俳句時評 第59回 湊圭史

『川柳カード』

『川柳カード』創刊準備号が届いた。発行人は樋口由紀子、編集人は小池正博。昨年終刊した『川柳バックストローク』の後継誌といってよいだろう。『バックストローク』は戦後の革新川柳の流れと、時実新子の弟子筋のなかで「分かり易さ」や「自己表現」に飽き足らなくなった人たちが合流して、一種、前衛的川柳の行きついた先、といったふうであった。川柳のひとつの傾向として、地方での活動が盛んで、逆にいえば全体を見通すことがほぼ不可能な現状があるが、『バックストローク』は全国から投句者があるという意味でも貴重な雑誌であったようだ。『川柳カード』はこの先行誌のよい点を活かしつつ、ジャンルを魅力あるものとして刷新できるかどうか。


創刊準備号に掲載された句を引いてみる。

両腕をはずすと日輪逢いにくる   清水かおり

犬よりも少年豚を引き連れよ   平賀胤壽

きんぴらと牛蒡の分離委員会   丸山進

一メートルほどのスリッパではあるが   草地豊子

ナンダロウナンダロウたち引き返す   広瀬ちえみ

球体の茶室でさがす膝の向き   兵頭全郎

たくさん食べてペンペン草になるんだよ   松永千秋

マクベスにマクベス夫人ただひとり   小池正博

キリストも釈迦もやっぱり男の子   筒井祥文

熨斗袋たわむれながら落下する   樋口由紀子

こうした句を新聞や雑誌、その他、巷のいたるところで遭遇する「川柳」と、また、日本川柳協会や「番傘」「ファウスト」などの旧来の大結社で量産されている句群と、どう関連づけるか。この創刊準備号は、これまでの知り合いへのご挨拶、といったところで、上のような問いへの答えは見えない。

苦言を述べれば、巻頭の樋口由紀子の文は、あるシューズデザイナーの逸話を聞いて『川柳カード』発刊へのはずみがついた、というものだが、こういう内容は個人のうちに収めておけばいいことである。せっかくの創刊準備号・巻頭言で、特にだれも興味はないと思われるデザイナーの話を聞かされても困る。個人的な体験を語ることで、「気分」を共有してもらうということかもしれないが、それなら少なくとも、樋口個人の体験を披歴するぐらいのことはして欲しい。

理論や評論において、あるいは句会や句誌といった創作と共有の場で、どのような動きをつくるのか、まだまだこれから、という趣である。

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