俳句時評 第67回 湊圭史 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト

俳句時評 第67回 湊圭史

「川柳カード」創刊記念大会レポート

先週末の9月15日、川柳誌『川柳カード』の創刊記念大会が開催された。『川柳カード』は昨年終刊した『バックストローク』の後継誌という位置づけになるだろう。『バックストローク』は戦後の前衛川柳(革新川柳といわれることも多い)と、90年代から人気を博した川柳作家・時実新子系列の作家、さらに地方の従来の川柳に飽き足らない作家を糾合していた同人雑誌で、同人数30数名(会員参加もあるので、投句者数は60名程度)。この系列の川柳雑誌としては、全国で求心的役割を果たしていた。『川柳カード』は同人は少なくなるようだが、先ごろ出版された創刊準備号を見る限りでは、『バックストローク』の主要作家はだいたい参加するようだ。ここは俳句時評ということだけれども、川柳の大会(句会)がどのように行われるのかも別ジャンルの方々には馴染みがないだろうから、そのあたりも説明しながら報告してみます。あと、ゲストが池田澄子さんでしたし、俳句の方も興味をもたれるか、と。

会場は大阪上本町のたかつガーデン。受付につくと、句箋(短冊状のぺらぺらの紙)の束を渡される。会場は100人規模で、参加者は最初のあいさつでの発表では109名、予備の椅子が出る盛況。開場13時、開会は13時半からだが、13時ぎりぎりに行くと座席はすでにほぼ埋まっている。時間に厳しい人たちか、といえばそうではなく、開場から開会までの時間が川柳人にとっては大事なのである。というのも、受付でもらった句箋に自句を書いて、開会までに提出(出句)する段取りだからだ。今回は事前投句(手紙でのあらかじめの投句)が一題、それに兼題(あらかじめ広報されているお題)が5つ。参加者は開場に来るまでに一通りは作句してきている。さっさと書いて提出し知り合いとあいさつなどしている人もいれば、ぎりぎりまで難しい顔をして考えている人もいる。ベテランは開場の雰囲気などを読んで、どの句を出すのかを考えたり、句にアレンジを加えたりするのだろう、たぶん。人によっては色々な句会に出ていて、作句はすべて開場に行ってから、なんていう人もいるようです。私はといえば、最後までうなっている組でした(単にちゃんと作ってなかっただけ)。一題につき何句出すかは会によって異なる。今回は2句ずつ。もちろん、出句は無記名。

13時30分少し過ぎ、若手柳人・兵頭全郎氏の軽快な司会で開会。発行人・樋口由紀子のあいさつ。『川柳カード』は、いまだに分からない川柳というものが何かを見極めるための場にしたい、そのために他ジャンルからも客人を招いて、川柳の中だけには収まらない視点をもつようにしたい、とのこと。代表といっていい、樋口由紀子と小池正博がそれぞれ発行人と編集人と名乗っているのも、結社的に指導原理をもって動くのではなく、同人各自の自由な活動の場として同誌を考えているということだろう(この点、『バックストローク』と同ラインだが、『バックストローク』では石部明、石田柊馬のベテラン二人による評が一種、指導としての機能を果たしていた。そこらへんがどうなるのかはまだ分からない)。

編集人あいさつに続いて、「対談 池田澄子×樋口由紀子」。人気俳人を招いて、創作の秘密、表現とは何か、それに俳句を比較点に川柳とは何かを語り合おうという企画。樋口の質問に池田氏が答えるというかたちで進む。池田氏の話は俳人の方々は聞いたことがある内容がほとんどだったかもしれないが、俳句門外漢が多い会場の雰囲気から、いつもよりていねいに話されていたのでは、と思う。内容はテープ起こしされて、「川柳カード」創刊号に掲載される予定なので、興味がある方は「川柳カード」関係者にご連絡ください(私でもよいです)。

いくつかだけ、面白かったポイントを。「俳句を始めたのはいつ?」という質問に対して、昭和50年頃、雑誌で阿部完市の句を見て、面白いと思って、との回答(「兎がはこぶわが名草の名きれいなり」あたりの句だとのこと)。それまでは学校で習ったことはあると思うが、俳句があるとは意識していなかった、自分とは無関係な世界で、視界に入っていなかった。中学から詩を書いていたということだが、そこから現在の創作には直接結びついておらず、むしろ、子育てが一段落してからのさまざまな趣味(洋裁、刺繍、レタリング、木彫など)のひとつとして俳句を始めたらしい。こうした話のなかで、作り始めに結果が決まっていない、しかも、拵えるのに苦労するものに惹かれる、しんどくないと楽しめない、と自分の傾向を分析されていた。樋口が「素直じゃない」と突っ込むと、俳句や川柳をやる人は素直ではダメ、通常の意識を疑うところしか始まらない、と指摘。

また、言語観について樋口がエッセイ集『休むに似たり』から、少しの言葉で成り立つ俳句は言葉の技でなりたつ、技と思わせない技が必要(すみません、正確な引用ではないので、ここは孫引きしないでくださいね)などの発言を引用すると、「女性にしか分からないかもしれないけど、化粧水を塗ったとき、始めはべたべたしているけど、擦り込んでいるうちにスルっとなる、その感じ」と解説(女性ではないですけど、分かる気はします)。才能はないと思っていて、また、お勉強はあまりする気がない、その代わり、作句においては納得できるまで考え抜くのがこだわりとのこと。樋口が「推敲すると作品の勢いがなくなるということはないですか」と訊いたのに対して、明確に「ない」と答えていたのが印象的だった。作品を読む能力があれば、推敲して詰まらなくなったら、最初の形に戻せばいいだけだ、ただし、いったん推敲してみないと、いいか、まずいか分からないじゃないか、と。

俳句と川柳の違い、という論点はあまり深められずに終わった(樋口が「川柳は修辞にこだわらない」、「川柳では一句一句が「私」らしく(作家性を感じさせる、ということだろう)、俳句では句集一冊に「私」が出る」と発言していたが、ちょっと微妙な言い回しだなと感じた)が、池田さん本人が「目覚めるといつも私が居て遺憾」、「仏壇の桃を拝んでいるような」の二句を川柳っぽい句としてあげて話されたところは面白かった。一句目は、政治家の発言によく出てくる「遺憾」という言葉から発想した句で、自分にとっていちばん「遺憾」なのはどういう事態かを考えて、「自分はネクラなので」自分がいるという事態そのものだなと思いついて書いた、とのこと。といっても、いつも言葉からの発想なのではなく、有名な「ピーマン切って中を明るくしてあげた」では、田舎家の箱階段(階段の下が抽斗になっている)を見たとき、あれを開けたら中には何十年ぶりに光が入るんだなあと思い、その印象がいつのまにかピーマンの句になったということだった。

対談の一応の結論は、句会の形式について話しているときに出たようだった。樋口が俳句の句会形式を説明してください、と水を向けると、池田さんは俳句句会(互選句会)の形式は常識としてみなが(短詩型に興味を持っている人間は、ということだろうか?)知っていると思っていたと驚いていた。もちろん、川柳句会を見るのも初めて、とのこと。互選句会での討論と、川柳句会の一般的形式である選者の詠みあげによる披講のゲーム性に、つまり、それぞれの句会の型式に、俳句と川柳の一番の違いがあるのでは、という話になっていた。この点は、ジャンルの歴史についても掘り下げて考えれば、実のある見解に出来そうだった。

他、師の三橋敏雄との関係について、見解の違いなどにも踏み込んでざっくばらんに、若手に対して方向性がよいと思えばそう言ってあげるのは使命だと思っていると熱を込めて語っておられたのが印象的だった。樋口が『川柳カード』もよい句を拾い上げ、また拾い上げてもらう場によればよい、と発言して、対談のまとめに。全体としては、言葉を使った創作における基本的な心得のおさらい、という印象(それに対して、樋口さんが自分のこだわりを挟もうとするのがアクセントになって楽しく拝聴しました)。

