俳句時評 第27回 外山一機

僕らは懐疑の先に夢を見る

神野紗希・江渡華子・野口る理によるウェブマガジン「スピカ」から、同名の雑誌『スピカ』が創刊された。三人の俳句から始まり、榮猿丸、関悦史、鴇田智哉を交えた座談会と、佐藤文香、日下野由季を交えた座談会の記事、芳賀祥子、阪西敦子、堀本裕樹らによる評論、鈴木真砂女の孫にあたる今田宗男へのインタビュー記事などが並ぶ。ウェブマガジンからの転載を含めると二五名が登場し、今井宗男を除けば平均年齢は二九歳。神野ら三名が中心になる小規模の雑誌ながら、若手と目される書き手が数多く参加しているところにまず注目すべきだろう。思えば近年、ウェブ以外の媒体において若手俳人が自らプロデュースを行いかつ表現していくという活動で、これだけまとまった人数の参加した企画は案外少なかったのではないだろうか。少なくともかつての『未定』や『豈』のような規模で若手俳人が自らを発信していくような動きはいまのところ起こりそうもない気配である。それはたぶん、僕たちのそれぞれが互いの俳句観や俳句への向き合い方をほどよく認めつつ、それ以上踏み込むことを牽制し合っているような、奇妙に微温的なコミュニケーション不全に陥っていることに原因の一つがあるように思う。たとえば僕らは僕ら自身を語るためのどんな言葉を共有しているというのだろう。

しかしこれは今に始まったことではなく、かつての(それこそいまの二十代の俳人がまだ小学生にもなっていない頃の)『未定』や『豈』もまた、自らを語る言葉を発信していこうともがいていたのであった。実際、『未定』において一時期提唱された「戦無派」という呼称ほど悲しいものはなかった。いうまでもなくこれは「戦後派」の向こうを張った用語であったが、しかしながら、自らを語るための言葉が他の世代を語るための言葉に依拠してしまったというのはどういうことなのだろう。結局僕らはもう数十年も明確なテーゼを打ち出せないままやってきたのであって、さらにいえば、それは単に優秀なディレクターが不在であったとか、オーガナイザーが不在であったとか、そういうことに原因をもとめて済ませられるような問題ではないと思う。たしかに『未定』にせよ『豈』にせよ、俳句史を自らの内に構築することで自らを作家として立ち上げていこうとする姿勢は共通していたし、これらの雑誌に集まった俳人たちもまたその志を共有していたように思う。そこにいれば彼らはそこに新たな俳句表現の萌芽をなかば絶望しつつ夢見ることさえ出来たのであった。けれど僕らの現在は、もはや交通整理などできそうもない風土にこそその本質がある。だから、近年の若手俳人の表現行為がかつての『未定』『豈』の俳人から見るといらいらしてしまうほどに無自覚なものに見えてしまうのはいわば当然のなりゆきなのかもしれない。図らずも『豈』で神野は次のように述べている。

ゼロ年代俳人、特に二十代の俳人には、既存のシステムである結社や季語体系に対して、懐疑的な人が多い。かといって、それを拒否するわけでもない。結社に属さないのも確固たるポリシーがあるわけでなく、「入りたくないわけじゃない」と理由を保留する。結社に属する者も、旧来の師弟関係のように、師を唯一無二の絶対的な存在であると捉えているようには思えない。季語に関しても、有季を守るわけでも、無季派を選ぶわけでもない。

世代の傾向に共通しているのは、「既存のものが信じられない」というところから発する、疑いの姿勢だろう。(神野紗希「前衛俳句を疑う」『豈』二〇一一・一〇)

既存のシステムに懐疑的であるということは、既存のシステムに依存しつつ自由であろうとするような、どっちつかずの状態にあるということでもある。換言すれば、自らの懐疑が結局は自らが懐疑の対象としているものへの信頼に結びついているということだ。「ゼロ年代俳人」に作家的堕落が始まるとしたら、それはおそらく、この奇妙な円環に無自覚になった瞬間からだろう。

