俳句時評 第52回 外山一機

加藤郁乎に唾を吐け 外山一機

五月十六日に加藤郁乎が亡くなった。「俳句の方法で現代詩を書こうとした」(仁平勝『加藤郁乎論』沖積舎、平成十五)とも、「東西古今の該博な引用と『万葉集』以来の多様な修辞を駆使して多彩な文体と世界を織り成した」(川名大『現代俳句』上巻、筑摩書房、平成十三)ともいわれるが、加藤郁乎が戦後の俳句表現史において重要な仕事をした俳人の一人であることは間違いあるまい。その加藤の七歳下で『俳句評論』『ユニコーン』などの同人として交流のあった安井浩司は、加藤の処女句集『球体感覚』についてかつて次のように語っていた。

“一行とは何か”という問いを問いとして確乎としただけに、そこに短歌的なものを削ぎ落とし、歌謡的なものを蹴り、自由詩(今はそれを書くが)的なものを峻別した。『球体感覚』では、さらに俳句的なもの(俳句性)をすべて濯ぎ落とし、とまれ一行形式を純粋に洗ったのである。それはまた、俳句形式が深部から洗われたことでもある。中には、それ(球体感覚)は行きづまりの境地ではないかと、真剣に危ぶむ高名な俳人の声もあった。しかし、行きづまりとは違う。私たちにとって、ここが出発点としての“零”だったのである。(「屹立する一回性 わが『球体感覚』」『俳句研究』昭和五八・七)

加藤郁乎の営為を語るとき、安井はそれを「私たち」という言葉をもってひきとりつつ、同時にそれを「出発点」と述べたのであった。安井にとって「加藤郁乎」とは屈折や畏怖をはらみながら何よりも愛すべきものであり、自らを勇気づけるものの謂であったのである。その安井はしかし、数年後には早くも次のように述べるにいたる。

はからずも六十年代後半からの加藤郁乎以後という質的な空白状況があって、その方向性を占うことはむずかしい。仮に、その空白が何らかの自己主題を抱えているとすれば、それは俳句形式の歴史的生成の終結ということだろうかと、以前から漠然と考えていた。(略)

舌を翻そう。生成史の終着を迎えた俳句未来とは何なのだろう、と思うことがある。おそらく近い未来において、あとは俳句形式にウイルスのようなものが侵入してきて駆けまわる、そんな面白さに明け暮れするのではなかろうか。西脇順三郎だったかに高い意味での“垂直侵入者”という言葉があったと記憶するが、それを少し斜めに準用すれば、とりわけ“郁乎以後”などという悲壮なテーマを経由せずに、垂直侵入がやたらと現象化して来よう。彼等には、〈加藤郁乎〉も生成史も全く必要ないわけだ。おそらく、俳句は適度な規模の遊戯の擬場となるにちがいない。(傍点原文。「抛物線の行方 加藤郁乎以後の俳句」『未定』平成二、第四七号)

「加藤郁乎」以後の俳句表現史について語るとき、それが重苦しいひびきを伴わずにいられないのはひとり安井のみではなかろう。「加藤郁乎」とは俳句形式の出発点であると同時に終着点でもあったのである。けれど僕にはこの安井の言葉のなかにこそ「加藤郁乎」以後の僕たちの「出発点」を見出すことができるように思われる。すなわち、安井のいう「垂直侵入」の現象化した「適度な規模の遊戯の擬場」こそ、実は僕たちの“零”地点ではないのか―だから、加藤郁乎の死に際して僕が言いたいことはただひとつ、曰く「加藤郁乎に唾を吐け」。

