俳句時評 第37回 山田耕司

公、ウスくも濃くも

フロイトの言う「エス」というか、人間は意識の下にまとまりきれない、ドロドロしたものを抱えています。
まとまった最大公約数の部分だけ出してきて、「常識」と呼んでいます。 立川談志

2012年度 大学入試センター試験が終了した。
全国統一のマーク式試験である。今年の受験志願者数は、55万5537人(大学入試センター発表)。

古文の出典は只野真葛の『真葛がはら』。
出題されたのは、その一部。
東北に住む鷹飼いの男が、書の道に志を立て、あてもなく都に来て過ごしていたところ、縁を得ておもいもかけず身に余るほどの手ほどきを受けるまでの描写に、藩の命令で北方の防衛の任務に参加することになり家を引き払うことになったその後の顛末を手短に添えてある擬古文。

和歌が出題されている。

かいつまんでいうと、情報の発信者はだれで、どんな言葉遊びが入っているか、ということがわかるかどうかが出題されている。

(前略)

おほけなき御前わたりも御許しありて、入木といふ書法を御手づから伝へたまはせりなどしつつ、本意にもこえて事なりぬれば、身に余りてうれしと思ひて、道の奥に下るきざみ、先の宮人、この人の二なき志をめで給ひて、琴を送られしが、絃一筋ある琴なりき。これに歌そへよとあるに、

A 一筋に思ふ心は玉琴の緒によそへつつひきや伝へむ

家なども、もとよりは広く清らに作りなして、めぐりに松子植ゑわたし、移り行く月日にそへてめではやししを、こたみ公より蝦夷が千島に防人を置かるることありて、この国よりもまづ出ださるるによりて、その数に指されて、出で立たむとす。「行き帰るまで、さる広き家に女子のみ置きては守りがたし」とて、家をば売り、女子は人のもとに預けて行く。その心にかはりて、

B 家出でて行くかひありと思ひしに家なくなりて行けばかひなし

C 二筋に落つる涙も一筋の玉の小琴にかけにけるかも

その琴は、むかし行平の中納言、流されて須磨におはせし時、庇の杉を風の吹きおとしたるが、その形面白かりければ、くしげの箱なる元結を一筋ひきかけて、調べ給へるよりはじまりて、今も伝はれるなりとぞ。 

問5 A~Cの和歌に関する説明として最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ。解答番号は(26)。

1 Aは、持明院の宮の宮人が詠んだものであり、絃の数を意味する「一筋」を、ひたむきで一途だという意味でも用いることにより、自分が陸奥の鷹飼いに寄せてきた一途な思いやりを忘れないでほしいと願っている。

2 Aは、陸奥の鷹飼いが詠んだものであり、「ひき」という語に琴を演奏する意の「弾き」だけでなく、引き立てて優遇する意の「引き」を掛けることで、琴の送り主である宮人からの引き立てに感謝する気持ちを込めている。

3 Bは、作者が陸奥の鷹飼いになりかわって詠んだものであり、上の句と下の句を対照させて、売りに出した家が任務を終えて戻ったときにはなくなっているかもしれないと想定することで、世の無常のさまを際立たせている。

4 Cは、作者が陸奥の鷹飼いになりかわって詠んだものであり、両目から流れ落ちる涙の「二筋」と、Aの琴の絃の数である「一筋」とを対比しつつ、思いがけない事態が発生したことへの感慨にひたる内容になっている。

5 BとCは、陸奥の鷹飼いが妻子になりかわって詠んだものであり、一家の主が立派な仕事を任されたことへ誇らしさと、あとに残ることになった身の頼りなさとの間で揺れる心の動きをとらえた連作となっている。

さて、正解は、4。
50点中の8点という配点。
全文は、コチラでご確認下さい。

「思いがけない事態が発生したことへの感慨にひたる内容」って、便利な表現。
まちがってはいないけれど、面白くもない。
よろしい。受験は、面白さを求めるものでもないし、自分の解釈を披露するためのものでもない。
ここで求められているのは、情報処理能力。書いてあることにたいして情報を足さず引かず受け取る力。
これを仮に受け手の「公」的コードということにしておこうか。

