俳句時評 第8回 冨田拓也

現在『現代俳句』は再編可能か 冨田拓也

(インタヴュアー) 第2回目の時評です。

T(冨田拓也) この間これまでに刊行された俳句の評論集や鑑賞読本などの資料について割合纏まったかたちで少し調べる機会があったのですが、今回はそこからの思いつきで「俳句の鑑賞読本」について少し考えてみたいと思います。

 俳句の鑑賞読本といえば、やはり山本健吉の『現代俳句』が大変有名ですよね。

T そうですね。まさにこの現在であってもなお俳句鑑賞読本の定番ということになるのでしょう。

 この本が最初に上梓されたのは、昭和26年(1951)であったとのことです(正確には上巻が昭和26年〈1951〉で、下巻が昭和27年〈1952〉)。

T ということは2011年である現在から、およそ60年も前に上梓されたものということになりますね。

 その後、この『現代俳句』は改訂を何度か重ね、60年後の現在に至るまでなお俳句鑑賞読本の傑作として読み継がれているわけですから、やはり驚嘆に値します。

T 『定本 現代俳句』(角川選書 平成10年〈1998〉)の収録俳人の名前を見てみると、正岡子規、夏目漱石、高浜虚子、村上鬼城、渡辺水巴、飯田蛇笏、原石鼎、前田普羅、久保田万太郎、芥川龍之介、室生犀星、富田木歩、鈴木花蓑、杉田久女、日野草城、水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十、富安風生、山口青邨、西島麦南、芝不器男、川端茅舎、松本たかし、金尾梅の門、角川源義、中村汀女、星野立子、橋本多佳子、中村草田男、長谷川素逝、五十崎古郷、篠田悌二郎、高屋窓秋、石橋辰之助、石田波郷、加藤楸邨、秋元不死男、平畑静塔、西東三鬼、石塚友二、永田耕衣、森澄雄、飯田龍太、細見綾子、相馬遷子、角川春樹、の48名ということになります。

 まさしく俳句の歴史におけるスタンダードといった感じですね。

T 何度か改訂をかさね、森澄雄、飯田龍太、細見綾子、相馬遷子、角川春樹あたりは大分後になってからの入集のようです。

 『定本 現代俳句』は、どういうわけなのか最後の角川春樹の部分に矢鱈と頁数を取っています。

T うーん。まあ、いろいろと事情があるのでしょう。

 しかしながら、内容については現在少し読んでみただけでも、やはり文章がなんとも達者というか本当にお上手で感嘆してしまいます。

T そうですね。内容もそうなのですが、それのみならず鏤められた漢語とその硬質な響きが実に美しい。

 しかしながら、意外にもこの『現代俳句』ほどのポピュラリティとその内実を示す俳句の鑑賞読本は現在までさほど多くはないようですね。

T そうですね。俳句の鑑賞読本として割合著名であると思われるのは、大体以下のものくらいかもしれません。

大野林火 『近代俳句の鑑賞と批評』 明治書院 昭和42年(1967)

塚本邦雄 『百句燦燦』 講談社 昭和49年(1974)

飯田龍太の著作関連

大岡信 「折々のうた」 昭和53年~平成19年(1979~2007)

正木ゆう子 『現代秀句』 春秋社 平成14年(2002)

 うーん、やはりあまり多いとはいえそうにないですね。

T あと、他にも鑑賞読本的な資料として挙げられそうなのは、大体以下のものがありそうです。

平畑静塔 『戦後秀句2』 春秋社 昭和38年(1963)

安井浩司 『聲前一句』 端渓社 昭和52年(1977)

永田耕衣 『名句入門』 永田書房 昭和53年(1978)

草間時彦 『俳句十二ヶ月』 角川書店 昭和56年(1981)

夏石番矢 『現代俳句キーワード辞典』 立風書房 平成2年(1990)

阿部誠文 『輝ける俳人たち. 明治編』 平成7年(1995)

阿部誠文 『輝ける俳人たち. 大正編』平成8年(1996)

高橋睦郎 『百人一句』 中公新書 平成11年(1999)

