◆第5回詩歌トライアスロン受賞作
彼 山川創
夜に扉を開けると彼が立っている
少しも寒くなさそうな声で「寒いね」と言う
散歩に連れ出すための手が伸びてきて
それを握る前に彼は眠る
彼が眠れば世界が眠るはずの夜楽器の欠けた交響曲が
透明な扉をノックし続ける夢なら夢のように話せよ
十三階にあるオフィスを出て非常階段で一階に向かう
(・階段は狭い
・階段は高い
・階段は丸い
・階段は怖い)
五階と四階の間に彼が立っている
彼は訊ねる
私が答えたとき
彼は先に立って歩きだしている
彼が階段の最初の一段に足をかけた瞬間
彼の背中を力いっぱい押す
どのような勇気も持たぬ人々がエレベーターで運ばれていく
階段は怖いと口にしたときに浮遊を始めてしまった視線
電車で隣の国へ旅に出る
国境近くの駅に彼が立っている
血が
溢れ始めて
線路を満たし
やがて 彼 と 木々 を すっかり隠してしまう
降りたことのない駅には踏んだことのない地面や階段がある
血を舐めたら笑うと思う いつか観た映画の殺人鬼の歌い方
彼の怯懦が私の怯懦であるように
彼の信仰が私の信仰であるように
彼の泥濘が私の泥濘であるように
彼の絶叫が私の絶叫であるように
届かないわけではなくて遅効性というだけだよすべての祈り
叫ぶことを忘れるほどの叫びならあなたのものであるはずだった
彼が扉を開ける
私は「寒いね」と言う