十一番 宇宙
左持
駆け足や宇宙は秋の空の上 越智友亮
右
大部分宇宙暗黒石蕗の花 矢島渚男
近代以前の日本の文藝には、星に対する関心が極めて稀薄であることはよく知られている。歌人も俳人も、ただ月と天の川(七夕伝説)だけを飽きずに作品にしてきたわけで、こと俳句に関しては明治以降もその大勢には変化がなかったように思う。新興俳句時代になってようやくオリオンなどが新しい句材として登場するものの、宮澤賢治の場合のように深い天文知識を踏まえた独自の宇宙観が示されるまでにはいたらなかった。
その事情は戦後になってもあまりかわらないが、多少の変化があったとすれば、長谷川櫂の『俳句の宇宙』が出た一九九三年前後から僅々ここ二十年くらいのことだろう。同書には、〈「自然」から「宇宙」へ。〉との文言も見えており、ともかくこうした言明が抵抗を受けない程度の用意は俳句界にも出来ていたわけだ。その頃から、宮澤賢治とはいかないにしても、ある種の宇宙感覚のようなものを詠もうとした作品を目にすることが出来るようになる。傾向はさまざまながら、夏石番矢、五島高資、正木ゆう子らがそうした句の代表的作者ということになろうか。とりわけ、正木ゆう子の
水の地球すこしはなれて春の月
月のまはり真空にして月見草
いま遠き星の爆発しづり雪
などは、基礎的な天文知識とセンチメンタリズムが巧妙にブレンドされており、さしずめ空想科学小説ならぬ叙情科学俳句。矢島の右句も、これら正木の句と類を同じくする作品であろう。「大部分宇宙暗黒」が俳句的なウィットに富んだ表現である上に、下五にどっしりと置かれた「石蕗の花」もよく利いている。草花も少なくなる晩秋から初冬にかけて、暖地の浜辺などで黄色い花を咲かせるこの花が連想させる、寒さの中の暖かさ明るさというイメージが、「大部分宇宙暗黒」という寒々しい空漠をきちんと受けとめているからだ。ほとんど名句の格を備えていると思うのであるが、にもかかわらず勝としないのは、左句の「駆け足や」の張り手に不意打ちを食らったところに、「宇宙は秋の空の上」の底抜けの能天気が炸裂し、足許をすくわれてしまったためだ。左句の奥行きを欠いた直線的なお馬鹿ぶり(この頃はライト・ヴァースとも言うらしい)が、右句が帯びる感傷性を魅力としてではなく弱点として際立たせてしまった。右句の怒濤の横綱相撲のはずが、思わぬ反撃を受けて引き分け。
季語 左=秋の空(秋)/右=石蕗の花(冬)
作者紹介
- 越智友亮(おち・ゆうすけ)
一九九一年生まれ。中学時代から作句。第三回鬼貫青春俳句大賞受賞。近年は池田澄子に師事。掲句は、『新撰21』(二〇〇九年 邑書林)所収。
- 矢島渚男(やじま・なぎさお)
一九三五年生まれ。石田波郷、加藤楸邨に師事。一九九四年より「梟」を主宰。掲句は、第七句集『延年』(二〇〇二年 富士見書房)所収。