泥遊びの小さき手挙げよ・・・存否           (五十嵐)
盆踊り濡れている人二百人

 ……爆発事故被害の実態は まさに「いろは歌」の第二句にある 「わがよたれぞつねならむ」の様相が 平明な暮らしを一変させた現実として 重く覆いつづけています。詩集の標題を この第二句と傾きかけましたが いろんな事象が錯綜してきて堪えかねるので 私なりに第三句に落着かせ これからも難しいことを 今日も越えていこうと考えました。(あとがき、太田)

タグ: None

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress