俳句時評 第69回 中村安伸

俳句の「ニューウェーブ」とはなにか 

さる9月8日、神戸市文学館で行われたシンポジウム「1970-80年代俳句ニューウェイブ〈攝津幸彦〉を読む」について、司会役をつとめた大橋愛由等さんのブログに、当日ネットで配信された動画のへのリンクが貼られており、内容の一部を視聴することが可能なので、関心のある方はご参照いただきたい。

私は自分の発表で手一杯だったため俯瞰的なレポートをすることは難しいので、ここに私自身の発表内容についてのみ簡単にまとめておきたいと思う。

当日会場で配布した資料に掲載した発表骨子に私は以下のように記述していた。

攝津作品のなかでも特に不可解なものをとりあげ、不可解でありながら魅力に満ちた作品がなぜ成立するのか、作品構造をもとに考えてみたいと思っている。これは読者である私と攝津作品との関係を考えることである。

しかしながら、実際には時間的な都合等もあり具体的な作品を取り上げることはせず、阪神大震災の年である1995年に攝津作品と出会い、どのような点に心惹かれたか、そして攝津作品に対する「難解である」という評価に対しての反論を試みたのであった。  

攝津作品を読むときの快楽に似たものとして思い当たるのが、優れたダンサーによるダンスを見たときの心地よさである。私が例にあげたのは歌舞伎の坂東三津五郎であるが、その踊りに見入っているときに感じる独特の浮遊感は、踊り手の肉体の動きが直接観客である私自身の身体感覚を刺激するところからくるのであろう。攝津作品を読むときに感じるのは、解釈や鑑賞以前に読者である私の言語感覚を直接揺さぶってくるものであり、それは肉体的な快楽に近いものである。すぐれたダンサーが自分の肉体の機能を知り尽くしているのと同様に、すぐれた俳人は言葉の機能を知り尽くしている。このような快楽を与えてくれる作品を作る俳人は攝津ひとりに限るものではない。ともかく、私が攝津作品に惹かれる理由のひとつとして言葉を駆使する技術の優秀さという点がある。

また、攝津をはじめとするいわゆる難解な俳句について、わからないということを理由に否定するむきが少なくないことに対しては「俳句はわからないほうが良い」「俳句とはそもそもわからないものである」という二つの極論を提示し、俳句がわかるということ、わからないといことについて私が考えていることの一端を示そうとしたのであるが、この点については別途詳細に論述する予定なので、興味がおありの方はそちらをお待ちいただければと思う。

この点については当日、お二方から印象的な言葉をいただいたの紹介しておきたい。堀本吟さんからは、攝津幸彦の作品がわかるということは、例えば「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」であれば「露地裏を夜汽車と思ふ」という感覚が受け入れられるかどうかであるというご意見をいただいた。また、来場者の和田悟朗さんからは「わかる」と「わからない」のみでは単純すぎる。「わかる」には論理的にわかるということと叙情的にわかるということの二があるというご指摘をいただいた。

私の発表においては、俳句作品を「わかる」かどうかは、読者がそれぞれの基準で決めることであるとして、その定義には踏み込まなかったのだが、お二方からはその点を補強していただくことができた。すなわち「わかる」には少なくとも論理的、叙情的、感覚的という三つの段階があるということである。

さて、このシンポジウムで私にとって興味深かったことのひとつが、ニューウェーブという語の捉え方がパネラーによって異なっていたことである。大橋さん、堀本さんの捉え方は、具体的に俳人名をあげると攝津幸彦以外に夏石番矢、江里昭彦などであり、団塊の世代の俳人たちのうちでも系譜や作品上の特徴からみて、前衛俳句ジュニアと言い換えてもよさそうなグループを示すことになる。また、堀本さんはさらに拡大解釈していて、いわゆる新撰世代の俳人たちの一部までをニューウェーブの範疇に含めているようであった。

 

新奇な文化の傾向を表す語は、もとはただ単に「新しい」という意味しかなくても、いつしかそれがあらわす文化と結合し、やがて経年劣化してしまう。

俳句に関しては、虚子以来の有季定型を旨とするスタイルが「伝統」を名乗り、守旧を旨としたため、それに対するカウンターとしてのスタイルがいずれも新しさを旗印に掲げることとなった。新傾向俳句、新興俳句、前衛俳句、これらの名称はいずれも本来は単に新しいこと、あるいは進歩的であることを意味するのみであったが、やがてそのスタイルや代表的俳人、作品等と深く結びついて、歴史的用語に変容していった。もちろん同時代の他の文芸、芸術などの影響もあろう。

現在のところ前衛俳句以降で、伝統俳句に対するカウンターとしての俳句の傾向をあらわす用語は定まっていないと言える。違和感をもちながらも便宜的に前衛俳句という語を継続使用したり、あるいは現代詩、現代音楽、現代美術などの応用として現代俳句という語を用いることもあるが、後者は、古典俳句に対して子規以降の俳句全般を指す広義の使用法がポピュラーであるため使い勝手がわるい。

