俳句時評 第9回 山田耕司

「世代」論への疑問など。 山田耕司

「・・・・・普通の人間より明らかにすぐれた能力を持つ子どもたちが生まれたら、この社会は、いずれそういう子供たちの世代に乗っ取られる。それは困る。それは怖い。ね? 世間はその可能性の前に後込みしました」

「でも、先生」とわたしは言いました。「それがわたしたちとどう関係するのですか。・・・・・」

『わたしを離さないで』   カズオ・イシグロ 著  土屋正雄 訳 より

季刊俳句誌「鬣/TATEGAMI」第39号(2011/5/20発行)において、中里夏彦の連載がスタートした。中里は「福島県の浜通地区という極めて温暖で長閑な過疎の町、福島第一原発から西10キロ」に在住していた。「いまもなお故郷に近づくことすら許されていない身として只今の心境を綴っておく」との趣旨で始められた連載のタイトルは『避難所から見える風景』。

町の防災無線を通して原発から半径20キロ圏内の住民に対する避難勧告が発令されたのは地震発生の翌12日午前七時頃。私たち家族は着のみ着のままに二台のクルマに分乗。間もなく始まる田圃の春耕のために用意していたガソリンをクルマに補給し、愛犬を詰め込んで家を後にした。クルマのバックミラーには無惨に崩された石垣がうつったかもしれない。こうして終わりの見えない長い避難生活が始まった。

前代未聞の
光量
そそぐ
頭蓋かな 中里夏彦

多行形式の俳句作品。この避難体験を対象にして生まれた句であると思える内容だが、この句を拝見したのは、大地震以前のこと。2011年頭の賀状に記されていた句であった。

つまり、この句の出自は、「新年詠」であり、「挨拶句」。そうした「時点」を知り、かつ、上述の手記と併せて読むにあたり、この句は、「予言」としての側面を獲得する。

「予言はすべて詩である。そして詩人の大部分は予言者だ。しかし予言が詩に過ぎないのに反し、詩は往々にして予言よりもよく当たる」 魯迅 「詩と予言」

仮に、詩表現に「予言」としての側面があるとして、それが成就するためには「ああ、言われていた通りであったなあ」と受け取る読者の存在が必要である。

むしろ、そのように思い当たる読者がいてこそ、作品は遡行的に予言たらしめられるのであるともいえよう。

そして、なおかつ、読者は、「書かれた時」と「言い当てられた時」とが分断されていることを前提としてこそ、「予言」であると認識する。
「書かれた時」から「言い当てられた時」を見通そうとしても見通せない、そんな不透明性が高ければ高いほど、「すごい予言」ということになるようである。

読者とは作者の時間を分節する。
仮に作者が眼前にいても、その作者とは、肉体としては連続していても作品単位でとらえれば分断された時間の集積である、と読者はとらえることができる。裏を返せば、読者の主体は時間的に連続しているということでもある。

一句一句が不連続であり、かつ、その分断の時間をひきずりながら前に進んでいくことを引き受けていくのが「作者」だとしたら、一句一句の時間に意味を付加し、であるからこそ分断される句と句の不連続を、作者という単位のヨコグシにおいて一貫させてみようとするのが「読者」だと仮定することが可能かもしれない。

言葉の表現そのものの構造を対象にする。そうしたヨミと同じ地平に、作品を巡る時間へのまなざしがある。
そのまなざしは、作者と読者との位相を異にしていて、なおかつ面倒なことに、ひとりの作家の内部にこうした「作者」と「読者」とが同居しているのである。

同じ号の「鬣/TATEGAMI」の俳句時評。林桂は「沖縄の薫風――のざらし延男の少年少女」と題して『薫風は吹いたか』(沖縄女学園)を紹介している。のざらし延男が指導した女子矯正施設の年刊句集『薫風』の20年をまとめた一冊だそうだ。

「何を」「どのように」は、簡単に二分することができない問題だが、「どのように」は俳句形式に蓄えられた方法に学ぶところから始めざるを得ないのに対して、「何を」は最後は作者の内部に根を求める問題である。のざらしの方法は、俳句形式と少年少女等の内面を信頼するところから出発したものだと言える。沖縄の少年少女の俳句が長く高いレベルを維持し続けるのは、この方法と無縁ではないだろう。のざらしの少年少女から俳壇に名を成す存在は生まれないかもしれない。しかし、少年少女が獲得した俳句の言葉は、少年少女の中に大切なものとして残るだろう。それを大切にするのが、のざらし達の指導だ。「薫風」は、それを最も端的に示している作品集となっている。