30分休憩ののち、第2部の句会に。先ほど少し書いたが、川柳句会の一番一般的な形式は選者の詠みあげによる披講である。つまり、一題につき、今回なら2句を参加者各人が投句し、その題を担当する選者がどさっと投句をすべて渡される。選者はその山ほどの句(今回なら109×2で318句に目を通し、何割かを「抜く」(この「抜く」という言葉に池田さんがずいぶん強く反応していたのが、言葉が好きな人なんだということが見えて面白かった)。小規模の句会では、出句の3割ぐらいを選ぶことが多く、どちらかというとユルい基準になるのだが、大きめの規模になると割合は減る(今回は、40句ぐらい、と聞こえたような気がする)。選者は選ぶだけでなく、句を詠みあげる順番もじっくり考えることが多いようだ。一句目はあいさつ的な句やインパクトのある句、その後は出来は今一つと判断した句から良いと思った句に並べることが多い(「出来は今一つ」でも選ばれる句がある、という辺りがなかなかにポイントだったりする。中にはこだわりがあるのか、偏屈なのか、それともたまたま機嫌が悪いかで、数句しか選べなかったという選者がいるが、もちろん開場が盛り下がるので嫌われる。よっぽど理論があるか、センスがいいかすると別ですけど)。また、テーマや題材がかぶった句を連続して詠む、逆にパターンが似た句は離して詠む、なども選者のテクニックなのではと思われます。

詠み上げは一番多いパターンは、①選者が句を詠む→②句を詠まれた作者が名乗る(呼名、といいます)→③同じ句をもう一度選者が詠みあげ→④呼名係が作者名を呼びあげる、というもの。選者は開場の前、演壇があれば壇上にあがって詠み、その隣のテーブルに呼名係と記名係(無記名の句箋に作者名を書きとる係)が座っています。詠みあげの後、あるいは前に選者がコメントを述べることがたまにありますが、これはオプションで、どちらかというと長くしゃべるとリズムが悪くなってよくない、という雰囲気があります。漢字を確認しないと意味がとりにくい場合に確認する、という程度が多い。それなら誰がやっても同じだろう、と思われるかも知れませんが、選者によって上手い下手がはっきり出るので、実をいえば、とても恐ろしい形式なのです。また、上手い人でも詠みあげが一種の芸になっているタイプ、淡々として聞きやすい声で安心できるタイプ、といろいろある。また、選句の技術ももちろん伴っていないと成立しません(ただし、ただよいと思う句を並べるだけ、というのにも限界があるようです。その辺りはとても微妙な領域)。

選んだ句を詠みあげ、最後の数句を準特選、特選(呼び方はいろいろ、昔は松竹梅、みたいな感じだったようです)と特別扱いにすることが多い。今回は準特選が二句、特選が一句。軽い商品がつくことも(今回は、本が商品だったような。もらえなかったんであんまり見てません、笑)。すべての抜句(「抜いた(選んだ)句」のこと)を詠みあげた後、軸吟(自分のその題についての句。「自句」の当て字でしょう)を詠みあげて一礼して降壇(ここでしゃべると恰好悪いです。ぐずぐずせずにさっと引くのがおしゃれです。そう言えば、『バックストローク』の大会では、最後に選者コメント・評言をしばらく話す、というのを義務づけていましたが、これはかなりなレア・ケースのようです。今回は無しでした)。

で、今回のお題は「脈」(榊陽子選・兵庫)、「すれすれ」(平賀胤壽選・滋賀)、「ピーマン」(広瀬ちえみ選・宮城)、「割る」(草地豊子選・岡山)、「品」(小島蘭幸選・広島)、「カード」(小池正博選・大阪)。なぜだか、選者の居住地を銘記する習慣のようです。耳で書きとったものなので、表記は不明、書きとりミスもあるかもしれませんが(作者の方々、ご容赦ください。読者の方々、ここからの引用は無しでよろしくお願いします。→今回は小池正博さんに確認・訂正をしていただきました)、各題で私が個人的に面白いと思った句を書き出してみます(選者による準特選、特選とは関係ありません)。

「脈」(榊陽子選・兵庫)
乙女らの脈打つ胸よゼラチンよ   くんじろう
脈が切れたらおはなしがございます   松永千秋
鶏頭と脈の青さを競い合う   榊楊子(軸吟)