 

堀本さん、大橋さんらによる「ニューウェーブ」の用法は、この「前衛」以後の空白部分に「ニューウェーブ」の呼称を当てはめてみたものである。ただ、私の認識している俳句におけるニューウェーブの用法はこれとは異なっている。私が攝津作品に出会った1995年当時、小林恭二編の『俳句という遊び』(1991 参加者:飯田龍太、三橋敏雄、安井浩司、高橋睦郎、坪内稔典、小澤實、田中裕明、岸本尚毅)と『俳句という愉しみ』(1995 参加者:三橋敏雄、藤田湘子、有馬朗人、攝津幸彦、大木あまり、小澤實、岸本尚毅、岡井隆)という岩波新書として刊行された二冊のシリーズが評判であった。これらは句会の実況レポートという企画の目新しさ、豪華なメンバー、新鮮な顔合わせによって注目されていた。また『短歌パラダイス』を含め3冊におよぶシリーズとなったことからも、この書の臨場感が幅広い層に受け入れられたことがわかる。小林恭二はこの二冊に先立ち、別冊宝島の『楽しい俳句生活』(1988)というムックにおいて「新鋭俳人の句会を実況第中継する」という企画をプロデュースしている。そのときのメンバーが、夏石番矢、長谷川櫂、大屋達治、小澤實、岸本尚毅、皆吉司、大木あまり、寺澤一雄、山田耕司の9人であった。私は小林恭二によって仕掛けられたこれら一連の流れそのもの、そしてその中で取り上げられた当時の若手俳人たちこそが俳句のニューウェーブであるという認識を持っている。つまり、俳句のニューウェーブとは、前衛俳句のジュニア的なものにとどまらず、彼らと同じ世代の伝統俳句の俳人たちを含むひとつのムーブメントだったと思う。

当時は現在にくらべるとはるかに、伝統俳句といわゆる前衛俳句の対立が鋭く、そのなかでこうした超党派の句会を企画することができたのは、小説家として俳壇外の存在であった小林恭二以外にはいなかったであろう。そしてそれは、現在において、ゆるぎない伝統俳句とそのカウンターとしての前衛俳句という対立が相対化されつつあることを先取りしていたとも言えるだろう。現状を前衛俳句側の立場で考えようとすると、伝統俳句は変化せずそれに対立する新興俳句、前衛俳句ばかりが進歩していったように見えるのだが、実際には伝統俳句は常に貪欲に新興俳句、前衛俳句の成果を摂取してきたのであり、ニューウェーブ世代において伝統俳句側の代表であった長谷川櫂、岸本尚毅、田中裕明らによってそれが一定の到達点に至った。それに対し、前衛俳句の系統からは伝統俳句に衝撃を与えるほどの新機軸が打ち出せていないという見方も可能だ。

 

いずれにしても俳句のニューウェーブという言い方を私は今回のシンポジウムのタイトルにおいて久しぶりに見た気がする。そして少しばかり唐突な印象を持ったというのが正直なところだ。私の参加が決まる以前にシンポジウムのタイトルは決まっていたわけだから、現在の俳句用語としては死語となりつつある一方で、歴史的な用語となるにはまだ未熟であるこの語を持ちだしてきたのは堀本さんか大橋さんのいずれかだろう。確かに今、ニューウェーブという語の位置づけについて考えてみるべき時期にきているのかもしれない。

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2 Responses to “俳句時評 第69回 中村安伸”


  1. 堀本 吟
    on 10月 8th, 2012
    @

    中村安伸さん。当日は大変ご苦労様でした。開催の場所が神戸文学館の市民の自主企画の文学イベント、という場であったために、集まった人がおおかた、私たちの顔見知りに俳人諸氏であったとしても、一般の文芸愛好家も参加にも開かれておりました。それでポイントのしぼりかたに、苦労しました。
    この企画の構想は、主に、大橋愛由等が神戸氏在住の詩人であり俳人であり、文学のコーディネーターであることから、思いつき。摂津雪彦没後15年を経て、再読の機運をつなげたい関西の豈の古株になってしまった私も心が動き、相談しながら、組み立てたのです。攝津さんが豈同人だけの枠にはいないことと、同人のアピール行事ではないので、あくまで、文学館の催しとなりました、でも、内容は神戸の文化を担った存在の研究ということです。

    詳しいことはまた豈の摂津特集を組んでもらって、書く事にしましょう。人撰については、正直のところ悩みまして、幾人かの方に打診を初めたうちの有力なお一人として、関西出身のあなたに来てもらえたことで、絞りにくかったぽいんと、私からは、一九七〇~八〇年のニューウェーブとして、関西學院大学に学び、俳句研究会をつくったころの摂津幸彦を語ろう、というコンセプトがはっきりしぼられてきました。