林桂は、沖縄の若者たちが俳句形式との出会いから手にした言語体験へ想いを馳せ、そうした個々への接し方を一貫させてきた指導を評価する。続けて、批評の矛先は現代の「若手」へと向かう。

最近の少年少女俳句は、「松山版俳句甲子園」をはじめとして、俳句をゲーム化して愉しむ傾向が強まってきている。かつ、俳壇はここから人材を得ようとしている。一概にそのことを否定するつもりはないが、既存の俳句知識と文体で「どのように」書くかばかりに専心し、「何を」もゲーム内容の中に解消してしまうような問題意識の「若手」が増え続けるのであれば問題だろう。沖縄の少年少女の俳句が、これらの問題を洗う力を持っていることを改めて思うのだ。

誰のどのような活動を以て<既存の俳句知識と文体で「どのように」書くかばかりに専心し、「何を」もゲーム内容の中に解消してしまう>とするのか、その対象が見えないので批評し難いが、この指摘から判るのは、林桂が「沖縄の少年少女」と「最近の少年少女」を区別していることである。キーワードは「俳壇」。「俳壇」とは、上述の文脈では「俳句を巡る出版およびメディア環境」とでも解釈できようか。「沖縄の少年少女」が作品を書くことで個々の内面の時間に立ちどまることを林桂は「大切なもの」として認めた上で、そうした営みは「俳壇」と距離があると位置付けている。一方、「最近の少年少女」とは、どうも、「俳壇」で活動中の若者たちのことを指すようであり、<既存の俳句知識と文体で「どのように」書くかばかりに専心し、「何を」もゲーム内容の中に解消してしまうような問題意識の「若手」が増え続けるのであれば問題だろう。>という部分における<問題である>とは、少年少女の内面的な成長においてではなく、俳句形式のゆくえを左右しかねない「出版及びメディア環境」における「最近の少年少女」のふるまいが「問題である」ということになるのだろう。

ふむ。ここを区分することで、何が生まれるのであろうか。
「沖縄の少年少女」には作者であろうとすることの経験を獲得することでよしとする一方、「最近の少年少女」たちには「問題意識」の手薄さを指摘するのだが、こうした分け方の向こうに何が見えてくるのだろうか。
仮に、「最近の少年少女」に対する<期待感>がこうしたカタチで表現されているとしても、そのことが誰を揺り動かすというのか。

作家の時間を分節する。そのことは俳句作品のヨミを際立たせようとする場合に読者の中に用意されることでもある。
読者とは、作者の時間を分節化すると同時に一貫性をも見届けようとする存在だとした場合、その「まなざし」を時代に対して振り向けて、論説の根拠となるような差異を見つけ出しては仕切り板を挿し入れ、そこから俯瞰をしてみせるのも、また、読者側の営みなのだろうか。

自分たちの位置を明示できない世代は、他の世代の同伴者となる運命を辿っている。

林 桂  「鬣/TATEGAMI」第34号時評「新選21 ゼロ年代の現在」より

つまり、その仕切り板のひとつとして「世代」。
こうして「われわれ」と「他者」という区分をもちいて論を構築する場合、おそらく、その壁の内外それぞれにおける相対化に論が終始しがちであり、それはそれで議論は盛り上がるものの、ついには差異の壁の条件をめぐる闘争を繰り返すことになるのではないか。
よしんば、「沖縄の少年少女」の俳句が現状を洗う力を持っているとするならば、その延長として、形式の恩寵に出会うのは<個>であるという史観に立つべきなのではないか。「自分たちの位置」という一人称複数形で「世代」を示させることは、むしろ相対化の果てに個が矮小化し、形式を嗣ぐものを望む趣旨に反する結果になりはしないか。

生駒大佑は「世代論ふたたび」と題して、「世代」なる括り方に疑問を投げかけている。

俳句同人誌「円錐」49号(2011/4/30 発行)における澤好摩の時評「主題喪失の時代とは」を引用するところから説き起こす。

好摩氏は「豈」51号の「特集・第二次新人(U-50)論」に対して

「第二次新人」も、それを論じる人々も含めて、現在の俳句状況や俳句観というものを見ていると、昭和の頃には確かにあった視点が、今日では欠落しているような、そんな気がしてならないのである。

