よい歯並び 井口可奈
雲だと思ったら歯並びだった、みたいなわからないことをきみは言うので、ぼ
くは俳句になってしまう。
歯並びのたしかな人がいて春光
俳句になったぼくを元に戻すことなどしないきみはまだ歯並び歯並びといって
いる。矯正器具が外れたばかりの歯で噛むガムはとてもおいしいのだと聞いて
いる。きみが矯正器具をはずしてから噛んだものといえばシチューの汁だけだ。
きみはいつもシチューの汁ばかり食べている。
春泥やシチュー残してしまう癖
歯の矯正にはお金がかかる。貯金のないきみのかわりにぼくが家賃を払わなく
てはいけない。家賃は大家さんの家に直接持っていくことになっている。しか
しぼくは俳句なので持っていくことができそうにない。困っていたら向こうか
ら短歌がやってきた。
ハープ弾くときの目線のやさしさで付き合ってくださいを断れ
そういえばぼくたちは交際関係にあるのだろうか、はっきりとした約束をした
記憶がないな、などと思っているうちに、きみははずかしそうに短歌を追い払
ってしまった。追い払われた短歌がかわいそうで、ぼくはすこし文句を言いた
くなるけれど、俳句なので、俳句であることしかできない。
冴返るジャムのついてる置手紙
短歌を追い払ってすぐに、きみは手紙を残していなくなってしまった。さっき
の短歌は誰だったのだろうか? 家賃を払うことができないぼくは短歌にお金
を渡すからかわりに払ってほしいと思ったけれど、短歌なら大家さんに支払い
ができるかというとそうでもないだろうという気もしてきた。ぼくは人間に戻
りたい。家賃を支払うことができたらまた俳句になってもいい。
いろいろ考えるべきことはあるが、とにかく、きみの残していった手紙を読ん
でみることにする。
「ごめんなさい、あなたとは付き合えません」何カ国語かで書いておきます
ぼくは我に帰り、家賃を払いにいき、きみを迎えにいくことにする。