「加藤郁乎」以後を語る言葉が重苦しくなるとすれば、それは加藤郁乎が日本語や俳句形式を破壊したのではなくて、むしろ加藤がそれらの絶対的な強度を僕たちの前に露呈させた故であろう。押井守監督の映画に「スカイ・クロラ」という作品があるが、これは永遠に年をとらない「キルドレ」と呼ばれる若者たちがショーとしての戦争を繰り広げる物語であった。この物語では、絶対に倒せない敵であり「大人」の戦闘機乗りである「ティーチャー」の存在が語られ、物語の終盤において自らもキルドレである主人公はティーチャーの戦闘機と遭遇し敗北する。いわばキルドレとは、ティーチャーとの戦闘を通じて絶対的な「父」としてのティーチャーとの同化という不可能な夢を追求する者のことなのである。思えば、このキルドレの姿こそ加藤郁乎のそれではなかったか。加藤の破壊的な表現行為は、日本語や俳句形式への強烈な憧憬の裏返しであって、思えば、俳人加藤郁乎の営為とは徹頭徹尾それらとの一体化を欲望するものであったように思われるのである。

そして加藤のそのような営為が周囲からの孤絶を深めていったとすれば、それは「加藤郁乎」以後がティーチャー不在のキルドレたちによるバトルロワイヤルの様相を呈していったためであろう。また同時に、これこそが安井浩司のいう「擬場」のありようではなかろうか。俳句形式や日本語についての本質的な議論が常に先送りされたまま、相互に「俳句」であると承認しあうことによってそれが「俳句」となるような承認のシステムが有力に機能する場―それこそが「適度な規模の遊戯の擬場」であろう。

このように考えてみるとき、加藤の次の句ははたして批評たりえているだろうか。

春しぐれ十人とゐぬ詩人かな(『江戸櫻』小澤書店、昭和六三)
お中元おなじやうなる句集来る(『初昔』ふらんす堂、平成十)

加藤の句の特徴の一つに批評性が挙げられるが、たとえばこのような「エセ俳人」の横行に対する加藤郁乎の嘆きや皮肉は今日においては批評になりえないのではあるまいか。なぜならばいまや僕らは誰もが「エセ俳人」であり、おそらく「俳句」の現在とは「エセ俳人」の横行する「擬場」においてこそ立ち上がってくるものであるからだ。「句集」とはむしろ「お中元」であり「おなじやうなる」ものでなければならないのだ、なぜなら「擬場」において「俳句」とはそれがたしかに「俳句」であるということを相互に承認しあうことによって成立するものの謂であり、それはいわばつながりの産物であるからだ。

そして僕たちがそのような「擬場」にいるのならば、加藤郁乎を読む西村麒麟の次のような態度は至極正直であるし、本当のことを言えば、僕たちがいま「加藤郁乎」を読むということの実態の一端はここにこそよく現れているような気がしてならない。

先日、いつものように一人寂しく呑んでますと隣のカップルからこんな会話が聞こえてきました。

女「ねえねえ、好きな句集名って何?」男「うーん、『伯爵領』かな」
女「うふふ、私も」

まぁ嘘ですけどね、皆さん好きな句集名というのはありますか? 僕なら、重信『伯爵領』郁乎『出イクヤ記』なんか好きですね、そして、最近急に好きでたまらなくなってきた句集名が『冬扇』、清らかで渋過ぎず、良いなぁ、秋扇じゃなくて冬扇ですよ、夏炉冬扇を踏んでるとしても洒落てます。

 さてこの『冬扇』の作者が今回ちょこっと書かせてもらう、籾山梓月です、ご存知ない方がほとんどではないでしょうか?

 僕も加藤郁乎著『俳の山なみ』を読むまで知りませんでした、この本はほんとに素晴らしい本で、みんな今日の午後にでも買いに行ってください、少なくとも僕には、籾山梓月、岡野知十、増田龍雨達を読もうという気にさせてくれた、すんばらしい本です。(「もんでもみやま梓月かな 前篇」『週刊俳句』平成二三・二・二〇)

僕たちには本当に「加藤郁乎」が必要だろうか。僕たちにとっての「俳句」の現在とは、本当は「加藤郁乎」を放棄するところから始まるものではなかろうか。僕たちが自らの足場を見据えたときそこに見えてくるものは、たとえば加藤郁乎が『俳の山なみ』を書くに至るまでに引き受けざるをえなかった表現者としての葛藤などではなく、本当は『俳の山なみ』を手っ取り早いガイドブックとして楽しむような呆れ果てた感覚の方なのではなかろうか。

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