戦後俳句を読む (25- 2)赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉

ちびた鐘のまわり跳ねては骨となる魚        『蛇』

 この句はまさしく水辺で詠まれた。但し海辺ではなく湖の畔である。昭和33年12月号(28号)「坂」によれば句会の仲間と琵琶湖の近く、滋賀県大津市にある三井寺(園城寺)に吟行に言った際の句であることが知られ、「ある古寺で」の前書を持つ(但し初出の「坂」では誤植なのか「さびた鐘のまわり跳ねては骨となる魚」となっている)。それにしても吟行でこのような句が出てくるということ自体、筆者には驚きである。

 この俳句を鑑賞するに当たって「鐘」のモデルが何かなどどうでもよいことかもしれない。しかしあの三井寺の、近江八景・三井の晩鐘で知られるあの梵鐘を見て作られたと知っていることは決して無駄ではない。観光ガイド風に書くと、この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造で、平等院、神護寺の鐘と並び日本三名鐘の一つ、となる。三井寺には他に「弁慶の引き摺り鐘」と称するさらに古い時代の鐘(奈良時代の作と伝える)が金堂西方の霊鐘堂に安置されており、ひょっとしたら兜子の詠んだのはこちらかもしれない。というのはこちらの方が弁慶の引きずった時の疵と言われる傷みがあちこちにあって「ちびた鐘」という表現により相応しいとも思われるから。ちなみに三井の晩鐘の方は県指定文化財、弁慶の方は国指定の重文である。

 ともあれ三井寺の大門の東はすぐ湖畔で、境内から琵琶湖を見下ろせる位置にあるから中七以降の発想につながったのだろう。「ちびた鐘」は古くて疵だらけの三井寺の梵鐘、すぐそこまで湖なので琵琶湖の魚たちはみな「まわり跳ねて」いることになる。ここまでは吟行句として辛うじて了解可能。通常の吟行句から大きくかけ離れているのはこの後である。作者は実際に湖畔で、腐ったか食われたかした魚の骨を見たのかもしれない。だがきっかけはどうであれこうやって言葉として定着したものを読むと、例えば水底に沈んだ鐘があってその周囲を踊り跳ねつつ骨と化してゆく魚、という異様な光景を思い浮かべる他はない。イメージを描くことは必ずしも難解ではないが、作者がなぜそのようなものを詠んだのか、詠むことで何を言いたかったのかが分らず不安になる。

 ここからは鑑賞の領域なので一読者として勝手なことを言わせてもらうと、骨になってゆく魚のイメージには原水爆実験の影響があるのではないか。第五福竜丸がビキニ環礁で被爆したのはこの句の制作から4年前の昭和29年5月、翌30年8月には第1回原水爆禁止世界大会が原爆投下から10周年になる広島で開催された。一方で「原子力の平和利用」を掲げて原子力三法が制定されたのは昭和31年、東海村に原子の火が灯されたのは昭和32年8月27日。思えばこの時、日本は原発時代へと大きく舵を切った訳であるが必ずしも国民の中で議論が尽くされたとは言いがたい。そのことが今回の福島での原発事故へと繋がっているのであろう。けれどもそれはここで議論するべきことではない。ただ以前取り上げた頭のない鳥といい、この時代は科学技術の発展が人体や環境に悪影響を及ぼし得るものだとの認識が定着しつつあった時代とも言える。ちなみに手塚治虫が『鉄腕アトム』の前身である『アトム大使』を「少年」に発表したのは昭和26年4月のこと。アトムは原子力で動くロボットという設定で、昭和

27年から連載された物語の中では科学のもたらす光と影とがテーマとして取り上げられることが多かった。

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