べこ餅を搗けよ雲つく男たち
昭和55年作。遺句集『無畔』(*1)所収。
雲つくほど大きな男たちが、杵と臼を持ち出して餅を搗き、手の平よりも小さなべこ餅をちまちまと作っている、という情景が何ともおかしい。
北海道で少年時代を過ごした私にとって、端午の節句といえば、「べこ餅」だった。もちろん、「かしわ餅」もあったはずなのだけれど、印象が薄い。
実家の「べこ餅」は、まず、上しん粉に上白糖を混ぜた白色の生地と黒砂糖を混ぜた黒色の生地をつくる。次に、葉っぱの形の木型に白色、黒色の順に生地を詰めて、型押しする。そのあと、木型から生地を取り出したものを重ならないように並べてせいろで蒸せば、できあがり。
ちなみに木型をコンコンたたいて生地を取り出すのが子供のころの私の役目だった。うまく取り出さないと生地が手に張り付いて気持ち悪かったのを覚えている。だが、せいろの蓋をあけて、ふかしたての「べこ餅」をのぞくと、白と黒のツートンカラーの葉っぱが湯気の中から現れる。ことに黒砂糖の部分がつやつやとしていて、とてもきれいだった。
名前の由来については、白黒まだらの牛(べこ)のように見えるところからという。語源については、これ以外にも、その色合いが「鼈甲(べっこう)」のようだからとか、和牛が足を折って臥せている姿に似ているからなど諸説がある。
さらには、白い生地と黒い生地をロールケーキのように巻き込んで、棒状にしたものを金太郎あめのように輪切りにしたものもあるらしい。白と黒が渦巻き状になった「べこ餅」も見覚えのあるものである。
ともかく、「べこ餅」は「子どもの日」前後のおやつとして懐かしい食べ物のひとつだ。
齋藤玄の弟子の近藤潤一によると、この句は昭和55年3月30日のお見舞い句会で見せられたという。その時の会話を紹介しておく。
べこ餅を搗くというのであれば、普通の人間ではつまらない。やはりそこはいかつい男、セレモニー的な男がもっと拡大強化されたものが出現してこなければおもしろくない、と思って、それが『雲つく男』になっちゃった。(*2)
齋藤玄の俳句のつくりかたの一端が垣間見えるエピソードである。と同時に掲載句は作者がいたずら心を起こして朗らかな想像力によって作ったものであることがわかる。玄にはこうしたいたずら心を感じさせる句もいくつか残しており、別の機会に紹介したいが、今見るとどれも成功作とは言い難い。
だが、掲載句は〈雲つく男たち〉の奇想天外さと〈べこ餅を搗けよ〉の「よ」の言いなし方が、〈べこ餅〉のべろっとした感じに似合っているように思えるのである。これが死のひと月ほど前に作られたものであることを知ると、何か痛ましい思いが交錯する。子供のころの郷愁とあいまって、切なくておかしい句という印象がこの句にはある。
*1 遺句集『無畔』 昭和58年刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載
*2 近藤潤一 『玄のいる風景』 1991年 響文社刊