〜詩人が初めて読む俳句〜
確かに、俳句は日本が世界に誇れる文芸である。私も俳句には深い尊敬の念を抱いているので、「俳コレ」拝読の機会を嬉しく思う。俳句を初めて読む者の限りない齟齬はどうぞお許し下さい。
さて、邑書林の洗練された造本。百点満点以上の心地よさ。機能性にも感心しつつページをめくる。
が、びっくりするようなページがある。俳句の世界では、こういう文字の配列の仕方があるのですね。活字と字間の大きさが同じ。意味にかかわらず、全部均等の字間。ページの大きさに合わせて、上下左右きっちり四角い。初めてなので、読みづらいです。正直に申しますと、生きものであるはずの言葉が、ガラス箱に並べられた蟻の標本に見える。読もうと努力しても、どうしても、どうしても目が嫌がる。
そういう訳でごめんなさい。小野あらた氏、松本てふこ氏、矢口晃氏、南十二国氏、林雅樹氏、齋藤朝比古氏、岡村知昭氏、小林千史氏、阪西敦子氏、津久井健之氏、谷口智行氏、津川絵理子氏の皆様の御作を拝読することができません。よき勉強の機会を逃していると思うが、生理的に無理なのでお許し下さい。南十二国なんて素敵なペンネームだなあ、津川絵理子氏なんて御名前だけで、とても親近感を覚えるのになあ。残念である。
<野口る理「眠くなる」>
巻頭の野口る理氏の御作。この並べ方だと私にも拝読できそうです。ほっとするが、百行もある。つい、スタンザなしの長い詩だなあと思ってしまう。「はじめに」に戻ると、「各作家自撰による二百句から七百句を元に、編集部より依頼した撰者が撰出したもの」とある。なるほど、百句なのですね。眩暈です。しかも元が七百あるらしい。詩を七百篇書かせてごらんなさい。その詩人はまず過労で死ぬ。百篇でも死ぬ。俳人はすごいです。
初雪やリボン逃げ出すかたちして
静かに雪が降っている庭に、一陣の風。雪がリボンのようにくるりと巻いて流れた。乙女が身を翻す時、髪に結んだリボンが流れるように。真っ直ぐ降り続ける単調な仕事が嫌で、ちょっと逃げ出してみたのよ、という雪ではないだろうか。
一瞬をよく捉え、逃げるという発想が見事だと思う。「や」の置き方がいかにも俳句らしい。「初雪は」とか「初雪が」でも素敵な一行になると思うが、俳句の世界ではダメなんでしょうね。
串を離れて焼き鳥の静かなり
二句目である。擬人化された雪の面白いテーマが、これから展開するところだと思っていたので、少し驚く。
焼き鳥は串という職場からはずれた。焼かれることも熱くなることももうない。しかし、この後は食べられて、無になる運命だ。それを悟って静かな諦めの境地に至った。集団を離れた個とは、静かな存在である。沈思し、悟りを開く時間を得ることができるのである。雪も、どうあがいても、所詮は地に落ちて溶けてしまうのだ。と、生の翳りを濃くすることで、この二行は重なりあっているのだろう。でも、初雪のあえかな美しさと焼き鳥のタレは合わないような気が・・・・
襟巻となりて獣のまた集ふ
襟巻になっちゃった。焼き鳥が。
ミンクもセーブルも元は野生である。人間のコートの襟元で、また群れ合っているという切り口が面白い。いわば死体の毛皮を巻いて集まっている人間こそが最も残忍な獣なのである、という風刺も感じられて小気味良い。しかし、前の句との関連がよくわからない。鳥も獣ということなのかしらん。
「ふ」とは旧仮名遣い。俳句らしい趣。新しいものばかりを追いかけている詩人も、少し立ち止まって、伝統的な美を見直すのもよいのでは、と思わされる。
土曜日の海の白さよ冬帽子
更にわからなくなった。土曜日になっている。そして海に来ていて、襟巻はもうしていないらしい。「冬帽子」は「冬の帽子」とは違う特別な帽子なのだろうか。
とにかく、逃げる雪の続きが読みたい。焼き鳥のテーブルをはさんで、人がどんな人生を味わっているか知りたい。襟巻をした女性たちが、友人に意地悪をする時の顔が見たい。詩語には喚起力がある。応えて詩行を構築することで作品は成り立つのに、と、詩作の癖が抜けない。すみません。
虫の音や私も入れて私たち
年配になると、つい無常の境地に達してしまったりして、寂しい虫の作品を書いたりする。が、この句は「私も入れて私たち」。若い女の子らしい表現だ。可愛いくて、微笑んでしまう。髪はつやつや、お肌つるつる、ついでに瞳はウルウルなんだろうなあ、と読み手も幸せな気持になってくる。女の子がつらそうにしていたら、それは不幸な時代である。る理氏の幸福度数がこれからも高いことを祈ります。
御作を拝読してきて、感服しつつ、なおかつよくわからないうちに、ページスペースの都合で結びの句に到った。この句が百句目である。もしかすると、それぞれの句は、隣り合っているだけで、関連はないのかもしれない。でも全体で一つの物語のはずだし・・・・
書道家の作品展に行って、腹を立てたことがあります。なんと、彼らはたった一文字を書いて、値段をつけている。どんな高名な詩人だって、一文字じゃ原稿料は取れない。書道家はどれだけラクしてるんだ、と怒ったわけです。友人たちは笑った。
その時と同じわがままと勘違いを言っているんでしょうね。
いろいろ勉強すると、普通の批評になってしまうかもしれない。でも俳句という宝庫をこれから拝読していきたいと思っている。
俳コレ 週刊俳句編 web shop 邑書林で買う |