戦後俳句を読む (20 – 1) ―「女」を読む― 近木圭乃介の句 / 藤田踏青

灯 中に神のような夜の女もあろう

昭和28年の「ケイノスケ句抄」(注①)所収の作品である。そこに圭乃介が生活していた門司や下関の港の裏通りにポッと灯がともる情景を思い浮かべる。この場合の「神」とは、自然界の万物を擬人化した存在としてのアニミズム的な発想のものではなく、現実世界そのものとして受け入れる汎神論的なものとして受け取れば「夜の女」への思いも自然と頷かれるであろう。そこでは人知を超える必要はなく、ただその女の精神的な無垢だけを見つめていれば良いのかもしれない。「灯」のあとの一字空白は灯から夜の女そのものへの視点の移動と、「灯」そのものの中にその女が浮かび上がるような効果をもたらせている。「灯」と「夜の女」とは必然的に補完関係にあるかの如くに。尚、この作品は次掲の作品と連作の形で発表されている。

近く笑う夜の女 離れる   昭和28年作  注①
からだ売る青い石ゆびに       々
コップ二つの等しい液体       々

これ等の句により夜の女が娼婦であることが解るが、圭乃介の眼差しはそれに優しく注がれており、立ち位置も同じである。その事を次の句が示してもいる。

 
虹茫と 女くらい肩していた          昭和54年作  注① 
かわいいもの手垢のない単語よっぱらい女   昭和60年作  注①

歌謡曲ではないけれど港に酒と女はつきもののようであるが、圭之介は昭和30年に上記の句の流れに沿った次のような詩を発表している。

「女」   注②
女の背の部分が
海のようにつめたくなる
汽船は寒流をのがれ 乳房を迂回し
胸の大きなうねりに咆哮する
なまあたたかい汐風に
へんぽんとひるがえる旗
青い海ばらに一すじ
女の黒髪がなびいている

この詩はコクトーの詩(注③)にも影響されたのであろうか。海を見つめている女の後姿に哀愁が漂っている。


注①「ケイノスケ句抄」  層雲社  昭和61年刊

注②「近木圭乃介詩抄」  私家版  昭和60年刊

注③ J・コクトー

「レア」  『寄港地』より(堀口大學・訳)
珊瑚のように
はだかのレアは
ベッドの上に腰かけて
カーテンあげて眺めます
港が海をせきとめる
帆ばしらの櫛で

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