家族の肖像   望月遊馬

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家族の肖像   望月遊馬

野に咲くれんげそうのちかくで子牛が花の匂いを嗅いでいる、山桜のようであるが、はらはら降
る匂いに、ことばがでない。澄明な空気のなかで手をひろげ母の肺にうすまってゆく緑。春の匂
い。いつしか桜の木のしたで古い椅子が語りはじめる。彼が生まれた森のこと、切り倒されて―
―つまり倒壊した木材として人の手にわたり、加工されたこと。ひきわたされた家族のことや、
彼らが椅子にすわった感覚。それらもろもろがふと甦り朝から晩までひとしきり彼をさいなみ、
それ故に感情は雨降りだった。椅子はかつて重さに耐え抜くために日毎の奇想を自らの脳裏にお
しひろげたのだ。もしそうだとしたらそれはなんと感慨深いだろうか。この椅子は軽さのために
人をうえに乗せて泣き、重さのために人をうえに乗せて泣いたのだ。椅子のむこうで雨が地面を
ぬらす。椅子はたしかに壊れかけていた。椅子はある日、弟にひどく打たれて傷ついた土地に切
り取られた。残骸として。幼鳥のふくむ水へぬけてゆく朝の匂いはわだちのむこうで倒れた狩人
の胸もとの寒さに隠されているのだからおまえは詩を書く決断を迫られているひとりの詩人と
して生きそして死ぬことを良しとしない。おまえの明るみへ未だ断崖を削る人のやさしさはふと
朝顔の萎れた野辺へうちあがりそして陽谿の固さへふいに触れる。父と母の軋轢をここではいう
まい。しかし、わたしは寒い。機械のなかで円く眠る螺子のひとつひとつがわずかに撹拌されて
分解されほどかれてゆく山並みへ、青へ、到る原理的なしずけさ。機械はそうして解体してゆき
遠い日の記憶の夏祭りの浴衣の、少女のうなじへ鈍くひろがる。海辺の螺子がゆっくりとモータ
ーと接着部を分離してゆく。そのスピンドルの暗さであったり兆候であったりそれはときに形を
自在に変えたのだったが、もはや原形を留めないことを予習して夏はそっと幕を閉じるだろう。
だからこそわたしは、この夏を、詩に書きとめておきたい。それが最後の予習にならないように。
夏を書きとめておきたい。詩は予習ではなく、常に、復習あってほしいという祈り。つまり、詩
が回帰へと憧れるのを肯定したい。それは詩が一過性としての思い出を言い直すための、ひとつ
のことのはであるように。

 *

詩の世界では息をしてはならない。喉をつぶして声にならない声を喉元の闇へひきあげる。声以
前の声。するとひきちぎられるように声は延びて、やがてしずけさとなる。たとえば、うつくし
い歌というものがあるとすれば、それは岸辺の水夫を浮かべる水際の瞬間にある――つまり朝も
また、しずけさに近づく歌だ。死亡記事の載った新聞には、生命の断たれたけはいとしての静謐
と充溢する感動があり、またそこにはどこか孤独のいろがある。わたしという表層へらせんを描
きながら上昇してゆくあなたという深層がまた闇にひきぬかれる。二枚貝のような兆候を残した
まま。生存しているということは、息をしているということだ。そう言ったのは三年前の母。熱
烈にひろいあげられた花束を、おまえに捧げる。ひざまずいておまえに捧げる、花束よ。(詩人
はことばを失語として、ことばを綴る努力を架空のものとしたら、詩は、どのようにしても、も
う、生きなおすことができないのだから。)鴫のなく畦道を、湖畔を、ゆっくりとすぎてゆく小
舟。小舟をかつぐ男たち。詩人はその傍らで、もうひとつの小舟をあしらった黒髪の少女に、ま
えをむくように言う。まっすぐに生きるよう言う。髪にあしらった小舟が揺れる。うすくひろが
る海原の光の方へと双子の少女が覆されてゆく。少女の骨のくずれてゆく水上にある転覆した客
船。あてがわれてゆく少女の歌は次々と業火に折れてゆくのだから、客船のむこうに洞穴があい
ており、まるで焦燥ではないか、この感情は。そうだった焦燥だ。おまえの嬌声はいつも丘のう
えの水辺に響く骨格の冬だ。詩の焦燥はたちまち人の焦燥へとうつしかえられて、ぎりぎりの怒
りへとふたたびうつしかえられる。みたびうつしかえれて固く変異してゆき、そのまま詩は地に
沈着するだろう。冬はそのとき爪痕を耀かせる。「たしかにおまえは、ことばを好きだと言った。
そのくちもとに揺れる鈴のような影は、ことばを失った悲しみに震えていた。しかしことばは、
おまえに振り向かない。おまえの怒りは、おまえの悲しみは、存外しずけさだった。だからこそ
おまえは、ことばが好きだということを、まっすぐと慄然とした冬にむかって、叫ぶだろう。あ
の塔のうえで」そのとき朝は、ゆっくりと故郷をいだき、そのくちうつしの水滴へ、滴下される
ぬくもりへ、しずかに書きとられる。