川名大 『現代俳句』上下 ちくま学芸文庫 平成13年(2001)

長谷川櫂(編)『現代俳句の鑑賞101』 新書館 平成13年(2001)

大岡信  『百人一句』 講談社 平成13年(2001)

清水哲男 『増殖する俳句歳時記』 ナナ・コーポレート・コミュニケーション 平成14年(2002)

宇多喜代子 『わたしの名句ノート』富士見書房 平成16年(2004)

松林尚志 『現代秀句』 沖積舎 平成17年(2005)

高柳克弘 『凛然たる青春』 富士見書房 平成19年(2007)

松林尚志 『俳句に憑かれた人たち』 沖積舎 平成22年(2010)

 確かにこれらの資料もなかなか優れた内容を示している部分がありますね。

T おそらく私が見落としているものも少なくないでしょうから、まだ他にも優れた鑑賞読本が多数存在する可能性は少なくなさそうです。

 ここにいま挙げた資料以外にも俳句の鑑賞関係の資料は存在するわけですよね。

T そうですね。その数については非常に多くその全体像までは容易には把握できないのですが、その大半はどうやら現在さほど読まれていないというのが実状のようです。

 思った以上に俳句の鑑賞読本における決定的なものというのは、現在の2011年に至るまで、やはりそれほどの数は存在していないということになるようですね。

T そうですね。鑑賞読本的な資料のみではなく、作家論を含む評論集などの資料も含めればまた多少違ってくるところもあるのかもしれませんが。

 そういえば山本健吉の『現代俳句』自体が、作品鑑賞でありながらも単にその範疇にとどまらずひとつの作家論としての性質を持っているようなところもあります。

T しかしながら、よく考えると『現代俳句』に比肩し得るような鑑賞読本がこれまでに何故さほど登場しなかったのかという事実については、なんというか随分と不思議な思いがしますね。

 確かにそうですね。これまでにも俳句の世界における優れた文章の書き手についてはけっして存在しなかったというわけでもないのでしょうが。

T 俳句の世界における優れた文章の書き手については、山本健吉をはじめ、他にもこれまでには結構な数が存在していたはずでしょうね。

 いくつかそういった名前を眺めてみましょうか。

T 少々雑駁であるかもしれませんが、試みにその名前を挙げると、高浜虚子、荻原井泉水、飯田蛇笏、水原秋櫻子、山口誓子、加藤楸邨、石田波郷、大野林火、神田秀夫、小西甚一、橋間石、安東次男、村山古郷、石川桂郎、三谷昭、秋元不死男、永田耕衣、平畑静塔、楠本憲吉、高柳重信、加藤郁乎、飯田龍太、森澄雄、金子兜太、佐藤鬼房、三橋敏雄、草間時彦、和田悟朗、川名大、上田都史、野見山朱鳥、藤田湘子、飯島晴子、小室善弘、近藤潤一、有馬朗人、上田五千石、矢島渚男、折笠美秋、安井浩司、河原枇杷男、金子晋、斎藤慎爾、宗田安正、村上護、宇多喜代子、平井照敏、復本一郎、酒井佐忠、勝原士郎、高橋睦郎、大串章、坪内稔典、攝津幸彦、澤好摩、鳴戸奈菜、池田澄子、久保純夫、妹尾健、筑紫磐井、仁平勝、江里昭彦、林桂、宮入聖、夏石番矢、須藤徹、長谷川櫂、小林恭二、正木ゆう子、対馬康子、原満三寿、田中裕明、岸本尚殻、中岡毅雄、小川軽舟、中島敏之、水野真由美、志賀康、小林貴子、永末恵子、佐々木六戈、櫂未知子、といったあたりでしょうか。

 他にも優れた文章の書き手は少なくないのでしょうが、これだけをみてもやはりどうやらどの書き手にも評論集などの著作があるものの、『現代俳句』のスタイルを踏襲した作品の鑑賞読本というものはあまり存在しないようですね。

T 確かに2,3の例外を除いては見当たらないようですね。また、そう考えるといまさらながらなんとも残念というか、随分と勿体ないという望蜀の思いがするところがあります。

