こゑ 松尾祥子
脈じよじよに遅くなり父の呼吸音消えゆくを聴く十四の耳
死は父に一度きりなり呼べどもう答えぬ口のほそくひらきて
宵闇に帰り来ませよバイオリンこの世にしんと父待ちをれば
青桔梗しづかに
嵐の夜網戸に耐へてゐし蟬がほとりと落つる快晴の朝
空と木がふれあふごとし肉体を持ちゐる母と持たざる父と
ゆふぐれの身体ゆらゆらゆれやすく桃の香りにすひよせられる
若き日の父に会うため姉と来し前橋駅にバスを待つなり
だれもだれも亡き父に見ゆ前橋のアーケード街歩み来たれば
肩車の上に跳ねつつ父と見き群馬大橋に花火上がるを
群れなしてねぐらにかへる鴉らは澱のやうなるこゑをこぼせり
作者紹介
- 松尾祥子(まつお・しょうこ)
1959年東京に生まれる。早稲田大学第一文学部心理学科卒業。1985年「コスモス」入会、1992年「棧橋」参加。「コスモス」桐の花賞、評論賞受賞。2000年に『風の馬』(本阿弥書店)、2006年に『茜のランプ』、2012年に『シュプール』(ともに柊書房)出版。2005年よりNHK学園短歌講座専任講師。