舟を押す 八木忠栄
夜明け前 おれは
凍りついたままの水門を背に
丸木舟を押して川をさかのぼる
エイ、コラ、エイ、
ひとりでゆっくり押す
家々はまだ寝息をたてている
舟のなかには冬の風のかたまりが
いくつもころがりこんでいる
それをどこまで届けるのか
おれは何も知らない
知らないまま ひたすら丸木舟を押す
風はときどき激しく咳きこんで白濁する
そのぶきみな美しさ
明るい橋や暗い橋をいくつもくぐる
橋下で水鳥がたわむれる夢の切れはし
どこかの路地で火を吐く犬
地上はけものみちに身をゆだね
今しばらく眠っていてほしい
川のながれは冷たくとがる
いつだって おれは
小ぎれいな希望など信じない
山なみをゆさぶる夜明けだけを信じ
息ととのえて丸木舟を押す
風がまた咳きこむ