ギフト   岡田ユアン


ギフト 岡田ユアン

じんわりと夜がなぞられて、なぞられていることに気づいてい 
ない私は山々を眺め、朝がたちあらわれるのを待っている。し 
かしたちあらわれるように朝はたちあらわれず、じんわりと夜 
になぞられて朝がしみだしてくる。闇はどのような選択もまだ 
許されている紫を生んで消えてゆくので、残り香だけは胸にと 
どめておこうとして深呼吸をする。そのとき、紫に与えられ許 
されている選択が私の鼻腔をとおり湿り気をおびて希望のよう 
に肺にはいってくる。これは私の希望なのかしみでてきた朝が 
つれてきた希望なのか、ぼんやりと考えながら所在を問わなく 
てもいいとどこかから声がきこえたようなので私はその声を声 
だと思うことにした。耳の迷路をとおることなくやってくるよ 
うなので声だと気づけないでいる声があっただろう。幾重にも 
空間は在って、折り合って、重なり合って、ところどころ融合 
していて、かいくぐって朝がしみだす。空間の層を濾過された 
闇がしみだしてくる。闇はまわる。ぐるぐると空間をめぐる。 
闇の磁力がたくさんの闇に似た言葉や思いや表情をつれて、パ 
レードのように空間をめぐる。ついてゆくもの、かたくなに拒 
むもの、見ようとしないもの、気づかないふりをするもの、闇 
が見えないものを闇は見る。闇からは見える。パレードがいち 
ばん賑わうころ始まりと終わりが一緒になってあとをついてゆ 
く。切り離せない二つはくるくるとまわって、まじりあったり 
離れたり。いつもどこかをめぐっているから、始まりと終わり 
が不在な空間も存在すると思う空間も存在するが、思うと思わ 
ないに関係なく始まりと終わりは空間をめぐっている。始まり 
と終わりの中を朝も夜もまわる。ぐるぐると空間をめぐる。私 
は定点になり画鋲のように空間に刺さっているからぐるぐると 
空間をめぐる朝と夜のなかに包み込まれる。始まって終わって 
始まって終わるから助詞の「と」はいらない。ぐるぐるでいい。 
円環よりも不整合で寛容で重層的なわたしたちのぐるぐる。か 
かるに、朝はしみだしてくる。紫があたらしい選択をするころ 
山々はさまざまな条件をのんで支度をととのえる。幹は地から 
しみだす朝をひきあげ枝葉からそわそわやわくわくやもりもり 
となってがつがつをゆるめてゆく。わたしの鼻腔に入ってきた 
ものは朝のギフト。毎日くりかえされている壮大で無碍なぐる 
ぐる。これひとつお返しにと私から吐き出される呼気がため息 
から遠くはなれたゆらぎであることを願って、ともに朝をすい 
あげる。

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