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戦後俳句史を読む (22 – 1) 赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】①/仲寒蝉

蛾がむしりあう駅の空椅子かたまる夜    『蛇』

 状況としてはよく分る。どこにも難解さの欠片もない俳句だ。場末の駅に蛾が飛び交っている、終電も行ってしまって人気のない構内に空席の椅子だけがかたまり合っている、そんな夜の情景。工夫としては人気のない駅の椅子に「かたまる」とあたかも意志を持つかのように詠んだところだろうか。

 ただ解釈に問題がない訳ではない。「蛾がむしりあう」というフレーズがそうだ。普通に「蛾が飛び交う」とか「蛾の鱗粉が舞う」とか言えばいいところを敢えて「むしりあう」と言った作者の意図を思う。蛾同士が灯を求めてぶつかり合い、羽がぼろぼろになるまで打ち重なる様子をこう表現したもの。この一種の集団ヒステリーは戦前の日本の社会そのものではないか。

 もう一つは兜子の文体の一種の癖。いや癖と言うと知らず知らずのうちに出てしまったことになるが、彼の場合わざとそのように仕組んで詠んでいると考えた方がいい。それは「切らずに下へ続けていく」という文体。特に用言が複数ある場合、それらが折り重なって重層的な効果を出すことが出来るけれども一方で冗長の感は免れない。これは切れを重んじる伝統的な俳句に対する挑戦とも取れる。掲出句の場合「蛾がむしりあう」→「そういうことの起こっている駅」→「その駅の空椅子がかたまる夜」という入れ子構造になっている。他にも例えば

音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
白い体操の折り目正しく弱るキリン
ちびた鐘のまわり跳ねては骨となる魚
花束もまれる湾の白さに病む鴎
ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥
苔くさい雨に唇泳ぐ挽肉器

詠まれている内容は全く違っても「音楽漂う」「花束もまれる」「ささくれだつ」は掲出句と全く同じ構造であるし、他の句も句末の名詞に向かって言葉が重なり合い流れていくということでは概ね似たようなものだ。こういう形容語の多い表現は兜子の性格によるところもありそうだ。よく言えば丁寧、悪く言えばしつこい。対象を細かく描写しているのは『蛇』『虚像』の俳句によく見られる特徴である。「音楽漂う」の鑑賞でも記したが普通ならばそこまで詠まなくともと思われるような、一見余分な措辞が目立つのである。だが兜子という人はきっちり表現して独自の世界を作り出さなくては気の済まない人だったのだろう。

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