裏を返せば、この懐疑的態度は、俳句表現に新たな展開を予感させるものでもある。たとえば『スピカ』の創刊号の特集は「男性俳句」だが、その座談会記事「フェミニンな男・ガーリーな女」(榮猿丸・関悦史・鴇田智哉・神野紗希・江渡華子・野口る理)において、「男性俳句」「女性俳句」それぞれの特徴がとりあげられている。しかし「価値観は変わってないんだけど、状況は変わってる」と榮がいうように、俳句表現における「男性らしさ」「女性らしさ」、あるいは俳壇における「男性」「女性」へのまなざしに根本的な変化があったとは考えにくいのが現状だろう。座談会でも「男性らしい」俳句表現の特徴としてとりあげられているのは「漢文調」「論理性」「マッチョな詠みぶり」であり、反対に「女性らしい」俳句表現の特徴としては「自分の感覚だけを詠んでいる」「情念」「肉体性」などを挙げている。このほか榮が「女性俳句」の評言として「ガーリー」を提示しているものの、そのほかはとりたてて目新しいものではなく、むしろ俳句表現における価値観の停滞ぶりに驚かされる。

もっとも、「男性らしい」と評された句は必ずしも男性俳人の句ではなく「女性らしい」と評された句が必ずしも女性俳人の句ではない。たとえば関は「女性らしい句」として京極紀陽の「うつくしく木の芽の如くつつましく」を挙げ、「ものの手ごたえに拘りがなくて、自分の感覚だけを詠んでいる」と述べている。これは、鴇田が「女性俳句」「男性俳句」の区分を読み手側の問題からとらえなおしていることとも繋がっていよう。

鴇田 女性俳句・男性俳句っていったとき、俳句の作り手という立場から見ると、「作家性」の問題があるよね。その句(「裸なり朝の鏡に入れる君」―外山注)も記名がある以上、読者は榮猿丸って名前で読んでるわけだよ。そういう「作家名」「作家性」の問題と、男性俳句・女性俳句ってことはすごくつながってる。

「作家名」や「作家性」と「男性俳句」「女性俳句」とを結び付けて読むこと自体は別段新しいことではない。それどころか、このような操作が日常的に行われていることを前提として戦略的に性的に倒錯した作品が発表されることさえある。ところで、鴇田は「女性俳句」「男性俳句」の例句を上げる際、次のように前置きしている。

鴇田 僕は、そもそも男性俳句・女性俳句っていう分け方自体が、自分の考える俳句と合ってない。その区分けからこぼれ落ちちゃう俳句が相当数あるので。いわゆる男性・女性の分け方はやめよう、と思いました。で、より広く男性性・女性性ということに注目して選びました。一人の作者の中にもその両面があるはずだということで。

こう前置きした後で「はつなつといふもの薄く目をひらく」「口閉じてアントニオ猪木盆梅へ」(関悦史)、「ゆふざくらみんながとほりすぎてゆく」「あをぞらは大いなる問ゑのこ草」(奥坂まや)、「枯るる中ことりと積木完成す」「くろあげは時計は時のままに」(高柳克弘)を挙げる(各作者の句のうち、前者が「女性性」、後者が「男性性」の句の例)。これらは戦略的に「男性性」・「女性性」を戦略的に倒錯させつつ詠んだ句というわけではなく、鴇田の言うように、本来的に作者の持っていた両面が発現したものであろう。僕らはこうした句を違和感なく受けとめ、楽しむことさえできる。それはいわば、いまや「女性らしさ」も「男性らしさ」も自らの表現や読みを充足させるための方法論になりつつあるということだ。そしてこれを可能にしているのは、「男性らしい」俳句表現というと「漢文調」を想起し「女性らしい」俳句表現というと「情念」を想起して恥じない僕らの揺るぎない価値観なのである。

この価値観はそう簡単に変わるものではないだろう。ならば、僕らはむしろそれに依存しつつ自由であろうとするべきではないだろうか。「男性らしさ」/「女性らしさ」の二項対立の反転を試みる作業はもう飽きるほど見てきたし、そんな作業は結局この二項対立の図式に飲み込まれてしまうのだ。だから、僕らは「男性らしさ」「女性らしさ」という評言が図々しくも、憎々しくも、悲しくも、そして愛おしくも僕らの前にすでにあって、おそらくこれからもあり続けるのだということを認めるところから出立しなければならない。そして、この奇妙に愛憎の入り混じったこの言葉に依存しつつ自由であろうとすること―すなわち「懐疑的」であろうとすることの先にこそ、この二項対立をますます強固なものにしつつその実骨抜きにしてしまうような、新たな展開をかろうじて予感することはできないだろうか。

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