書きとった句でも、今読み直すとちょっと、という句、ここに書いてもなという句があります。この辺りはライブ感の関係で難しいところ。選者が詠みあげる上で、会場の雰囲気に乗る句を選んでいるということもあるかも知れません。そうした句を印刷で発表するときにどうするか、という難問もあります。

「すれすれ」(平賀胤壽選・滋賀)
はやく食べて平城京があぶないの   岡村知昭
あげたのは蛹発光寸前の   広瀬ちえみ  
日の丸はどこに立っても崖すれすれ   樋口由紀子

始めに選者から、こうした題では主題と句の整合性にはこだわらない(「すれすれ」と関係ないやん、と思っても選ぶことがある、ということ)と前置き。このあたり、選者をさせてもらうと悩むところです。上の最初の2句のように題詠み込みでない場合、「すれすれ」が入っているかどうかはかなり主観的。「すれすれ」と「ぎりぎり」のニュアンスなど考え始めるときりがありません。ただし、聞き手にとっては「んー」と思う句が多いとノレないというのも真。

「ピーマン」(広瀬ちえみ選・宮城)
ピーマンを生み終えるまで待てますか   むさし
なで肩のピーマンだから認知する   吉松澄子
ピーマンがオープンカーでやってきた   井上しのぶ

上の「むさし」さん、「脈」の題の「くんじろう」さんは姓を失念したわけではなくて、これで柳号。選者の芸についてはすでに書きましたが、呼名(作者の名乗り)にも芸がある人がいます。今回ならこのお二人が筆頭。素人がやると、ヘンなことをしてビミョーな雰囲気、という結果になりますが、うまい呼名が入るとノリが出てきます。歌舞伎の大向うからの声掛けみたいなもので・・・。

「割る」(草地豊子選・岡山)
水際でなまあたたかい黄身を割る   畑美樹
風船は割るもの夜は割れるもの   嶋澤喜八郎
ブロッコリー割るわキリンの首折るわ   石田柊馬

ここまでお題は品詞別にいうと、名詞(脈)、副詞(すれすれ)、名詞(ピーマン)、動詞(割る)。このあたりは主催者の配分ですね。個人的な感想では、名詞は作りやすいが題を外してつくるのが難しい(句会によっては、詠み込み禁止、つまり「ピーマン」という題が出たら「ピーマン」と句中に書いてはダメというルールもあるようです)、副詞は固定したイメージから離れない説明だけの句になりがち、動詞はてきとうに名詞をくっつけると出来た感がするので実をいうと難しい、といったところです。

「品」(小島蘭幸選・広島)
品のあるなしなどなど蹴とばしたらわかる   たむらあきこ
コシヒカリらしくヒトメボレらし   山口ろっぱ
若き日の母に粗品をさしあげる   小池正博

ろっぱさんの句、詠み込みナシですが、「品」ですね。特に会場で「品」の句が続くなかで聞くと、うまいなと感心します。漢字一文字題は、その字が入っている句ならなんでもオーケイなのか、微妙なところです。「赤」の題で「あかんぼう」はいいのか、とか。そのぐらいは大丈夫か。

「カード」(小池正博選・大阪)  *事前投句
貼り付けてあるウンスンカルタ房事   井上一筒
先ずカード顔はあてもなくっても   新家完司
診察券入れたら咳込む改札機   丸山進
山札ににきび手札は総長し   兵頭全郎
カウベルをつけたカードを野に放つ   小池正博(軸吟)

こちらは事前投句。投句がすべてプリントされた紙が配られました。選者=編集人による軸吟は『川柳カード』船出のあいさつ句でしょう。連句人でもあるので、さすがにあいさつはお手のものという感じです。

披講が終わると、小池編集人によるあっさりめのあいさつで締め。このあたりのあっさり具合も川柳的かもしれません。かるみ、でしょうか。といっても、そのあと、長いながい飲み会が続くんですがね。私は私事があって懇親会はパス。これからが本番やのに、との声を振り切って帰途につきました。初めての川柳句会の感想を池田澄子さんから聞けなかったのは残念でした。

少しは川柳大会(句会)の雰囲気が伝わったのなら幸いです。

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