三十九番 信号
左持
書肆を出で赤信号も秋
右
遠くまで青信号の開戦日 鈴木六林男
左右両句の作者はいずれも関西の人で、年齢も近いといえば近く、各人の年譜を見ると「天狼」や「夜盗派」など同じ雑誌の名前がちらほらあらわれる。ただ、年が近いといっても七歳の差はそれなりで、本格的に俳句を始めたのが鈴木は戦前、澁谷は戦後になるし、社会性俳句との距離などは全く違うようだ。掲句は共に、両者の長いキャリアの中では、比較的近年の作に属する。
左句は、赤信号だって電球で灯っているのだからつまりは秋の灯の一種ではないか、という発見が眼目だが、「書肆を出で」によって示唆された本好きの人間ならではの心の弾みも見逃せない。それがあるから、歩みを止めた不愉快な赤信号をさえ、秋の灯のなつかしみを以って見上げてしまうのだ。逆にいえば、そのような心理の流れからして、赤信号を青信号に置き換えることはできないことになる。
右句は、この道はいつか来た道式の、戦中派のやや紋切型化した社会批判の句のようにも読めるが、むしろ回想の句と解すべきなのかもしれない。太平洋戦争直前の時期の重苦しい空気が、真珠湾攻撃の成功によって一挙に晴らされたことは、例えば高村光太郎の戦争詩によって明確に作品化されているし、さまざまな知識人によって回顧されている。「遠くまで青信号」というのは、真っ直ぐな大通りなどでの見晴らしに相違なく、それが“あの日”における、待ち受けるものへの正しい怖れを欠いた晴れがましい気分の喩として、批判的に差し出されていることになろう。ちなみに鈴木は、前年から中国戦線に従軍していたから、真珠湾の一報に対して、日本にいてラジオを聞いていた人たちとは異なる反応をした可能性もある。その辺の事情を記したエッセイなどもあるのかも知れないが、今は参照する準備がない。
片や伝統的かつ基本的な季語、片や現代固有の季語という差にもかかわらず、それぞれの本意を確かに抉って共々すぐれた句と言うべく、持。
季語 左=秋の灯(秋)/右=開戦日(冬 十二月八日)
作者紹介
- 澁谷道(しぶや・みち)
一九二六年生まれ。戦後、「天狼」に投句して本格的に俳句を始める。「夜盗派」他に参加、「海程」同人。一九九六年、「紫薇」創刊。二〇一〇年、現代俳句大賞受賞。掲句は、第九句集『蘡(えび)』(二〇〇八年 角川書店)所収。ただし、引用は『澁谷道俳句集成』(二〇一一年 沖積舎)より。
- 鈴木六林男(すずき・むりお)
一九一九年生まれ、二〇〇四年没。戦前、「京大俳句」「自鳴鐘」に投句。戦後、「太陽系」「夜盗派」「風」等に参加。一九七一年、「花曜」創刊。二〇〇二年、現代俳句大賞受賞。掲句は、第十句集『一九九九年九月』(一九九九年 東京四季出版)所収。