超戦後俳句史を読む  序説 ―― 『新撰』世代の時代:③     /筑紫磐井

時代の基準

ここで少し、具体的な作家についても触れることにしよう。『新撰21』に始まった新しいセレクションシリーズは何を行ったのか。新人を輩出しただけでは不満である。その前後の状況も含めて、やはり後になってみなければわからない革命があったのだと思う。歴史は事実の集積ではなくて、それに参画した人の意識の総意であろう。正直、『新撰21』の人選のイメージは、人気作家をそろえようとするインパクト至上主義的な要素と、『新撰21』に先行する芝不器男賞や俳句甲子園という新しい新人発掘システムを拡大しようとする要素の2つがあり、年がたつほど後者の影響が強くなってゆくのではないかと思われる。その意味では、芝不器男賞組の冨田拓也と関悦史、俳句甲子園組の神野紗希、佐藤文香、山口優夢らがまずとりあえず論ぜられるべき一番目の作家たちと言うことになる。

ただ、芝不器男賞と俳句甲子園以外にいい作家がいなかったというわけではない。芝不器男賞と俳句甲子園の視点で見てゆくと結社の中にうずもれていた作家が見えてくると言うことなのである。北大路翼は結社の軸から見てゆくとなかなか評価が得られない作家であったが、芝不器男賞と俳句甲子園から『新撰』の軸が見えてくると俄然、強烈な個性が生まれ出す。北大路翼は、その後の松本てふこや種田スガルに少なからぬ影響を与えた。こうした連鎖が、『新撰』世代では始まっていると言うことである。

 では、芝不器男賞や俳句甲子園という新しい新人発掘システムを拡大しようとする要素がどんな革命を引き起こすと言うのであるか。それは結社がもはや新人を育成する唯一のシステムではないと言うことを認知させたことである。そして結社の新人育成システムが相対化されたことにより、結社の中にいる新人たちさえ、その前の世代の新人たちと結社に対する意識を全く変えさせてしまったと言うことなのである。結社は新人たちの数ある選択肢のたった一つにすぎない。さまざまな可能性が、結社にいる新人たちにも、結社にいない新人たちにも生まれたのである。

 おそらくそれは、かってあった「ルート17」と言うグループと対比することにより明確になるであろう。「ルート17」とは、20代から30代の若手俳人を中心とした俳句ネットワークと言われたが、これは結社を前提として、結社の優等生たちの集まりのような集団であったと記憶している。「ルート17」は雲散霧消している、というよりは、そんな集団があったことを記憶から消して、多くの作家が『俳コレ』に参加しているようである。それは決して悪いことではない。進歩と言うべきであろう。

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執筆者紹介

  • 筑紫磐井(つくし・ばんせい)

1950年、東京生まれ。「豈」発行人。句集に『筑紫磐井集』、評論集に『定型詩学の原理』など。あとのもろもろは省略。

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