風船を手放すここが空の岸 五千石
第四句集『琥珀』所収。昭和五十九年作。
『琥珀』は、昭和五十七年より平成三年まで、四十九歳から五十八歳までの作品三九二句を収録する第四句集。
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掲句、センチメンタルな句である。「風船を手放す」はすでにセンチメンタルで、「ここが空の岸」というロマンティックさをも加えている。五千石は元来センチメンタルな句風であるが、素材の硬質さがバランスを保っている作品が多く、この句のように素材までセンチメンタルな句は珍しいかもしれない。
五千石の代表句である、第一句集『田園』の〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり〉に、目線や離脱感に通ずるものがあるが、掲句の方が現実にとどまっている感が強いように思う。それが斬新さに欠けるという感想にも成り得るところ。
ところで「空の岸」とはどこを指すのだろうか。岸からは岸壁が想像され、その先には海が見えてくる。だがこの句はその先は「空」なのだ。空を主眼に置くと、岸はそこでもよく、まさに「ここ」が岸になるのだろう。ちなみに「風船」には「船」という字が使われていて、それも「岸」「海」を喚起させる一因になっているのかもしれない。
いずれにしても掲句は「空の岸」という表現に加え、「ここが」という限定が有効に働いていて、この辺りが初期作の「渡り鳥」とは違う、言葉は悪いが「てだれ」的なうまさがあると思う。
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この句の作句年、昭和五十九年は五千石五十一歳、主宰誌「畦」が月刊になって八年目、充実期といっていいだろう。「畦」への発表句も当初七句程度だったものが、この時期には倍増している。いわば脂ののった時期、といえるかもしれない。
「空の岸」というようなフレーズは、他にないわけではないと思うが、この詩的表現は一歩抜け出ていると私は思う。
*1 『琥珀』 平成四年八月二十七日、角川書店刊