『俳コレ』参加俳人のなかで私がもっとも古くから知っていた名前は、実は岡村知昭である。それも、俳人ではなく歌人として。自分が短歌に興味を持ち始めた2000年代半ば頃にウェブ上の企画として「題詠マラソン」が流行していて、岡村知昭はその参加者のうちの一人であった。
わたくしを安心させるためだけに野原に置いてある複葉機(題:安心)
残暑お見舞い申し上げますどろどろの国連軍の戦車が通る(題:連)
混沌の時代というが山茶花の花が咲いたらおしまいですよ(題:混沌)
なんとも不穏で面白い歌を作る人だなという印象だった。その後になって彼の川柳を知り、最後に俳句を知った。そういう経緯をたどっているだけに、おそらくは岡村知昭という人に対する認識が『俳コレ』のたいていの読者とはズレていると思う。彼の俳句の仕事はなんだか意外な気がしていて、新鮮である。
おとうとを白旗にして夏野ゆく
うっとりと風死んでいる幼稚園
淋しくて国民になるバナナかな
ねんねんころりよ朝顔の震えるよ
きなこ餅ボーイソプラノからはじまる
「精舎」百句を読んで、なんだか安心する。短歌と変わらない。相変わらず不穏で怪しい岡村知昭ワールドがそこにはあった。
「題詠マラソン」の初代スターは斉藤斎藤で、二代目はしんくわだった。私だけの話ではなく、「題詠マラソン」を見ていた人たちみんなにとってそうだったのではないかと思う。二人とも他の歌人と明らかに文体が違った。ただものでないオーラをびしびし感じるくらいに、文体に圧倒的な個性があった。
歩行者用押ボタン式信号の青の男の五歩先に月 斉藤斎藤
空を飛ぶペリカンたちと自転車の後ろに乗せたペンギン南へ しんくわ
本当に打ちのめされたなあと思う。自分はこの頃短歌を作っていなかったけれど、仮に作るとしてもここまで屹立した個性を出せる気はまるでしなかった。
そして私にとって岡村知昭も、この二人に匹敵するくらい鮮烈な印象を受けた歌人だったのである。斉藤斎藤やしんくわにはハイレベルな技巧に打ちのめされたけれど、岡村知昭はその世界観が徹底的に完成された地点から歌を繰り出してくるところが衝撃だった。
きりぎりす走れ六波羅蜜寺まで
いのうえの気配なくなり猫の恋
ふくろうの涎なりけり不凍港
桜餅ざんねん散歩してもらう
みどりごの固さの氷菓舐めにけり
怪しくてひたすら謎めいていて。短歌が俳句に変わっても、何も変わらない岡村知昭がここにはいた。斉藤斎藤は短歌でも俳句でも散文でも文体が変わらないから、才能っていうのはこういうことなんだなあと思ったけれど、岡村知昭もやっぱり何を書いても岡村知昭だ。「精舎」を読んでいると、ただの読者だったあの頃に帰れるような気分になる。私にとっての「うたの青春」を象徴する歌人のひとりだった。岡村知昭をそういう存在として捉えているのって、おそらくは自分だけだろうな。
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