そしてまた生き残ったさ受像機に長く空席待ちのひとびと 中澤 系
作者は、昭和四五年生まれ。「系」は「けい」と読んで男性である。本名は圭佐。一万人に一人という難病にかかり、二〇〇九年に早世した。これは、歌誌「未来」の一九九九年三月号にのっていた作品だから、作ったのは九八年十二月頃だろう。五句に切ってみると、「そしてまた/生き残ったさ/受像機に/長く空席/待ちのひとびと」となって、四句めと五句めにかけて「空席待ち」が、句またがりになっていることがわかる。現代詩ふうに、たとえば三行で表記すると、
そしてまた 生き残ったさ。受像機に
長く空席
待ちのひとびと
となる。久しぶりに歌集をひらいて読みはじめると、作品に漂っている取り残され感は、まるで震災後に世間に広がった「がんばろう」という言葉に乗っかれないでいる孤独な若者のつぶやきのようだ。二首前にこんな歌がある。
ご破産で願いましては積み上げてきたものがすべて計量される日
これは要するに死ということを青年が観念のなかでもてあそんでいる詩である。読み方は、私の場合「ご破産で/願いましては/積み上げて/きたものがすべて/計量される日」というように、字余りの四句めを、だだだだっと早口にして読む。これを「原発事故で住処を追われた人々への賠償額」というような報道を念頭にして読むと、そういった、個人の一切の所有が経済的な事柄に還元されるというような事は、本来あってはならないことなのだという気がして来る。さらに言うなら、宗教的には、一生のすべての罪が一度に計量されるということへの抗議として、作者はこの作品を作ったのではないかという気もする。
消費せよ次なるnを 向こうから来る生活をただに微笑み
展望のない未来までシミュレイトしたくて暗い部屋に灯ともす
絶対に開かぬ角度で噛み切ったソースの袋のようだ 悲しい
二〇〇一年二月号掲載。この三首は連作である。一、二首めは、少し理屈が合い過ぎていておもしろみの乏しい歌だが、私は、いま三首めの歌を書き写しながら、何だか痛ましくて涙がこみあげて来た。中澤の作品は、猛威をふるったネオリベラリズムへの抵抗として読むことができると思う。
噛みしめているよこの血まみれの手でつかんだはずのメロンパンなら
吃水の深さを嘆くまはだかのノア思いつつ渋谷を行けば
この歌集『uta 0001.txt』(二〇〇四年三月雁書館刊)には、こうやって何かを噛み砕く歌が、何首も出て来る。作者が当初構想していた歌集のタイトルは「糖衣(シュガーコート)」であった。本当は苦いはずのものが、何やら甘い糖衣に包まれてすんなりと口に入ってしまうということに、現実が、あたかもそれが当然そうであるかのようにするすると自動的に推移して行ってしまうことに、作者は、作品を通じて徹底的に抗っていた。代表歌となった、〈3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって〉も、そういう思考へのこだわりの果てに出て来たものだ。この歌は、歌集の栞文に穂村弘が取り上げてから、一気に有名になった。
右の歌の「パン」は、苦い現実そのもののことだろう。「吃水の深さを嘆く」というのは、彼が師事していた岡井隆の技法を受け継いでいる句だが、都市を行く自分の内面の屈託をそう表現したのであろう。方舟のノアを思うというのだから、気分が重ったるくて沈没しそうなのだ。渋谷を行きながら不意に水びたしの街のように感じる、というのは、何となくわかる気がする。
「終わりのない日常を生きろ」というような言葉が、当時は巷に響いていた。作者は早大で哲学を専攻した学生だったし、影響されるところもあった。経済的にはロスト・ジェネレーションと言われた世代。流行したポスト・モダン思想の負性をもたっぷりと吸い込んでしまった昭和四十五年前後に生まれた世代の、その気持ちを代弁した歌集として、もっとこの歌集を多くの人に紹介したい。最近文庫本になった穂村弘著『短歌の友人』にも中澤系の作品は引かれている。
版元の雁書館は廃業してすでになく、初版五百部、再版三百部のこの歌集を、私はどこかで再刊してもらえないかと思っている。なお、再版の本は、百二十ページのところにミュージシャンの川本真琴さんへの謝辞が入っている点が、初版とちがっている。これは時々質問を受けるので、書いておく。
執筆者紹介
- さいかち真(さいかち・しん)
1959年3月、東京都内で出生。神奈川で育つ。
本名鈴木篤。厚木高校卒、明治大学文学部日本文学専攻卒。現在高校教諭。
「未来」短歌会編集委員。現代歌人協会会員。短歌研究誌「復刊 美志」編集。
著書、『未来合同歌集ネクサス』、歌集『東林日録』、『裸の日曜日』。
評論集『川口美根子の歌』、『解読現代短歌』(雁書館)、『生まれては死んでゆけ 新世紀短歌入門』(北溟社)。
ブックレット(私家版)『一九九八年の「未来」ニューアトランティス欄と九九年の 「未来」月集欄を読む』、
『中澤系論ほか・さいかち真文集1』。 現在、万来舎ホームページに「近世和歌を読む」を連載中。