俳句時評 第65回 中村安伸

さよならの向こう側の「読者」たち

ここのとこ句会をふくめ俳句関連のイベントにはまったく足が向かなかったのだが、8月31日、新宿ネイキッドロフトで行われた「期間限定短詩系女子ユニットguca解散ナイト ~さよならの向こう側~」を見に行った。gucaとは歌人の太田ユリ、俳人の佐藤文香、石原ユキオによる三人組の「期間限定短詩系女子ユニット」で、ちょうど2年前の2010年9月1日に結成され、電子書籍による機関誌の発行、各種イベントの実施などの活動を行なってきた。そして、結成当初から2年間という期間限定での活動を宣言しており、このたび予定通り解散する運びとなったわけである。実際に解散するかどうかについて一悶着あったということだが、人間関係のいざこざで崩壊したり、モチベーションの低下で消滅していくグループが多いなか、総じて未来へ向けての明るさと祝福に満ちたイベントであった。また、誰ひとり「卒業」という言葉を用いなかったのが潔い、あるいは季節にうるさい俳人らしいと思った。(イベント開始前の会場にはBGMとして菊池桃子、斉藤由貴、松田聖子らの卒業ソングが流されていたが。)

イベントは三部構成となっており、第一部は太田ユリの司会で、メンバー三人がスライドを使って二年間の活動を振り返り、さまざまなエピソードを語ってゆくというもの。三人が結成にあたってやりたかったことをそれぞれ挙げていたが、私の記憶によると太田が「(モデルとして)ヌード撮影」、佐藤が「フットサル、ロックバンド」、石原が「えげつないこと」ということで、目立ちたい太田、仲間がほしい佐藤、わが道をゆく石原とそれぞれに志向が異なっていたようである。一方、共通の目標として「モテたい」ということがあったというが、満席の会場を見ればその目標が十分に達成されたことは明らかであった。

第二部は石原ユキオの司会で、穂村弘、高山れおなをゲストに迎え、短歌、俳句について真面目に語るという主旨のトーク。第一部が彼女たちの来し方を振り返るものであったとするなら、第二部は解散後ソロとして活動していくにあたって、先輩たちの教えを乞うという体のものであった。

主にgucaが活動してきたこの2年間の短歌、俳句についてということで、興味深いトピックは様々あった。その一部を取り上げると、穂村が審査員をつとめた短歌の新人賞で最終候補に残った人たちの多数が無所属だったという話から、短歌の文体における世代間での断層が深いこと、一方で俳句ではそのような断層はほとんどないということが語られた。

高山によると俳句の文語は「しれたもの」である、つまり、文語と口語の最も大きな違いは用言の活用だが、俳句は用言を出来るだけ省略するため、口語と文語の違いによる影響が少ないと説明した。俳句において口語らしさを活かした口語俳句を作るのは、文語俳句よりもはるかに困難である。高山はこの2年間の俳句における最も重要な出来事のひとつとして御中虫の登場を挙げたが、彼女の作風は口語と破調(自由律ではない)を特徴とするものである。佐藤が師事しているとして名前を挙げた池田澄子もまた、口語と独特のリズムを駆使した作風で有名である。彼女たちのような「読者にやさしく作者に厳しい」作風が今後注目されていく可能性は高いだろう。作風に関して言えば、石原ユキオが「憑依俳句」という、作中主体として架空の人物を想定した連作に取り組んでゆくことを宣言していたが、俳句の連作やフィクション性に着目した試みとして興味深いものである。

第三部では解散セレモニーが挙行された。石原ユキオが「幸せになります。」と芝居がかった挨拶を述べ、お色直しした佐藤文香が「さよならの向う側」を熱唱。ここに1980年10月5日、日本武道館で行われた山口百恵の引退コンサートが再現された。gucaとして公式に明言していたかどうか記憶にないが(佐藤は今回のイベント中「アイドルになりたかった」という発言をしていたが)、彼女たちは一種のアイドルグループを意識して活動していたのではないだろうか。いわゆる芸能人でなくともアイドルというのはもちろん成立するし、短歌、俳句の世界でアイドル的に活動した人は過去にも存在していた。ただ、アイドルグループと言えるような存在は殆ど無かったと思われる。かつて黛まどか主宰の東京ヘップバーンがそれに類似した存在とみなされていたことがあったが、本人たちはアイドルとして消費されることは意識しておらず、俳句をレジャーの一環として消費するサークル的な側面が強かったように思う。

gucaをアイドルグループとして見た場合、三人構成は実にバランスが良い。実際のアイドルグループをみると、古くはキャンディーズ、少女隊、最近ではPerfumeやノースリーブスなどが三人構成であり、どのグループをみても非常に安定感がある。しかし、それが必ずしも良く作用するばかりでないのがアイドルの難しさである。アイドルファンというものはとにかく変化や刺激、新鮮なものが大好きなので、安定がマンネリに感じられてしまうとすぐに離れていくし、メンバー自身にとってもそれは同様であろう。その点、gucaが最初から期間限定ということでスタートし、そのとおりに解散した潔さは大変賢明であったと思う。また過去の詩歌アイドルには編集者などプロデューサー的な存在の大人がついていたことが多かったが、gucaは多くの先輩達の支援があったとはいえ、私の認識するかぎり基本的にはセルフプロデュースのユニットであったという点を強調しておきたい。

