戦後俳句を読む (20 – 2) -「女」を読む-齋藤玄の句/飯田冬眞

母死してえのころ草に劣るなり

昭和23年作。第3句集『玄』(*1)所収。

男にとって最も身近でありながら、もっとも遠い女。それが「母」ではないだろうか。亡くなった母を恋い慕い、長いあごひげが胸元に届くようになるまで泣き喚いていたというスサノオの故事を持ち出すまでもなく、また、亡き母の面影を浮かべる義母と情を交わし、子供まで産ませてしまった光源氏のように「母恋」は日本文学の底流をなす重要なモチーフといえるだろう。

掲句は、そうした亡き母を恋い慕う狂おしいほどの激情を露ほども感じさせない。取り乱すことで精神の安定が保たれることもある。だが、玄はそうした安全弁を安易に用いない。むしろ非情と思えるほど、徹底的に対象を描写してゆく。肉親の死を眼前にしているにもかかわらず、だ。

それは掲句の同時発表句(「壺」昭和23年9・10月号掲載)からも感じ取れる。

母死すとき夏露のごときを目に湛ふ
棺に母ありて蜩森にありき
涼しきか悶絶の母陰隆(たか)し

母親の臨終の姿が克明に描写されており、息を呑む。いまだかつて、悶絶してのけぞる母親の陰が盛り上がるほどたかいことを詠んだ作家がいただろうか?〈涼しきか〉の上五が常軌を逸している。

母を死なする風鈴を吊りにけり
悶絶の母を刺す蚤数あらず
瀕死の母が一息の息暑へ灑(そそ)ぐ
母逝くか否か自問の雲の峰

これは掲句の前号(「壺」昭和23年8月号)に掲載された句の一部で、ここでも母親の死を凝視している玄の姿が認められる。悶絶する母親を眼前にしながら、その体に蚤がたかっていることに誹味を見いだせるものだろうか。だが、ここでも玄はリアリズムを貫き通している。
作品と同時に「KSANA」と題した短文も掲載されており、そのなかで玄は臨終間近の母親への想いとそれを見舞う人たちの欺瞞を書き連ねている。

一夜、私は母を抱え最後の訣別を済ました。私は母の如く、母は子たる私の如く、暗黙の中の恍惚たる数分であった。母の生涯の光芒はこの瞬間に集注したと私は信じた。私は哭するといふことの如何に素直なる心のはたらきであるかを知つた。私の真を知る唯一の魂との訣別を終えて、もう絶対に泣かぬと決めた。

玄にとっての母親とは、自身の魂の真実を知る唯一の存在であったことがわかる。「私は哭するといふことの如何に素直なる心のはたらきであるかを知つた。」の一文に玄の深い悲しみが滲み出ている。その母親との訣別を済ませたあとの玄は、感情に溺れることを自身に禁じたのだ。

だからこその徹底的な描写であったのだ。齋藤玄という作家の死生観を形成するのに多大な影響を与えたのは、この母親との訣別の一夜であったのだろうと推察する。

わが母を見舞ひ、わが母を看とることを人徳の如く考へて振る舞ふ人達を私は憤怒と嫌悪のまなざしで見つめた。糞ヒューマニズムの片鱗は隠してもわかる。当人自ら気がつかなくとも私は見透した。

危篤状態の母の前で、「いい人」を演じて悦に入る人間の欺瞞性を糾弾する玄がここにいる。この欺瞞性に対抗する手段として玄はリアルな母の死を描こうとしたのではないか。

掲句の鑑賞に戻ろう。
〈えのころ草〉はねこじゃらしの名で、ありふれてはいるが、親しみやすい雑草として、秋風にゆれながら道端や空き地に群生する植物である。優しげで頼りなく、どこか滑稽な風姿さえ持つ。そうした〈えのころ草〉と母の死という重く悲しい事件を対比させ、〈劣るなり〉と断定した意図は何であったのだろうか。そこには自己の悲しみを投げ出すことで他者に共感を求める姿勢は微塵も感じられない。

しかし、この断定はある意味、戦後の日本人の死に対する考え方を反映しているととらえることもできるだろう。死んでしまえば、どんなに愛した母親でも眼前にある〈えのころ草〉ほどの価値すらなくなってしまう。それは、死後の救済を売り物にする戦後宗教への批判のようにもみえる。あるいは既存の「死んだらみんな仏様になる」という素朴な死霊観に対する問題提起ととれなくもない。

おそらく、先の短文のように「母を看とることを人徳の如く考へて振る舞ふ人達」に代表される人間の根源的な卑しさを〈劣るなり〉で表現したのだろう。
それが、齋藤玄にとって、「私の真を知る唯一の魂」の持ち主である母という永遠の女性との訣別の辞でもあったのだ。


*1 第3句集『玄』 昭和54年永田書房刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載

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