三十二番 観覧車
左
炎天といふさびしさへ観覧車 林誠司
右勝
蜩やどこにも行けぬ観覧車 興梠隆
観覧車は季語ではないが、栗木京子の高名歌、
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
あたりが、この言葉のいわば本意を形作っている、ということはあるかもしれない。「亀鳴く」の季語を藤原為家の歌が規定しているようなものだ。評者にしろ、掲出両句の作者にしろ、相応に汚れちまったおじさんなのであって、これを歌った時の(その時代における)女子大生であったところの栗木のような高揚は、どこをどう逆さにしても出てきはしないはずだが、ずっと緩んだものであっても、ともかく観覧車が彼らの感傷を担保する小道具たり得ているのには、この歌の残響が少なくとも部分的には与っているだろう。などということを考えつつ、彼らと同年輩のとある作者の新刊句集(北川あい沙『風鈴』 角川マガジンズ)を読んでいたら、
長閑なる空に楕円の観覧車
という、これはまた感傷のかけらもないというか、あまりに長閑でとりつくしまのないような句が出てきた。ちなみに右句の出典の句集には別に、
初蝶や海に二つの観覧車
という句もある。しかし、こうして並べると、せめて感傷の風味くらいは付けておかないと、観覧車では句が保たない感じがしなくもない。あとは感傷の形象化の比較になるが、右句の「どこにも行けぬ」は理屈っぽさはあるにせよ、少しく発見を含んだ言い方には違いなく、左句のやや類型的な詠み方は一籌を輸するだろう。右勝ち。
季語 左=炎天(夏)/右=蜩(秋)
作者紹介
- 林誠司(はやし・せいじ)
一九六五年生まれ。角川春樹に師事。第一句集『ブリッジ』(二〇〇一年 遊牧舎)により俳人協会新人賞受賞。掲句は第二句集『退屈王』(二〇一一年 文學の森)所収。
- 興梠隆(こうろき・たかし)
一九六二年生まれ。「鶴」を経て「街」同人。今井聖に師事。掲句は、第一句集『背番号』(二〇一一年 角川書店)所収。