二十九番 陰毛
左勝
終末の陰毛へ神の震え声 須藤徹
右
行く夏の日はつれなくも陰白髪 糸大八
遺憾ながら尾籠なお題となってしまったが、ここにこの句合せの最大の問題が露呈している。つまり、番を構成する二句を、どこかとどこかから見つけ出す――句合せを成立させるためのこの要件のクリアが、回を追う毎に難しくなりつつあるのだ。いやもちろん、歳時記を利用すれば簡単なのです。しかし、それではつまらないから、句集&俳誌&記憶の海の中でもがいていたところ、この頃なんだか鼻が利かなくなってきた感じがするのである。さらに、番が成立しても、句の質が伴うかどうかはケース・バイ・ケース。二句が二句とも素晴らしい組み合わせも少なくない一方、これでは取り上げられた作者としても不本意であろうなあ、という句を出さざるを得ない場合もないではない。それもこれも、端的な秀句鑑賞ではなく、組み合わせが最優先事項だからで、なかなかに悩ましい。
以上は、あくまでお題に品が無いことの言い訳をしているのであって、必ずしも掲句の出来が悪いわけではない。特に、左句は。出典は、一九八五年から九五年までの作を収めた句集である。この間の最大の事件はもちろんソ連崩壊で、しかし、一部の識者は別にして、そのほんの数年前まで、世の大方の人たちは自分の目が黒いうちに冷戦が終わるなどとは思ってもみなかったはず。少なくとも、高校生の筆者はそのように考えていた。もうすっかり忘れられているような気がするが、とにかく八〇年代の半ばまでは核戦争の恐怖と、それに由来する終末観にはそれなりの実感があったのである。ソ連が崩壊して核戦争の恐怖が後退すると、それを穴埋めするように自ら終末を将来しようとしたのがオウム真理教だった。終末観がそこまで実体化していた人たちがいたというところに、時代精神のひとつの現われがあるのに違いない。もちろん、ソ連崩壊とオウム真理教の時代は、一面、バブル経済の躁状態と経済大国の万能感にとりつかれた時代、そしてヘア・ヌード解禁の時代であった(宮沢りえの『Santa Fe』が出たのが一九九一年)。これだけ申し上げれば、読解の道具立てに不足はあるまい。ここには、「神」という万能感の符牒が登場する上に、文体そのものが万能感に仕える態の押し付けがましいものになっている(よく云えば重厚だ)。その傲慢さには、裏返しに「終末」のペシミズムがはりついており、「陰毛」「震え声」という形で、卑小かつ自己慰撫的な身体性が浸食している。緊密な構成によって描き出されたある時代の日本人の精神の戯画とでも申すべく、不快な秀句であろう。
右句はもちろん芭蕉の
あか/\と日は難面(つれなく)もあきの風
を踏まえている。昼風呂にでも入っている情景だろうか。斎藤茂吉に、
という歌(『ともしび』所収)があるのは意識しているかどうかわからない。茂吉の歌に詠まれたシーンは四十歳そこそこの頃だから、「陰の白毛」に驚いてのふるまいなのであろう。その心理を老いへの恐怖とすれば、右句に詠まれているのは、もっと簡明な老いの嘆き節であろう。残念ながら中七の語句取りが今ひとつ切れ味に欠けており、物足りない。「陰白髪」という素材の珍しさがせめてもの手柄という程度の句だろう。左勝は当然として、これぞまさに先に述べた、作者としても不本意なケースに当たっている。出典は刊行されたばかりの新句集。良い句も少なくないので好みのままにいくつか挙げておく。
冬草に座して白虎を待つ思ひ
ふくろふの煽がれてゐる眠りぎは
口に歯の無きは怖ろし蝉の穴
越えて来し山に灯のつく瓜の花
向日葵のひとまばたきに男老ゆ
季語 左=無季/右=夏果(夏)
作者紹介
- 須藤徹(すどう・とおる)
一九四六年生まれ。「ぶるうまりん」代表、「豈」同人。掲句は、第二句集『幻奏録』(一九九五年 邑書林)所収。
- 糸大八(いと・だいはち)
一九三七年生まれ。「握手」「円錐」同人。掲句は、第三句集『白桃』(二〇一一年 糸大八句集刊行会)所収。