 もしかしたら一番はじめに山本健吉が『現代俳句』において俳句におけるスタンダードともいうべき枠組みをほぼおさえてしまったために、『現代俳句』以降の他の鑑賞読本が二番煎じのような内容にしかならずそのまま消えて行ってしまったのか、もしくは同じようなスタイルの踏襲を意図的に避けようとした結果、現在までさほど同レベルの鑑賞読本が存在していない、という事情があるのかもしれません。

T その中でも歌人の塚本邦雄の『百句燦燦』などは、少し例外的な内容のものといえるでしょうね。

 そうですね。これは山本健吉の『現代俳句』への一つのアンチテーゼとして著された側面もあったのかもしれません。

T この『百句燦燦』における収録俳人を眺めてみると、石田波郷、下村槐太、西東三鬼、加藤楸邨、齋藤空華、秋元不死男、佐藤鬼房、寺山修司、高柳重信、野澤節子、島津亮、飯田蛇笏、天野莫秋子、金子明彦、鷹羽狩行、森澄雄、松本たかし、若山幸央、小金まさ魚、大峯あきら、中村草田男、鈴木六林男、金子兜太、橋本多佳子、林田紀音夫、赤尾兜子、飴山實、八木三日女、桂信子、楠本憲吉、大野林火、富安風生、小川双々子、平畑静塔、富澤赤黄男、神生彩史、加藤郁乎、藤田湘子、火渡周平、山口誓子、川端茅舎、加倉井秋を、阿波野青畝、八田木枯、堀井春一郎、小宮山遠、三谷昭、日野草城、塚本邦雄、飯田龍太、永田耕衣、能村登四郎、上月章、石川雷児、大原テルカズ、松村蒼石、浅井久子、三橋鷹女、加藤かけい、河原枇杷男、本郷昭雄、飯島晴子、原石鼎、榎本冬一郎、坪内稔典、馬場駿吉、星野石雀、伊丹三樹彦、の68名ということになります。

 やはり少々ありきたりの選出ではありませんね。まず、佐藤鬼房、寺山修司、高柳重信、野澤節子、鈴木六林男、金子兜太、赤尾兜子、桂信子、楠本憲吉、大野林火、富澤赤黄男、加藤郁乎、藤田湘子、三橋鷹女、飯島晴子、などの作者は、山本健吉の『現代俳句』には取り上げられていませんし、島津亮、下村槐太、天野莫秋子、金子明彦、齋藤空華、若山幸央、小金まさ魚、小川双々子、河原枇杷男、神生彩史、八木三日女、小宮山遠、三谷昭、火渡周平、上月章、石川雷児、大原テルカズ、浅井久子、加藤かけい、本郷昭雄、馬場駿吉、堀井春一郎といったあたりの俳人は、現在でも大抵の場合まず取り挙げられることはありません。

T この本のおかげで、俳句というジャンルにおける作品の幅が単一に規定されたものではなく、もっと間口の広い多様性のあるものとして提示されているようなところがあります。

 そういったあたりが、現在でも「講談社文芸文庫」の1冊となって復刊され読み継がれている所以でしょうね。

T やはり優れた内容を持つものは、時を越えて必ず再評価される結果となるようです。

 書き手というのは、こういったレベルを目指さないといけませんね。

T あともう一つこれまでの俳句の歴史における規範的な枠組みを作者名によって規定しようとしたものとして、川名大の『現代俳句』上、下(ちくま学芸文庫 2001)が挙げられそうです。

