戦後俳句を読む(27-1)齋藤玄の句【テーマ:星または空】/飯田冬眞

癒ゆる日のために見ておく夏大空

昭和53年作。第5句集『雁道』(*1)所収。

〈癒ゆる日のため〉といっているのだから、この作者は病に臥せっていることがわかる。そして、この病人は来るべき〈癒ゆる日のため〉に〈夏大空〉を見ておくと宣言している。来年の夏にはこの空を見ることができるだろうか、いやできないかもしれない。そんな、病人の逡巡が垣間見えてくる。だからこの宣言がかえって、実現不可能かもしれないという病人の心情を読む者に想像させて、哀切な感興を生み出している。

年譜を確認すると齋藤玄は昭和53年の早春に直腸癌を発症。「4月12日手術。7月5日再手術。」とある。まさに掲出句は、来年の夏はないかもしれない状況下で詠まれたことになる。よって〈癒ゆる日のために見ておく〉の言辞が切実であったことが知られる。すでに記したように齋藤玄個人の歴史を知らなくても句意は明らかなのだが、年譜と照合することによってこの句を補完することができるような気にさせてくれるので、あえて引いた。

胎の子のために見ておく寒昴   遠山陽子 『黒鍵』

遠山陽子氏は三橋敏雄の高弟の一人。はじめ藤田湘子、のちに三橋敏雄に師事。敏雄の研究誌「弦」主宰。「面」「雷魚」同人。三橋敏雄と齋藤玄は同時期に「京大俳句」に席をおいた西東三鬼の弟子。よって、遠山氏と齋藤玄は三鬼一門の叔父と姪にあたる関係ということになろうか。

それはともかく、齋藤玄の掲出句と遠山句を比べると、その趣きの違いはあきらかだ。

齋藤玄の〈夏大空〉の句は、過去の記憶と向き合う作者像が屹立しており、死のにおいが揺曳している。その主情に共感しうるか否かは、感覚的な問題であり、作者の実人生に対する有知無知を問わない。だが、作者が癌に侵された身であることを理解したうえで読みかえすと〈夏大空〉には、健康への憧れや開放的な北海道の夏の大空が象徴的に用いられていることがわかり、一句に対する共感は深まってくる。だが、ある意味〈夏大空〉の語にもたれかかった俳句構成であることも確かだ。

一方、遠山作の〈寒昴〉の句からは、〈胎の子〉と自分自身の未来に思いをはせている妊婦の姿が浮かび上がる。母になろうとしている若い女性の緊張感と向日性とでも言うべきひた向きな心情が、澄み切った冬空に輝く〈寒昴〉によって象徴的に表現されている。この句には作者の実人生という補助線はむしろ不要であり、実人生に還元して鑑賞してはかえって情感がそがれるたぐいの句ではないだろうか。妊娠期における女性の普遍的な心情を詩に昇華した作品として評価できる。

いつの日の山とも知れず夏大空   昭和52年作 『雁道』

掲出句に先行する齋藤玄の〈夏大空〉のオリジナルとでもいうべき作である。掲出句〈癒ゆる日のために見ておく夏大空〉と同じく、下五を〈夏大空〉でおさえている構造を持つ。この作品はすでに「風土」の項でとりあげたので、詳述は避けるが、句から立ち上がる印象は掲出句よりも格調が高く、雲泥の差と言わざるを得ない。

〈いつの日の〉の句は、〈夏大空〉の下で感じた、作者の記憶のゆらぎを的確に描写した秀句である。句意としては、眼前の山がいつかどこかで見た山の記憶と重なり、既視感と現実感のはざまで齟齬をきたして混濁してゆくが、夏の大空は変わることなく広がっていたというもの。表現はおおらかだが、内実は、重い情念が渦巻いている。凝視が生み出した幻視が自然界を浸食する一瞬をとらえている点で、この句は作者の実人生を知らずとも、鑑賞に堪えうる強度を持っているのである。

三句を比較してわかったのは、前回と同様に、「あはれ」と「かなし」の違いのようである。つまり、〈夏大空〉や〈寒昴〉という対象と共振しながら自己同一化あるいは客観化するとき詩は現出するが、〈癒ゆる日のため〉の句のように内省化すると俳句は強度を失うということだ。だが、自己の無力感を詠う詩形もこの世に存在してはいる。


*1  第5句集『雁道』 昭和54年永田書房刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載 

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