日めくり詩歌 短歌 高木佳子 (2012/01/25)

弾力なき少女と対ふ数時間限られし語彙の中にて語る   富小路禎子

『未明のしらべ』(短歌新聞社・1956年)より。敗戦直前、疎開したさきの長野で母は病没し、戦後、貴族制度の廃止に伴い、子爵だった富小路の家は解体され、残された父と二十代の禎子の二人で極貧の生活を送ることとなる。貴族であった身の上にそぐわない労働の日々は、辛いものであったが、それはいつしか禎子を矜恃を保ったままの堅固で潔癖な女性として成長させていった。

この『未明のしらべ』に序文を記した植松寿樹(「沃野」創刊主宰)は、「富小路家は歌道の家柄だそうだが、はじめて私の見せられた作品には所謂堂上風の詠み口などは影もない。たどたどしく、寧ろとげとげしく、折り線の連続のようなものであった。が、取材にも惜辞にも、どこか常套でないものがあって、それが私の興味を惹いたのである。」と記す。「たどだとしく、寧ろとげとげしく、折り線の連続のようなもの」とはよく富小路の詠風を言い表している。富小路はそうしなければ、すべてを喪った戦後を生きられなかったであろう。自らを鎧うことで、自らを保つ。それが歌にも現れている。『未明のしらべ』が編まれたとき、禎子は三十歳だった。

掲げた一首の前後には、なんらかの苛立ちをもって禎子が待ちあわせをして、用を済ませるという事情が描かれた歌が置かれている。この歌は待ち合わせの内容であろうか。しかし、「弾力なき少女」というのは決して非難めいていない。むしろ、世慣れていない、融通のきかない、潔癖な矜恃と純粋を喪わない、あるいは自らの職にいささかの揺るぎもない少女を「弾力なき」と形容し、禎子は自らをその少女に重ねている。年齢もいくつも違わないであろう。そうした少女と禎子は向き合っている。そして「限られた語彙の中」で、話す。一定の距離感が保たれている。つまり、自らを重ね合わせつつ、だが、心は大きくは開かない、限定された対人の光景が端的に描かれている。

平成14年1月2日に禎子は亡くなった。新年のきりりとした寒さは、富小路禎子の詠風と重なる。今年は亡くなられてちょうど10年となるわけだけれど、死はいつもその人の歌を歌の野から遠ざけてしまう。富小路の歌もいまだ照らされていない部分が多かろうと思われる。

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