と述べる。続いて、好摩氏は「主題喪失」というキーワードに対して

ところで主題とは、表現内容のことよりも、俳句形式を通して何を期待するか、俳句を書くための、その書き手に一貫する方法論に及ぶものであろう。感動やテーマが先にあって、それを俳句を書く場合もあろうが、逆に、惹かれる言葉があって、言葉と言葉の関わりに注視しつつ、書き込んでいって、のちにこれが自らの書きたかったものだったと追認する書き方もあるのだ。これをも「主題喪失」として括るのは、間違いだと言わざるを得ない。

と記す。
そして結びの言葉として好摩氏は

(前略)『新撰21』『超新撰21』をはじめ、若手俳人の登場と、その後の状況を見ていると、総合誌に名エディターの不在が影響してか、誰も交通整理が出来ずに、それぞれが気儘に発言し、作品を書いている。同世代の他人と自分の差異にのみ目を奪われ、実は真に競い立たねばならないはずの先達の作品や俳句認識への配慮に欠けている気がする。それは、誰も過去の作家の作品や評論を読んでいるのだろうが、その中で誰が優れた仕事をし、誰が最もその時代、時代にあって状況を切り開いてきたか、に対する検証が足りない気がする。いつの時代もそういう人が主流だったと言えばそうなのだが、混沌とした時代の雰囲気の中で、過去の検証を行うことで今後のとるべき道を示唆することのできる真のリーダーの登場が望まれる。

と稿を締めくくっている。

この文章は「豈」51号の特集に対して述べられているものなので、結びの言葉が一般論の体をとっていながらその矛先は特集の書き手に対して強く述べられていると読むのは自然だ。ここで「豈」51号の特集を実際に読んでみると、確かに「第二次新人(U-50)論」と銘打っているものの、50歳以下の俳人の作品に対して何か新しい包括的な議論を行うことに成功している書き手は少なく、その世代の作家・作品を触媒とした各論的俳句論、個々の作家及び作品に対する議論・問題提起やこの世代の持つ文化的背景について随筆的に述べた論で占められているように思えた。

もちろんそれらはそれぞれ読み応えがある論であり、特集の目的が包括的な世代論にあったのかも不明ではあるが、僕にはこの特集が世代論の難しさを象徴しているのではないかと感じられた。そして、はたして世代論から好摩氏が述べるような「今後のとるべき道を示唆すること」ができるのだろうかという疑問を持った。

(中略)

「時代論」は言論史の中で絶えず行われてきた行為だと言える。そして、同世代とは同時代を生きた者の集団であるために、世代論を時代論と同一視する(または世代論が時代論に含まれる)ことは当然のように思われているように感じる。

はたしてそうだろうか。

俳句における時代論はふたつあり、それらが混同されて論じられているのではないか。そしてそのことが俳句における世代論の難しさに繋がっているのではないかと僕は考える。そのふたつの時代論とは「俳句史に対する時代論」と「時代に対する時代論」である。

「俳句史に対する時代論」とはその時代にどの俳人が俳壇の中で活躍し、どんな作品を発表してきたかという論であり、好摩氏の言う「誰が最もその時代、時代にあって状況を切り開いてきたか、に対する検証」はここからなされるべきであろう。一方「時代に対する時代論」とはその時代がどんな文化の中にあり、どんな歴史的事実がそこに存在したかという論である。後者は世代論とほぼ同一視できるだろうかもしれないが、前者は決して世代論と交わることがない。なぜなら、世代とはあくまで「生きている」時代を表す言葉であり、俳句史の中でのその作家の立ち位置を定めるものではないからだ。

よって、例えば「俳句におけるフロンティアがその作家たちにとって存在したか」という問いは本来「俳句史に対する時代論」で語られるべきであり、「時代に対する時代論」≒「世代論」で語られるべきではない。

生駒がつつましやかに拒絶しようとしているのは、同時代を生きた人間をひとくくりにすることであると同時に、「世代」という視点の括り出しががあらかじめ有効であるとされている状況そのものである。
それはすなわち、どこかでだれかに整理整頓されることへの抵抗でもあろうし、個としての矜持でもあろう。また、同時に、世代論という言葉によって相対化の連鎖に巻き取られていきかねないことへの防衛であるかもしれない。

