「唄」 渋沢孝輔
ぼくにお箸をかしてください
この世はいつだって不思議なことばかりです
あなたがぼくにお箸をかしてくださるんだったら
ついでにあなたのかなしみもかしてください
ぼくはいばらのご飯を腹いっぱい
夜明けの霧のようにつめこむでしょう
いとしい銀河の狂気の上でみち足りて
無の食卓に星々のくるしみを
千の柘榴のようにばら撒くでしょう
ぼくにあなたのお箸をかしてください
思潮社現代詩文庫42『渋沢孝輔詩集』(1971)より
たった10行、瞬間的な閃光ほどのエスキースだが、一読して忘れられない。渋沢孝輔の詩は難解だと言われている反面、根強い愛読者も多い。この「唄」と題する、第1詩集『場面』に含まれる小品も、読み解きは至難に思われるが、あくまで個人的な読みとして挑戦してみたい。
「お箸をかりる」ことはかなしみを共有することにつながる。「ついでに」と軽みをつけてあるが、じっさいは詩の核心はここにある。詩人はあなたのかなしみ をじぶんにも背負わせてくれと言っているのである。「無の食卓に星々のくるしみを」ばら撒くことで癒されるかもしれないかなしみ、そのためにぼくはあなた のお箸で「いばらのご飯を腹いっぱいつめ」こんで力を得て、そのかなしみを千個の真っ赤なざくろの実のかたちにして私たちの飢えた食卓上に盛り上げ、分か ち合って食べたい。ひとりのかなしみを万人が分け持つように。
詩誌「オルフェ」の先輩同人だった渋沢さんに最後にお目にかかったのは、 詩「水晶狂い」をテーマにした女性ダンサーの現代舞踊の会で、帰りに品川から新宿へ向かう山手線の車内で、ではまた。とお別れした。まだ風の冷たい 1997年3月のことだった。翌年2月初めに亡くなられた。
ここには、戦争に行かなかった世代の、従軍した兄たちの世代へのいたわりが あるように思える。私も兄を3人持つが、長兄が中学生で、徴兵年齢に達していなかった。だから無事だったのかといえば、その後の長い長い生涯に及ぶ意識上 の敗戦を彼らは苦しんだと私には見える。この詩の行間からあふれ出てくるものはそのことである。
従軍しなかった世代の敗戦と戦後。戦争は勝とうが負けようが国民のすべての世代の精神を途方もない時間にわたって苦しめる。
詩集『場面』は1959年刊だから終戦から14年経っており、戦争に対する言及はない。だが戦争は《言ってもしょうがないこと》として厳然として私たちの 内に存在し続ける。言葉は及ばないと突きつけられて。だから彼らは言わない。それが彼らの唯一の自由意志なのだろう。「アプレゲール」という蔑称が流行し た世相があった。さらに幼い私はいくども「黙れ」と叱られたものだ。彼らの人格、それは沈黙であり、沈黙するからいっそう意識の密度は高まるだろう。