俳句時評 第34回 松本てふこ

年末だから、年末だけど

2011年が終わろうとしている。
この俳句時評でも他の評者によって幾度となく震災と俳句との関係が語られた。
たぶん私だけが、語っていない。理由は単純だ。3月11日も、結局私は被災者ではなく労働者でしかなかったからだ。そしてその事実を、まだ自分自身が受け入れきっていないからだ。

震災の起きた瞬間は仕事の校了期まっただ中で、弁当を食べながら出校物をチェックしていた。とりあえず揺れがひどかったので外に出たが、地震の第一波が収まってほどなく社屋に戻り、おっかなびっくりではあるが仕事を再開した。未曾有の災害の有様を確かめている時間が私には与えられなかった。「地震はあったがそれはそれ、仕事の手を止めては絶対にいけない」という無言の重圧が私の所属するセクションには充満していたし、取引先もいつも通りの対応をしてきたからだ。だから、夜通し燃えさかる気仙沼の山火事のTV映像が無音で流れてはいたが、いつもの繁忙期と同じだ、同じだ、と自分に言い聞かせるように、私はつめたいライトテーブルに頬をつけて眠った。時々強い余震があり、ひどく苛ついた。目が覚めたら朝の空港に原稿を取りにいかねばならないので、余震のたびに「これでは飛行機が飛ばないではないか!」と思ったからだった。同居人や実家と最低限連絡は取り合ったが、それ以外の時間は仕事のことばかり考えていた。

例えば、もっと友達のことを心配したかった。学生時代にドイツ語の合宿でお世話になった新白河の施設のことを思い出したかった。仙台に実家のあるお仕事関係の方に優しい言葉をかけたかった。だがそのどれもを、私は怠った。発生当初のつまづきは大きく、それに続く原発問題にも風評被害にも、とにかく地震が引き金となったありとあらゆる問題に自分が乗り遅れていく気分を味わった。そのズレた気分を、私はどうやら来年まで持っていかねばならぬようである。

いつかきちんと俳句表現とつなげて書きたいと思っていたことを、結局俳句と全く繋げられないまま書いてしまった。これも来年の宿題だ。こんなことを言ってはいるが、来年なんて本当にすぐそこだ。年賀状も大急ぎで書いた。今さらながら藤田哲史と生駒大祐によるユニット「Haiku Drive」の過去のUstream配信をBGMとして聴いている。わあ、オールナイトニッポンみたい。しかも二部の雰囲気。どっちがパーソナリティーでどっちが放送作家か分からない、そんなノリがある。

配信をぼんやりと聴きながら、今年は2~3人のユニット形式による活動がさらに活発化したよなあ、としみじみ思う。活動内容は同人誌作りであったり、雑誌・イベントの企画運営であったり、サイト作りであったり、本当に色々だ。

先日第二号の配信を終了したばかりの俳句通信「彼方からの手紙」の発行も、山田露結と宮本佳世乃の2人が行っている。年末で賑わうセブンイレブンで、生まれて初めてネットプリントのボタンを押して出してみた。

第二号は初のゲストとして関悦史を迎えている。句集『六十億本の回転する曲がつた棒』を上梓したタイミングでの登場は嬉しい。紹介文の語尾に「句集を出されたばかりの関悦史さん♥」とハートマークが付いていたのがちょっと可笑しい。内容は、各人八句と短文。twitterでつぶやけるほどの文字数だからこそ伝わるものもある。関の短文に非常に二枚目っぽさを感じ、面白く読んだので引用する。

「私は彼方にいる。
あなたは私の内外をつらぬき生滅している。
ゆえにあなたは彼方でもある。
 
そのうちまた飲みましょう。」

さっと見渡せてしまうA4サイズ1枚だからこそ、赤と緑の文字の鮮やかさやちりばめられた可愛い地紋類のポップさが嬉しい。三者三様でてんでバラバラな詠みぶりもまたしかり。

クリスマスケーキの残り朝餉となる   関悦史
年の瀬の家族との時間プライスレス   山田露結
死に行くときも焼きいもをさはつた手  宮本佳世乃

来年も楽しい句、かっこいい句、素敵な句にたくさん、出会えますように。

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