第9回詩歌トライアスロン融合部門受賞連載第5回
氾濫/夏の薔薇
早月 くら
紙の花 誰の所為にもしないまま生まれ変わりは千年の比喩
過去に戻りたいか
という話をしていた
あらゆる扉の向こうに春が降っているような日曜日
大気は桜色を帯びて
(それは心象として)
もうしばらくはあかるいはずの窓際に
わたしたちは傾ける
グラスを 或いはいのちを
いまが一番だ
と
あなたが言って
わたしは眩しそうな顔をしただろうか
窓から見える路地に
キャッチボールをしている子供たち
取りこぼされたボールが
転がってゆく
取りこぼされた記憶が転がってゆく
憶えていることのすべては
濾過されて、美化されて
入念に仕舞われているはずなのに
不意に鋭利な痛みがあって
痛みの美化とは
研ぎ澄まされること
それなら、未来へ行きたい
と
わたしは言って
あなたが眩しそうな顔をする
そうじゃないよ、
寿命のちょうど一年前に行って
季節をひとめぐりしてから
終わりにするつもり
きっと
何もかも綺麗に見えるだろう
(それは罪のない錯覚として)
詩も同じ
永遠にうつくしいものを
あなたは想像できる?
その想像さえ
いつか終わりが来るというのに
だから、詩を書くのなら夜更け
暖房のいらなくなった部屋は水底のように静かだ
(おそらく、水底よりずっと)
できるだけ遠くのほうへ差し出した白紙に
声を浮かばせて
夜
しずけさを肺の底から溜めている日陰にも寄せくる花吹雪
れんげ草揺らさぬように渡るときうすく色づくあなたの海馬
スニーカーを洗って風に晒す午後、漂白できることの湿度よ
彼方へと伸びゆく爪を切り離す、三日月、もうすぐ雨季がはじまる
雨を愛する、それは取り柄だ紫陽花の通りにあなたは佇む 長く
しあわせは温度差としてあると云う。空き地の北に群れるどくだみ
向日葵の萼に心を寄せている夏生まれ、その瑠璃色のシャツ
薄明の縁側に座しかわるがわる薄き金魚の尾鰭を透かす
金色の草原に隠されている傍観者のための白い椅子
フィラメント凝ったかたちの電球がやけに暗くて、ためらいは渦
ゆるやかに色づく梢空想と夢の違いを考えている
愛という愛のまぶしい夜でした 犬、すごく首輪を光らせて
雪の日の傘は乾いた音がするつめたいものは離れゆくもの
流氷を見たことがない。別離の、映像(イメージ)だけが脳(なずき)を焦がす
むせるほど信じていた 山肌に季節がつじつまを合わせだす
どうしようもなく声消えてゆく水際にあなたは花を買ってください
それじゃあ過去に戻ることになるよ
と
天使は言うのだけれど
わたしたちはそれを理解することができない
ただ、テーブルのうえにかがやく炭酸の泡が
いつまでもいつまでもはじける音に聞こえている
さようなら、さようなら
みな異なる場所に暮らしているから
ひとり
ひとりと
それぞれの駅に降りてゆく
あなたを見送ったホームの奥に
まだ桜色を忘れられない
やわらかな暗闇
明順応 四月はどこも眩しくて 氾濫 その後(のち)の夏の薔薇