とはいえ、それに続いて、俳句における傾向分析の議論の方法を提案しているのには、やはり、相対化の基準を求めていることにはかわらないのであろうか、と思わされてしまった。

以上のように、世代論で俳人を包括する議論を行う困難さの原因を見てきたつもりであるが、次の疑問として浮かぶのが、では世代論に代わる俳句における傾向分析の議論の方法はどのような形をとるのかということだ。正直に言って、僕の現在の力(および考察における時間的な制約)では現代の俳句に対して有益な議論を行う自信はないのが実情である。その代わりといっては難であるが、傾向を見出すことのできる「かもしれない」方法論をいくつか示す。

Ⅰ:俳句形式と出会った契機と時期
俳句形式と出会うのには様々な方法がある。「純粋に俳句作品を読者として読んでいた人間が作品を作り出す」「カルチャーセンターなどで俳句をお稽古事として始める」「自己表現を模索していた人間が俳句形式を選ぶ」「俳句甲子園などにある、ゲーム性・仲間との交流など俳句の付随的な要素に引かれて始める」などなど。

Ⅱ:俳壇に認知された契機と時期
俳壇に認知されるにも様々な方法がある。「五十句競作、角川俳句賞、俳句研究賞などの新人賞を受賞する」「結社内で新人賞、同人となるなどの結社内での認知度が上昇するに従って徐々に俳壇に認知される」「発言力ある選者の目に留まる」「俳論者として注目される」「雑誌・同人誌を創刊する」などなど。

Ⅲ:発表媒体
俳句を読んでもらうにも様々な形式がある。「句集が注目される」「主宰誌を持つ」「同人誌に参加する」「同人として長く発表を続ける」などなど。

Ⅳ:師系
これはむしろ共通性よりも多様性の方を論じられるべきだろう。「海図」において小澤實、小川軽舟と出自を同じくする四ッ谷龍が論じられていないのも、おそらくその多様性を表面化させて論を複雑化させないための意図が軽舟氏(生駒は、小川軽舟著『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』について言及している:山田註)推測される。

以上の「今後のとるべき道を示唆すること」のできる「可能性」を提示して今回の稿を閉じようと思う。

こうした相対化のバリエーションは「話の糸口」以上につながるとも思えないのだが、さりとてこれらが世代論に期待する姿勢とは大きく変わるところがないともいえよう。

世代論を更新する新たな論が出現することを期待すると同時に、自らがそれを考察し、文章化したいという願望をここに記しておく。

その「更新」がいかなるものであるのかは知る由もないが、相対化の基軸を提案することが到着点ではなく、世代論というカタチでしか表現しえなかった「読者」の姿を論じていただければ、と願うものである。

実のところ、林桂が世代という語に託しているのは、澤好摩が述べる「同世代の他人と自分の差異にのみ目を奪われ、実は真に競い立たねばならないはずの先達の作品や俳句認識への配慮に欠けている気がする。それは、誰も過去の作家の作品や評論を読んでいるのだろうが、その中で誰が優れた仕事をし、誰が最もその時代、時代にあって状況を切り開いてきたか、に対する検証が足りない気がする」という現状認識を共有しているからこそ。それは、わかっているつもりである。

であるからこそ、世代を語らせ、自らと形式との関わりを「明示」させるのは、いたずらに相対化をうながし、形式に対峙することを形骸化させることにつながりうるのではないか、と思えるのである。形式の恩寵を身体化するプロセスは、うまく実況中継などできはしない。それは才能や心構えとは別に、<形式に対する畏れ>という自律として、自己と形式の関係をうまく語らせない可能性もある。その沈黙を、尊重し、作品に注目したい。
もちろん<形式に対する畏れ>を抱かぬ作家たちはたくさんいるが、それは今更ながらのこと。
おそらく、そうした状況を突破するのは、自己分析が行き届いた言説もさることながら、個が形式と出会ってしまった驚きや発見を、その形式の豊かさを恃みとして訴える作品そのものなのではないか、と思われる。その点において、林桂の時評における「沖縄の少年少女」への期待の方向に共感する。

そんな思考を巡らしながら、
目の前に二冊。

笹井宏之 歌集 『てんとろり』(2011/01/24 書肆侃侃房)

それから、

たむらちせい 句集 『菫歌』(2011/06/10 蝶 俳句会)

突破力について、すこぶる示唆に富む作品群。

笹井宏之は2009年に27歳にて急逝。
たむらちせいは現在83歳。

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