4人の参加者による幸彦鑑賞7句⑦ /岡村知昭・大橋愛由等・中村安伸・堀本吟

比類なく優しく生きて春の地震なゐ

第七句集『鹿々集』(一九九六・ふらんす堂)生前最後の句集。
初出『悲傷と鎮魂ー阪神大震災を詠む』(1995年・朝日出版社)

岡村知昭
地震に「なゐ」とルビが振ってあるのを見ると、実のところ、あまり大きな地震ではなさそうな印象を受けるのである。だいたい震度三程度までだろうか。春の陽だまり、眠気も襲ってきそうな塩梅のひとときに感じる微かな揺れ。あれは地震だったと気づいた頃には、すでに大地の揺れも収まり、何事もなかったかのように地震の前と変わりのない陽だまりが目の前に広がっている。日常の中に訪れた微かな裂け目は、この小さな地震が大地が「比類なく」抱え持つ測り知れない力の片鱗なのにもかかわらず、どこか「優しく」感じられてならない。それは微かな大地の揺れが自分を「優しく」包み込んでくれたかのような、甘美なひとときだったと気づいたからなのだろう。だから私にとってこの一句は「春の地震(なゐ)」から引き出された言葉によって組み立てられた「比類なく」味わいのある作品なのであって、実際の地震(この一句は阪神淡路大震災のアンソロジーに収められている)を背景にすると、途端に春の地震は「なゐ」ではなく「じしん」として立ち現われてしまい、作者が狙っていた風景とはかけ離れてしまいかねない。攝津自身が第六句集『陸々集』のあとがきで、昭和の終焉を迎えながら「わが俳句形式の固有の回路に素材として乗り切ることなく、言葉は空転を繰り返すばかりであった」と率直に述べていることを、ここで改めて思い起こしておきたい。もう「春の地震」を「はるのない」とは詠めなくなってしまった現実が、この一句の読みをさらに微妙な位置に置いているかのような予感、果たして如何に。

大橋愛由等
攝津幸彦、晩年に属する作品。阪神・淡路大震災を詠った句である。多くの他者の、そして自らの、タナトスと対峙し、包み込もうとする作者の姿勢が〈比類なく優しく生きて〉の詩句に結実したのであろう。そして私もまた、この震災の激震地のただなかで被災した者として、震災からしばらくひとびとが〈優しく生きて〉いたことを覚えている。私もいくつか震災に関する俳句を作ったが、当時はタナトスが隣座する環境のもとで、生き残ったことの確証として、自らの身体(からだ)の領域のみでしか生きていなかった。つまり世界からシニフィアンが消去し、シニフィエの皮膚感覚でしか言葉(表現)との関係性が生まれなかった。こうした言語環境に生きてきた私にとって、この句の〈優しく〉とは、生そのものへの、いとおしみ以外なにものでもないのである。

中村安伸
前書きがあるわけでもないので、作品発表の経緯を知らなければこの句を阪神大震災に結びつけて読む必然性はないのである。震災というフィルターを いったん取り外して読みなおすと、この句の音韻構成の巧みさに注目される。「比類なく」と「春の地震(なゐ)」の音韻的類似性、つまり上五のフ レーズのやや変形したリフレインとして下五があらわれる。また、地震をあらわす古語「なゐ」は「なゐふる」が短縮されたものであり、この「ふる」 の音が変形して「比類」と「春」に隠れているのである。

一方で「比類なく」すなわち比べるものがないという手放しの表現には、攝津作品には珍しい情念の発露がある。このあたりに、大規模な災害に俳句と いうある意味最も不利な手段で立ち向かうことへの戸惑いが垣間見える。ともあれ「優しく生きて」という中七から、災害によって失われた生命の悲劇 へ直結させて読んでしまうとあまりに感傷的であり「比類なく」も、どことなく虚仮威しのように思えてしまって好ましくない。やはりこの「春の地震」は大震災と直接むすびつけずに読むほうが良い気がする。あえて映像化するならば、地震の予兆としての大気のふるえが最初の 一揺れに移行するかしないかの瞬間に暗転し、無音のエンドロールがはじまるというのが良い。

堀本 吟
かつて別の場所に書いた拙文を引用する。

(略)。災害に斃れた人たちを悼む「比類なく」と「優しく」の雰囲気は、一句全体に及ぶ。自然と人間の関係への独得な韜晦。「春の地震(なゐ)」の暴力の勝利よりは必敗者の人生の方が比類なく尊い、と断じられると、奇妙にも彼らは勝ち組として、厳然と「優しく」風景の中に「生きて」くる。ネガとポジの逆転。存在のあやうさと不在のリアリティを、彼はあえて類型的に表現する。彼の作風である定型のステレオタイプな活用や、現実を洒脱にきり抜ける俳諧性を、弱者の表現の武器としている。

掲出句は、社会性俳句が用いてきた、現実社会をダイレクトに撃とうとする表現法ではない、だが、そのような関心を俳句にする一つの方法だとはいえないだろうか。(「俳句界」2011.5月号掲載。特集《夭折の俳人》のうち拙文《攝津幸彦》より)

摂津は類型を実にうまく創造的に使える俳人であった。その意味で例句は重要である。

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