九十六番 縄文
左勝
縄文の髯ずるずるとアメリカまで 四ツ谷龍
右
縄文びとに唄はありしか芹を摘む 中嶋鬼谷
筑摩選書から最近出た『100のモノが語る世界の歴史1 文明の誕生』は、大英博物館の館長ニール・マクレガーが、同博物館の所蔵品から精選した百点のモノをよすがに、二百万年の人類史を語りおろしてしまうという、壮大にしていさぎよい趣向の本だ。まだ三冊本のうち一冊目しか見ていないので全容はわからないが、全大陸の可能な限り広範な文明社会・文化集団の産物を網羅しようとしたものらしい。人類の黎明期から文明の曙までを扱う一冊目に、日本からはまず縄文土器が一点登場している。
いつ大英博物館に入ったのだろうか、日本国内にある優品に比べると比較的地味な鉢状の器である。しかし、おおっと思った要素があって、なんとその容器は内側に金箔が貼られているという。縄文時代に金箔の製造法なんてあったんだと一瞬勘違いしそうになったがさにあらず。十八世紀頃の茶人が、水指か何かとして使うのに、金箔を貼らせたのだろうというのが著者の説明で、するとそんな頃から縄文土器のモノとしての面白さに引かれる人はいたことになる。マンガの『へうげもの』では、主人公の古田織部が縄文土器などもヒントにしつつ新たな茶器を生み出してゆくのであるが、あながち荒唐無稽とばかりも言い切れないのかも知れない。
とはいえ、縄文に対する現代人の強い興味関心は茶道における評価を受け継いだものではなく、よく知られているようにキーパーソンは岡本太郎である。それまで考古資料としか扱われていなかった縄文土器を、造形美術として見る視点を岡本が打ち立てたからだ。それから半世紀を経て、縄文土器・土偶が美術品として面白いというのはもはや常識的な感覚となってしまった。一九九〇年代以降、縄文土器から国宝に指定される物件が続いているのも、いわばそうした常識の国家の側からの追認である。遺物の造形としての素晴らしさが周知される一方で、三内丸山遺跡の発掘などのことがあって、縄文文化のイメージそのものが変容、深化をとげていること、これもまた贅言を費やすまでもあるまい。
俳句の世界だと奥坂まやに『縄文』(二〇〇五年 ふらんす堂)という句集があるのだが、ここから句を引かなかったのは、書名にもかかわらず、集中に「縄文」を直接詠んだ句が見当たらないからだ。それではなぜそんなタイトルを付けたかについては、あとがきに記述がある。
初めて縄文土器を目にした時、こころの底からのなつかしさを感じました。俳句に出会ってみると、季語の世界は、まさしく天地交響する縄文の宇宙そのものでした。
この、「こころの底からのなつかしさ」や「天地交響」が、奥坂の作品世界と『縄文』という名づけの間にある要素なのだろう。それはいい。それはいいけど、このあとがきの記述は一般論としてはかなり問題があろう。精密な暦の存在を前提にした「季語の世界」は、あくまで中国文明の導入以後のものでしかありえない。それはどこまでも、暦と文字に雁字搦めになった文化の産物なのだ。逆にいえばもし、「縄文」を創作のモティーフとして前面化させる場合には、暦と文字の世界を捨象といわないまでも相対化するような視角を持ち込むのでなければ、あまり意味がないに違いない。
このような基準からすると右句には感心できないわけである。縄文人も芹くらい食べただろうが、季語としての「芹摘み」のこうした持ち出し方はほとんど愚鈍に似る。「縄文びとに唄はありしか」という問い掛けの正統な好奇心も、結果的に趣味のよくない感傷の色に染まってしまった。対する左句は、「縄文の鼻毛」と題された二十一句からなる連作(群作?)のうちの一句で、「縄文」に対する本気度が高いだけに、右句のような弊は免れている。「縄文」というモティーフの可能性を大いに感じさせてくれる連作だったが、しかしブレークスルーをもたらしたとまでは言えないようだ。句合せはもちろん左勝。
季語 左=無季/右=芹(春)
作者紹介
- 四ツ谷龍(よつや・りゅう)
一九五八年生まれ。「鷹」などで学ぶ。掲句は、「俳句」二〇一二年四月号より。
- 中嶋鬼谷(なかじま・きこく)
一九三九年生まれ。「寒雷」「炎環」「梟」などに所属した。掲句は、句集『雁坂』(一九九五年 蝸牛社)所収。