仮に「公」的という名を付けると、すなわち受け手の「私」的コードというのも想定されるわけである。
この二極、くっきりとわかれての極ではない。

読書感想文などで「自分の意見を書きなさい」と指導されて、その実、自由に書いて提出すると「考え方や捉え方が不適切」などと修正されることがあって、自分の意見を表出することに対して用心深くならざるを得なかった学生諸君は少なくはない。
学生諸君が教育プロセスの中で見せる傾向に併せて、問題を作ったのではあるまい。このような問題が出る環境において、学生諸君が影響を受けてきたとすると考える方が素直であろう。積極的に社会のルールを取り込んでいこうという「公」のあり方ではなく、「まちがってはいないでしょ」という態度の消極的な「公」のありかたに取り囲まれる状況というものがある。「公」というもののありかたがヘッピリ腰だからこうなったのではない。むしろ、間違いやカタヨリの源として「私」をとらえた上で、どちらかといえば善意において最小限の「公」を普及させようとするからこその、消極的な「公」なのかもしれない。こういうのはウスい「公」。

 

突然に立川談志の話で恐縮だが、彼が古典作品へのこだわりを保ちつづけたのは、「私」に強く踏み込めば踏み込むほど、あるべき「公」の姿を体現してみせざるをえなかったからなのではないだろうか。やれ「公」だの「私」だのの話は、理論を重ねて「アカデミック」にするべきなのかもしれないが、論より証拠ということで、談志50歳代の「へっつい幽霊」の映像を見ながら、そう思った次第。

つまり、ウスい「公」に対応するための態度と、ウスい「私」でいる姿勢とは、表裏一体であるという仮説。
私へと濃く踏み込もうとすると、濃い「公」としてあらわれることがあるという、これもまた仮説。

ああ、ここで「世代」を批評しようとしているわけではない。
「現代」を嘆こうというのも趣旨ではない。ついでにいえば、センター試験を批判しているわけでもない。
「公」的なもののありようを、センター試験の問題の表現を契機として、あれこれ考えているのである。
ウスいのを濃いもののあえて下位におこうというのでもない。

ここまでのまとめ。
◎ だれにでも共有出来るルールにしたがっていると、「まちがってはいないけど、面白くもない」という特徴が際立つ。
◎ だれにでも共有できるルールを前提にすると、私的なこだわりのようなものも希薄になりがち。

「ああ、じゃあ、個人の内面というものを強く表に出せばいいのね」という意見もあろうが、それはそれで、つまらない。
ここのところがうまくいいまとめられないのだが、あえていえば、「芸がない」ということになるのだろうか。

◎ 私を探求していくことで、私のことしか言えないのは「芸がない」。私への踏み込みがないのもまた「芸がない」。
◎ 公として形式を牽引していくのは、形式を分析する力ではなく、形式を体現する力。
◎ 形式を体現をするのは、それを見届ける受け手あればこそ。どんな受け手を仮想するかで、送り手の芸の向きが変わる。

ここは俳句時評欄である。
◎でまとめたのは、現代の俳句状況への批評メモ。

落語を例に出しての言説に「あれは演芸、俳句は芸術でしょうが」という人がいるかもしれない。
その人は「一回性の行為」などを論拠に型を否定したり、目的なき合目的性という観点から寄席や句会などの不純さを挙げるかもしれない。
そりゃそれで、面白そう。
ただし、とりあえずにでも結論を出してみたところで、なんだか虚しい。
批評行為が虚しいのではなくて、俳句を対象にした論議に一定の結論を求めるところに、ウスさへの傾斜を感じ取るからかもしれない。

歌を一首。

帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず

岸壁の母。津波でさらわれた肉親を思う人々。
個別の状況を超えて、立って待つという行為に注目し、その舞台である「岸」が、歳時記に記載されていないという。
忘却することもできないような出来事には、四季のうつろいをあてはめることはできない、というのである。
理屈である。
理屈ではあるが、岸というイメージを円環する季節から突き抜ける人間の情の象徴としてもてなす発想にハッとさせられた。
2011年に発生した災害に対象を特定せずに、大きな時空を招き入れようとする詠みぶり。
詠み手の私的な感情はさまざまにあろうものを、知の回路で言葉をまとめあげる手業。
これは、かなり濃い「公」を求めた歌であるなあ、と思って、さて作者は、と尋ねたら

皇后陛下御歌

とある。新年の勅題詠。題は「岸」であった。

俳句には、こうした理の直球をもろには見せない傾向があるようだが、さておき、「公」のつながりとして。

「歳時記」の性質とは、人間の命につながる普遍的な行為とは一線を画すものであるのか、と再認識。
なるほど、無季の句の性質もここにつながるものであるのだろう、とも。
ともあれ、「歳時記に見ず」とは、一見「歳時記」を権威として扱っているようでありながら、その限定的なありようをうまく利用した文言だなあと感心。歳時記もまた、ウスい「公」であればこそ。

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