4人の参加者による幸彦鑑賞7句⑥ /岡村知昭・大橋愛由等・中村安伸・堀本吟

露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 『陸々集』

大橋愛由等
〈見立て=AをBとみなす〉の句である。動かぬもの〈=露地裏〉が動体〈=夜汽車〉であると想起する畸の着想が心地良い。私も偶然だが、今年になって似た発想の詩を書いた。街が貨物列車に乗って移動するというものだ。駅前にある書割のような奥行きがない飲み屋街がそっくりそのまま貨物列車の上に乗って夜な夜な彷徨し朝には元の場所に戻ってくるという内容である。そして、攝津はこの句の見立ての観察者として金魚を置いている。すべからく見立てにはオーディエンスが必要なのかもしれない。私の詩でも彷徨う街に、暗渠となっしまった(擬人化された)川が関わっている。日頃、観察者として立ち現れてきそうにない金魚・川が、見立てという仮構されたものを眺めているという構図は、なにかの暗喩として考えることが出来るだろう。

岡村知昭
「露地裏」と「夜汽車」と「金魚」、一歩間違えたらそれぞれの言葉が自分勝手にイメージを読者に押し付け合って、なにもかもをぶち壊しにしかねないところ、水槽の金魚から露地裏に広がる日々の生活感、夜汽車の窓に流れる街のネオンの輝き、という風に言葉それぞれが落ち着くべきところに落ち着き、読み手の心を様々に揺さぶる一句へと仕上がっているというのは、やはり驚くべきことなのである。ここで注意しておきたいのは三つの言葉を扇の要の位置で束ねる役割を負っている動詞「思ふ」。まず一句が金魚が「思ふ」との骨格のもとに成り立たせる形にあることをはっきりさせ、「露地裏」が「夜汽車」であるとの、二物の関係の断絶によって成立する断言は、「思ふ」によって少しだけ勢いを弱くさせられる。こうして金魚の想念にすべては集中し、上五中七の断言から生じるイメージは、読み手を微妙に刺激しながら、新たなイメージを思わせるよう誘導していく。まさに技術の確かさがもたらした秀吟というべきだろう。ここまで書いてようやく気が付いたのだが、一句のはじまりはあくまで「露地裏」で、決して「路地裏」なのではない。選択の過程はともかく、「露」の「ろじうら」でなければこの一句は成り立たなかった、のは間違いなさそうだ。

中村安伸
解釈の上での問題点は「思ふ」の主体が「金魚」なのか、あるいは明示されていない作中主体「私」なのか、つまり中七で切れるのかどうか。中七で切 れて「かな」で止めるのは不恰好なので、主体は「金魚」であるという解釈を採用したいところである。

夜汽車という比喩から、夜遅くまで明かりが煌々と灯るスナックや居酒屋の立ち並ぶ露地裏が想像できる。「私」は、そのなかの一軒の店で酒を飲んで いるのだろう。そしてふとこの露地裏のすべてが夜汽車のようだと思った。カウンターに居並ぶ酔客たちはそれぞれ孤独でありながら、同じひとつの客車に乗り合わせて目的地へ向かっているという一体感が心地良かった。しかし「私」はこのような気障なセリフをそのまま吐き出すことにやや抵抗を感 じた。逡巡した挙句、近くの水槽を泳ぐ金魚にその役割を押し付けてしまったのである。その瞬間世界は歌舞伎の廻り舞台のようにくるりと反転し、夜 汽車の旅を夢見る金魚のファンタジックな冒険物語がはじまった。もちろん上記は無限に可能な鑑賞のひとつのバリエーションにすぎない。つげ義春の漫画「ねじ式」の世界との関連を指摘する人もいるし、金魚を向島 芸者の源氏名である(これは攝津本人が言ったことらしいが)とするのもひとつの楽しみ方であろう。

この句に関しては誰もが何かを言いたくなる。そして多くの美しい、あるいは奇妙な鑑賞が集まり、議論が生じる。攝津幸彦作品のなかでも最も多面的 な話題性に富むこの作品こそ、最高傑作と呼ばれるにふさわしい逸品であり、私の最も愛する作品のひとつである。

堀本 吟
露地の細道を列車に見立て、飲み屋の金魚鉢の金魚に夜汽車の灯りを想う、主体が「金魚」であれ「私」であれ、誰しも心に抱く過去という懐かしい異界へ誘われる。これらのレトロな語彙のイメージを結びつける着想が卓抜。懐かしさと奇抜さな比喩の入り混じった味わいが独特である。構成は「AをBと思ふCかな」は、直喩(換喩か?)法の単純な取り合わせのパターンを用いると誰でも作れるような構成。

三島ゆかり(俳句)公式HP では、「俳句自動生成ロボット三物くん」が〈真夜中を箪笥と思ふ蜻蛉かな〉(三物くん・作)など健闘している。ABCに別人の句の語彙を流し込む。類型を「型」として楽しむ遊び感覚。人工頭脳の世界では名句の概念が変わってくるかもしれない。攝津の句作りの組み合わせ方をさして三橋敏雄は「天狗俳諧」だといった程だが、幼児体験や既視感の深いところで生じるアマルガムの像・・その世界は攝津幸彦ならではの幻景である。

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