夕さくら照るや少女のまた暴投
遺句集『過客』(1996年)所収の句。
葦男作品の中で女性を表す語彙は多様だ。第一句集『火づくり』から『機械』『山姿水情』と順に拾ってゆくと、妹(いも)、妻、母、少女、主婦、女、酌婦、老婆、女給仕、女児、老女、幼女、婆、美女、山姥、遊君、女性(にょしょう)など女の一生の諸相が含まれている。(山姥はちょっと違うが・・・)また、パンプス、鮮衣、夏手袋など換喩(メトニミー)で女性を表現したり、睫毛、垂れ髪、黒乳房、くちびるの朱など身体的特徴をもって女性を示唆する作例もある。これらの語彙のうち、『火づくり』の第1章「風の章」に特徴的に見られるのが「妹」という言葉だ。
あの汽車に乗れば妹がり麦そよぐ
桔梗(きちかう)に妹の眸(め)澄めり雨を来て
妹が髪つゆけしいまは別れなむ
妹もいま空見てあらむ頭巾つけ
1944年6月、葦男は網野冨美子と婚約する。その前後の作とおぼしきこれらの「妹」からは、俳句以前に若き葦男がなじんでいた短歌的リリシズムの余響を聞きとることができる。
『万葉集』に頻出する古語を採用したのは、婚約期間の昂揚感を文学的に昇華したいとの
気持ちが働いたためであろうか。葦男ら大正世代の男女にとって自由恋愛はまだ少数派であった。今日の我々からすると物事の順序が転倒して見えるが、婚約のあとから恋愛感情が芽生え、結婚に向けてこれをはぐくんでゆくという流れは、そう珍しくなかったのかもしれない。上記作品は制作年代からいえば「戦後俳句」ではない。が、戦後日本を担った大正世代の男女のありようを示唆する好個の作例である。
背負ふ鉄帽がつと触れ合ひ少女なり
これも『火づくり』「風の章」所収の句。葦男の句集収録作品における「少女」の初出である。戦時下の実景。人ごみの中、恐らくは防空壕か列車のような狭い場所であろう。背負ったヘルメット同士ががつりとぶつかる。反射的に振り返り、「失礼」と言おうとした作者の前にいたのは一人の少女であった。
戦時下の少女は、樹下で読書にいそしんだり、夢見がちに窓の外を眺める存在ではない。バケツリレーや竹槍の操練に汗を流し、麦藁帽の代わりに鉄帽をかぶる少女なのである。
近現代の総力戦にあっては、非戦闘員たる銃後の女性も軍需工場などの生産現場に立ち、それまで男性中心だった職種に進出する。総力戦と女性の社会進出には正の相関性があるのだ。その意味で、1940年代前半は日本女性の集合的ジェンダーが目覚しい変容を遂げた時期に当たる。静から動、柔から剛へと変身する非常時の女性たち。鉄帽を背負った少女はそのような時代相の鮮やかな点描である。
前置きが長くなったが、冒頭の句にもどる。ソフトボールのピッチャーであろうか。満開の夕桜を背景に最悪のタイミングで暴投する少女。しかも1回目ではない。逸れたボールはあらぬ方に転がり、走者は次々とホームインする。守備チームの歎息が聞こえて来そうな場面であるにもかかわらず、読後感はからりと明るい。少女の自由闊達さ、有り余るエネルギーが紙背から照射されているからである。
この句が作られたのは、1989年頃。平成バブルのさなかである。1986年4月の男女雇用機会均等法施行後、狂熱的な好況といういわば経済の総力戦の時代を迎え、空前の売り手市場となった雇用情勢のもと、総合職採用の女性が大挙して企業社会に飛び込んできた。1940年代前半と同様、女性の社会進出が一気に加速した時期である。葦男の句集収録作品において「少女」を詠んだ最後の句となった本作品もまた、いみじくも女性の社会進出の時代の所産であった。