さて、イベントの合間には都合により参加できなかった関係者からの祝電披露が行われた。俳人の松本てふこからgucaの三人それぞれへ宛てたメッセージの中で、彼女たちをいわゆる戦隊モノの構成員になぞらえ佐藤を赤レンジャー、太田をピンクレンジャー、石原を黄レンジャーと呼んでいた。実際のアイドルでも、ももいろクローバーZやハロー!プロジェクトなどにおいて、戦隊ものの色わけにならい各メンバーにイメージカラーを割り当てることが行われている。スキルと華のあるセンターの佐藤が赤、少し天然でビジュアル担当の太田がピンクという配色は非常にしっくりくる。ただ、個性派でクレバーな石原には黄色よりもむしろ緑色を担当させたい気がする。三人のバランスを考慮しても、ひとりくらいは寒色系が必要である。

さて、グループの解散には再結成がつきものだが、その際には新メンバーを加えた四人構成とするのも面白いのではないだろうか。四人構成のアイドルは短期で崩壊することも少なくないが、上手く行けばそのいびつさがドラマをつくりだし、つねに新鮮な話題を提供し続けることが出来る。実際のアイドルとしては古くはセイントフォー、比較的最近ではメロン記念日や初期スマイレージといった強いインパクトを残す個性的なグループが存在している。もしメンバーをひとり加えるとしたら、個人的な希望を言えば赤のライバル的存在となる青担当のメンバーが欲しい。

さて、四人構成ではあるがアイドルというにはあまりにも地味(というと私以外のメンバーに失礼だが)な、堀本吟、大橋亜由等、岡村知昭、そして私中村安伸によるシンポジウムが9月8日に神戸文学館で行われる。テーマは「1970-80年代の俳句ニューウェーブ〈攝津幸彦〉を読む」であり、準備の一環として、パネリスト全員が攝津幸彦の句を毎週一句ずつ鑑賞するという試みを行なってきた。全七句の鑑賞が「詩客」に掲載されているので興味の有る方は参照していただきたい。

私が俳句に最も熱中していた頃に最も影響を受け、その作品を最も愛読していたのが攝津幸彦であった。ただ、その作品を他人に紹介したとき「わからない」という言葉を投げかけてくる人が少なくなかった。また、今年1月に現代俳句協会青年部の勉強会で攝津幸彦を取り上げた際にも攝津作品を読み解くための手がかりが欲しくて参加したのだが、という不満を漏らす参加者の方がおられた。俳句作品について「わかる/わからない」をひとつの壁とし、作品を受け入れるかどうか決めるという姿勢に対しつねに思うのは、俳句作品(には限らないが)がわかる、あるいはわからないということに絶対的な基準はなく、その基準は読者自身が勝手きままに決めているのだということ、そして、わかるということは作品を楽しむ上での必要条件ではないということである。私自身攝津作品に対して、これはこうだと断定的に言うことはできないし、言いたくないとさえ思う。私がある作品についてわかったと言った瞬間にその作品との関係はひとつの終止符を迎えることになるが、わかったと言わないうちは、その作品はいつまでも新鮮な謎として私の前に存在し続ける。

gucaの三人が目標とした「モテたい」ということを言いかえれば、読者を増やしたいということだろう。その思いは単に彼女たち自身のファンを増やしたいということにとどまらず、短歌、俳句全体の読者を増やしたいということにつながっていた。先の解散イベントにて太田ユリは短歌、俳句の作者と読者の数がイコールであり、純粋読者がほとんどいないという認識を語ったが、実際には読者の数は作者よりもはるかに少ない。他人の作品を積極的に読もうとする作者のいかに少ないことか。そのような状況において、攝津と同時代を生きた俳人の多くが存命であるうちはともかく、その後も攝津作品が読まれていくかどうかは、はなはだ心もとないのである。

攝津作品を個別にみると、わかりやすいものもたくさんある。しかし、そういう作品のみが選択されて残っていくのではダメなのだ。攝津作品の総体が、わかりやすいものも、わかることの出来ないものも含めて、すべてが読まれ、残っていかなくてはならない。どうしても選別されなければならないとしたら、その基準はわかるかどうかではなく、優れているかどうかでなくてはならない。攝津作品の読者を増やし、攝津作品を残していくために何が出来るか、それを考えるのがこのシンポジウムの目的であると私個人としては思っている。

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