日めくり詩歌  自由詩  岡野絵里子(2012/06/11)

畳が一枚   伊藤悠子

「畳一枚焦がしたくらいでなぜ死のうとしたのか」
とその人が言いました
「畳を焦がしたことはありません。私が死のうとしたのは」
と言いたかったのですが
地面に目を落とす横顔を見つめるだけで声になったでしょうか
「でもおばあさんのお葬式にも来てくれたよ」
と母が言いました
祖母の葬式はもう四十年以上前のこと
あの日のどこにその人はいたのでしょう
青空ばかりのあの日のどこに
「写真を撮ってあげる」
と姉が言ってくれました
姉とその人と私は家の裏手に向かいました
「トスカーナの丘みたい」
とトスカーナに行ったことのない姉が言いました
見ると草の生えていない裸の丘がいくつもあり
遠くの丘の頂きのひとところ
黄色の花がしきりにこちらへと咲いていました
たしかエニシダのことをうたった詩人がいました
喘ぎ喘ぎ言葉を継いでいった絶唱
姉がその人と私をカメラに収めてくれたようです
黄色の花も写ったでしょうか
その人は停めてあった大きな車に乗って走り去り
母も姉もいなくなりました
裸の丘のふもとに畳が一枚捨てられてありました
人型に焦げています
足を折り横向きに寝ていた私の焦げ跡
遠い日の焦げ跡
四十年以上もたって私を訪ねてくれた昔のままの
その人に
母に
姉に
少し泣きながらお礼を言って今日を始めました

「ろうそく町」思潮社 2011年

明け方の夢だろうか。追憶の中から死者たちが訪ねて来る。母、姉、40年前に祖母の葬儀に来てくれたきりの「その人」。

3人が差し出すのはいたわりである。死者の優しさが伝わってくるが、過去も今に至るまでの長い時間も、それで埋められるというものではない。それに何だか会話も噛み合わないのだ。「私」にはそのズレがわかるし、もどかしいが、言葉には出さない。おぼろで不思議な奥行きのある空間を皆で歩いている。

その中で、揺るがない現実と思えるのが次の2行だ。

 たしかエニシダのことをうたった詩人がいました
 喘ぎ喘ぎ言葉を継いでいった絶唱

この2行は、死者たちとの交流を完成させるためには不要だったろう。だが、エニシダの花にふと洩れた作者の声を私は愛さずにはいられない。それは詩に愛着する者の、生きるつらさの中を歩きながら彼方に憧れる者の声だからだ。

人型の焦げ跡のある畳が丘のふもとに落ちている。眠った跡が焦げるとは、どれほどの燃えるような思いを抱いていたのだろうか。足を折って横向きに寝ると、ひらがなの「ち」の形になる。血縁にまつわる苦しみだったのだろうか。だが、昔の「私」はそれを誰にも打ち明けず、自身にも知らせることなく、心ごとどこか遠くに置いて来たのである。

焦げた畳を残して、三人は帰って行った。遠くに置いて来たものが、今戻って来て「私」を泣かせる。苦しみと対面した「私」はこれからどのような日々を始めるのか。涙が少しであるのと、お礼を言えるのは「私」の心の強さに思える。きっと光のある日を迎えるのだろう。

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