 先程にも少しふれましたが、意外にこういった俳句の作者名によって俳句の歴史を俯瞰しようとする性質の本は、個人のものとしてはあまり多くはないようです。

T 辞典やアンソロジーなどではそういった全体像を把握しようとする性質のものはいくつか見られますが、大抵の場合が共編ということになります。

 この川名大の『現代俳句』上、下という著作は、一体どういった内容のものなのでしょうか。

T 『現代俳句』の上巻が、高浜虚子、杉田久女、竹下しづの女、阿波野青畝、高野素十、芝不器男、川端茅舎、松本たかし、富安風生、山口青邨、藤後左右、星野立子、中村汀女、京極杞揚、野見山朱鳥、清崎敏郎、波多野爽波、宇佐美魚目、後藤比奈夫、森田峠、岡本眸、稲畑汀子、黒田杏子、辻桃子、尾崎放哉、種田山頭火、栗林一石路、橋本夢道、日野草城、高屋窓秋、石橋辰之助、横山白虹、篠原鳳作、高篤三、内田暮情、西東三鬼、渡辺白泉、富澤赤黄男、安住敦、喜多青子、三橋鷹女、仁智栄坊、細谷源二、井上白文地、三谷昭、三橋敏雄、神生彩史、藤木清子、片山桃史、阿部青鞋、鈴木六林男、佐藤鬼房、下村槐太、永田耕衣、桂信子、高柳重信、楠本憲吉、赤尾兜子、林田紀音夫、金子明彦、加藤郁乎、橋間石、寺田澄史、河原枇杷男、大岡頌司、安井浩司、和田悟朗、中村苑子、折笠美秋、坪内稔典、鳴戸奈菜、池田澄子、の71名ということになります。

 主に「ホトトギス」系と「自由律」、「新興俳句」系の作者ということになりますね、

T 同じ『現代俳句』の下巻には、中村草田男、加藤楸邨、沢木欣一、金子兜太、森澄雄、古沢太穂、飴山實、阿部完市、川崎展宏、石田波郷、草間時彦、矢島渚男、水原秋櫻子、能村登四郎、藤田湘子、福永耕二、飯島晴子、正木浩一、山口誓子、平畑静塔、秋元不死男、橋本多佳子、細見綾子、津田清子、島津亮、八木三日女、鷹羽狩行、上田五千石、清水径子、茨城和生、飯田龍太、石原八束、福田甲子雄、広瀬直人、友岡子郷、大野林火、野澤節子、大串章、大木あまり、攝津幸彦、夏石番矢、林桂、長谷川櫂、金田咲子、鎌倉佐弓、岸本尚毅、中原道夫、久保田万太郎、芥川龍之介、安東次男、木下夕爾、寺山修司、高橋睦郎、真鍋呉夫、の54名となります。

 上下巻をあわせて作者名は合計125名ということになりますね。少しばかり不満もないわけではないのですが、全体的に非常にバランス感覚の優れた選出となっているようです。

T そうですね。合計125名ということで、虚子以降の俳句の世界の全体像がしっかりとおさえられています。

 山本健吉の『現代俳句』の48名以降のスタンダードがここで規定し直されている、ということになりそうです。

T ただ、このように「まんべんなく」ということは大事なのでしょうが、そうなると、その分全体としての印象がやや散漫になってしまうというか、やや求心性というものが削がれてしまうきらいがあるようですね。

 現時点では、このあたりが一応のスタート地点ということになるのかもしれません。

T さて、俳句の鑑賞読本について少しばかり見てきましたが、現代俳句の展開の範囲というのは、大体この山本健吉『現代俳句』、塚本邦雄『百句燦燦』、川名大『現代俳句』上下巻あたりにほぼ集約されているといっていいのかもしれません。

 現在、これらに匹敵するような本が登場すれば面白いでしょうね。

T 確かに現在、優れた文章の書き手は先程に挙げた人々以外にも、ゼロ年代の俳人も含め他に多く存在しますし、高水準の俳句鑑賞読本がこの現在において多数生み出されてもよさそうです。

 一体どうすればそれが可能となりますか?

T 正直そういった質問には単純に答えようがないのですが、やはり、まずは俳句の歴史の全体を俯瞰することからはじまり、そこからどの作者を選ぶかを見極め、その作者における中核をなす重要な作品を選出し、それらの作品に対してどのような語り口を以て文章の構成を行うかといった点についてそれぞれ熟考し、結果としてそれらの各々の関係というものを如何にひとつの普遍性の高みへと布置できるかということに心を砕くしかないのでしょうね。

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