丘 水野るり子
ゆうぐれになると
山高帽子をかぶった
きつねたちの行列が
すすきの丘をのぼっていきます
(・・先頭の
お棺のなかは
いわしぐも〜)と
うたう声が遠ざかるころ
ふもとの村で
くりかえし
発熱する
ちいさないもうとがいて
秋ふかく
すすきの穂を分けて いったきり・・
その名も 今は空に消えた
わたしの 素足のいもうとよ
「はしばみ色の目のいもうと」現代企画室 1999年
遥かな地から戻って来て、再び人の姿になったようないもうととは、一体誰なのだろう。あとがきには、「・・・・失った自分自身の分身のようでもあるが、それ以上に、生の深みに見えかくれするこのような存在への憧れである。かって(おんなこども)とひっくるめて名指しされてきたものたちの奥に潜んでいる強いアロマのようなエッセンスでもある。」と書かれている。
水野るり子の詩を読み解くには、ファンタジー世界の通行証を手に入れなければならない。素足のいもうとも、すすきの穂も、そして水野るり子自身もファンタジー世界の住人なのだから。そこでは、きつねたちが山高帽子の正装で、弔いの列を作って丘を登る。夕暮れは死者の国の扉が開く時間だ。
(・・先頭の
お棺のなかは
いわしぐも〜)
行列の最初の棺には、本当に雲が入っているのだろうか。いわしぐもというあだ名のきつねが眠っているのだろうか。あるいは、童謡らしいナンセンスな歌詞にすぎないのか。説明されない不思議がそこにあり、吸い込まれるように、私たちは不思議のなかへ入って行く。
そして、この世界を覆っている切なさ、愛しさの感情に浸される。それは、儚くいとけないものを愛し、それらがいつまでも生き続けられる場所を作った詩人の心に触れる一瞬だ。
世界を創造したのは、聖書によれば神だということになっている。だが、言葉で世界を創ったのは詩人だ。こちらの世界の方が、どう考えても素晴らしく見える。