初冬に
あなたは
雪に燃えて出発する
完璧なしずけさのなか
ひえこむ都市の心臓部その昏い樹林を
息を呑んで出発する
どんなに華麗な肉愛のなかでも
どんなに悲惨な夜でも
燃える外套につつまれ
孤独な本能に降りしきる雪に燃え
まぶしい顔をあげて出発する
ただ想起せよ
ときにおれたちは
劣悪な家系の鎖をひきずる
きつい目をした犬であり
アジアの辺境にひっそり巣喰う
どぶねずみのようないのちであったりするこ
とを
そこから
ひたすらに出発する
雪の樹林で身ぶるいする夕映えを吸い
肉体の深い淵に向って
最初にして最後の
出発を決意する
今号はイレギュラーで、先になくなった清水昶さんの作品を取り上げたい。私的な話から入るが、二十代の終わりに昶さんの私塾に通っていた。「現代詩手帖」に投稿を始めたのも、昶さんの、「きみねー、これだったらぼくは採るよ」の一言だった。そのころ昶さんは五十歳を少し超えた年齢だったが、酒でかなり体にがたがきていた。しかし、昶さんは1966年、二十代で「現代詩手帖賞」を受賞し颯爽とデビューし、まさに時代の寵児だった。この年には早稲田大学など多くの大学で、学費値上げに対するストライキがあり、68、69年の全共闘党争のさきがけともいえる時代だ。掲出の作品が収録されている、『朝の道』は1971年、三十一歳の時の第四詩集だ。その前年には「万国博覧会」が開かれ、翌年には「浅間山荘事件」が起きる。高度成長の始まりと、全共闘学生運動の衰退の時期だ。昶さんが華々しい活躍をした五年間は、まさに学生運動の時代だった。
掲出の詩もそうだが、初期の昶さんの詩はこのような時代の空気を、深く吸い込んでいる。ここには戦後詩がそのはじめに否定した、湿った抒情の水脈につながる、言葉の動きがある。あるいは、当時の多くの若者を魅了した、「東映ヤクザ映画」にも通じる、悲劇的なヒロイズムの予感といってもいいかもしれない。まず二行目に、「雪に燃えて出発する」という一行が置かれ、明らかに日本的抒情への回帰を感じさせる。その後も「華麗な肉愛」や「燃える外套」などの、言葉が積み重ねられ、「ときにおれたちは」以降の、極めて湿度の高い叙情性に集約する。リズムにしても短く切ることができ、ほぼ四から八の音節に収まるリズムだ。しかし、なぜ昶さんはこのような律をわざわざ詩に引き込んだのだろうか。そのことは、この詩の言葉たちが、匂い立つようなエロスをまとっていることを、感じられれば分かるだろう。政治、国家の言語に対して、情念、エロスの言語を対峙させた時代である。やはり同時代に衝撃的なデビューをした、歌人の福島泰樹さんの、「ここよりは先へゆけないぼくのため左折してゆけ省線電車」という歌を、横において見れば、共通する言葉の質が見えて来るだろう。言葉の意味ではなく、言葉そのものの温度が持つ生なましい質感、とでもいうのだろうか。
とはいえ、時代が変化するとこれらの言葉は、無様な後姿を曝すことにもなりかねない。この作品でも今の目で見ると、その決意に反して、決して潔いとはいえない主体が浮き上がる。出発とはいっても、極めて強く未練を残している。このような言葉の湿度は同時代の他の詩人の言葉と比べても、際立っている。そして、時代が経つほど昶さんの言葉は、無様さが強調されていく。昶さんはその無様さを最後まで貫いた。無様な一人の詩人の肉体を曝し続けることこそが、昶さんの言葉の世界との対峙の仕方だったのではと、今は思える。そのような言葉こそが、まさに詩人の生涯だったのだろう。そして、この詩は引き返すことのできない、その出発といえる。