    年代の違う人たちのカルチャーショックが、「ニューウェーブ」という言葉や概念に対する反応にも顕れてている事、それ自体が、ある意味で当日のテーマでした。

    その上、ありがたくも、聴講者として和田悟朗氏が来てくださっており、氏は赤尾兜子の「渦」におられたので、私どもの知らない時期の兜子をご存知でした。氏にあっても、攝津さんを今まであまり知らなかった、と言われてk、そういう方も何人かこられて、摂津幸彦の新たな面がわかった、と言ってくれて、大きな収穫でした。この会をきっかけにいろんなつながり方が見えてきましたので、ぜひいい機会にぶbbしょうかしておきたいとおもっています。

    関西で初めてまともに摂津が語られた意義は大きい、ということはg報告しておきたいと思います。
    攝津ひとりをとりあげてゆくと少々突飛に見えても、1970代年の「日時計」「黄金海岸」や。1984年頃の、坪内稔典や江里昭彦、久保純夫、増田まさみ、ら関西に輩出したを語ることで、摂津幸彦氏を神戸と関西にしらせる、という最初の趣旨は達せられたと思います。強烈なグループによって波を付くたのではなく、ゆるいネットワーク同人誌を媒介した場所に作品を発表することで知られてきた人たちで、それぞれ結社に所属はしていても、基本的には個人として表現戦略を持ってきた人たちで。。俳人のあり方としては、やはり少しかわっていました。

    関東ではまだいろいろおられます。小林恭二編の二つの俳句ライブ書、は私も読みましたが、そこで、三橋敏雄さんが¥「こういう句を読むと、攝津くんが出てきた頃をおもいだすねえ」と言っておらえrましたが、まさにその「出てきて頃の摂津幸彦」。関西に学び、東京に出て俳人として大成したそこにもう一ど関心をあてようという気もありました。
    欲張りすぎて、あまりまとtまらぬ発言で、大橋さんも困っておられましたが。

    中村さんが、われわれの「ニューウエーブ」観に違和を覚えたことは、打ち合わせのときに分かり、その受け止め方、これ婦がむしろひとつのコンセプトになりました。関東のジャーナリズム近い発送と、そこからは遠い存在の先端感覚が、すこし違うことも分かりました。
    新世代の岡村、中村両氏にごさんかいただけたのは、結果的大成功だったのです。

    「前衛俳句」という枠を取り払ったらその動きはどう呼べばいいのか、「ニューウエーブ」の定義についても同様でしょう。現在、「新選組」とか、「俳句甲子園組」などと私はこっそりいうこともありますが、これらもひとつの特徴でありますが、ここに含まれる個人の名が「経世劣化」してはなりません。概念化、と個々の創作行為の交錯やズレについても、一緒に考えてくださいね。

    これもなかなかまとまらぬ文面とないrましたが、とりあえず。報告していただいたお礼までに。堀本 吟


  2. 堀本 吟
    on 10月 8th, 2012
    @


    攝津幸彦の作品そのものについて、の議論のことで、もうすこしいいそえておきますと、後日、当方に、「感覚的に受け取れなければ、その句とは、縁がない」、という言い方では困る、という参加者のメールがありました。これは、「わからないけれど、反発するけれど、どこか惹かれる」という形で参加していた人なので、こういう方には失礼な反応です。その言葉に、作品に共鳴する条件とはないか、ということを、その人と少し時間をかけて話してゆくことにしました。あの会で、こう言う「読者」が現れたことは大きな喜びです。また、初めての方が、すごく面白い、とも。彼らは、どこか、あの一見難解な世界の魅力がすっと分かっているのでしょう。そして、わかりやすい句とはなにか、そこにも、さらにひねりの効いた深い意味が孕まれているかもしれません。すべからく、読みの快楽とは、言葉の力や、奥行きに触れて感動したいという希求に基づくものです。
     さらに、知ろうとしたことは必ず顕れてくるものです。
     私の信じるところ、攝津幸彦は、初期から、実験精神は旺盛ですが、まともに定形の原理を追求してきたと思います。
     できるだけその感覚の所以をご自分が掘り下げていただけるような、筋の通った刺激的なという読みのパラドクスを示すことが、解った!、信じているも読みの先行者の文学的(批評的な)仕事なのだ、おもいます。少なくとも、自分自身はなぜわkるのか、ということを論理的に説明できねばなりません。

     解読の途中で気がついたことは、私自身もまだまだ攝津幸彦がわかっていなかったなあ、ということでした。ニューエイジによるニューウエーブがどんどん出て来るはずの昨今、オールドエイジの抱くテーマ
    も、まだたくさん残されているものだ、という心境です。

     ともかく。
    名句と思う理由が、先生がそう言ったとか、世間お評判がこうだからとか、多数が好きだから、とか、いろいろあるはずですが、摂津の句に限らず、お仕着せだけはごめん被るというのが、あらゆる表現作品に対する私の基本的立場です。

    中村さんが、「難解ならば難解のままにしておけ」という言辞は、実に爽やかでした。

    では、互いに研鑽いたしませう。堀本 吟

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