 *

炎上した客船の最終列車のようなしずけさは、突如として疾走するおまえのことばのように、火
を放つ闇のように、いつもかしいでいた。少女の歌はそのとき突き刺さるように屋根に降りてき
たのだったが、わたしは少女を知らなかった。少女のまなうらを知らなかった。なぜ少女は死な
なければならなかったのか。語るべきことばが、今はない。未だにない。しかし、少女であった
はずの母は(あるいは母であったはずの少女は)そのときのことを、怒りをふくめて供述するだ
ろう。脳病院の桜の木のしたで編み物をしながら、いましも母は蕩けていた。青年の彫像がくず
れる春の牛舎にぽつんと立つ少女。その右ポケットに入っていた薬指の骨は未だにくずれること
を畏れない。あのときの少女は父の帰りを待っていた。牛舎の暗い女の伸びる舌の先端にぬれる
石化した光のなかに聳え立つ牛。牛は手紙のようにそこに置かれていた。そっと。だとして、わ
たしは女の背景で眠る数多くの星たちに名づけえることばを持たない。だから、ことばは冬を極
限へと導いてゆく。母は自らの体を失い、透きとおってゆく。水辺に、透きとおってゆく。ゆら
ゆらと頼りなげに揺れている母の乳房は、青い山へ入る男たちの武骨な肉体へと宿る。母は少女
であり、少女は母であるのだから、ことばは環境であり、環境はことばでもあると、無辺の地に
書き付けられたあまたの文字が立証しうる限りのことばを総動員して、この空間を決死の文字列
で埋める。詩はそうして意味のない文字列から統制されてゆき、ある統一体として白い紙のうえ
に宿ることになるのだったが、ほどけてゆく母音のなかに遺志を込めようと母はいつもくちずさ
む古い歌をうたいなおして死んだ少女のことばを、未だにうつくしくほどいてゆく、前のめりに
なって――女の声で以ってその無辺へとまた文字を機械配列した。あるとき母は臙脂色の服を着
て出かけたのだったが、母の周りはとたんに草原へとうつりかわり、さわやかな風がふいてきて、
母はそっと目を閉じる。母の脳裏には子どもの顔が浮かんでは消えていったが、頬をくすぐるさ
わやかな風がつとこぼれおちる涙にふれていることに母は気づかずわたしや弟の名を呟いては
崩れて、また呟いては崩れた。つまり体が体として成立しない世界では、ことばがことばとして
倒立しない世界では、わたしがわたしとして存立しない世界では、遠ざかるきおくですら自浄し
なければ遠くからは見えない。それだけ呟いて、母は浮遊しながら夜明けの海へ消えていった。

 *

僕はいつ、母の自浄作用へと取り込まれて、生きているのか死んでいるのかわからない曖昧な境
界へとせりだしたのか。わからないまま連綿とつづく野道に取り込まれる。かつて母は野道が好
きでまっすぐにまなざして青い山へと歩いた。途中、牛があらわれてのっそりのっそり野道をゆ
く。誰かの手に繋がれて自縛していた僕のまなざしを牛はほどいたのか。錠前は固く、それにし
ては暢気なようすで、そして母は笑っていた。青い山へ入ると不思議と感覚が麻痺したかのよう
に果てがなくなりふれてもふれても完結してしまう。ほどけてしまう。ことばは完結することは
ないのに、どうして体は物理的切断のようにふいに完結してそれきり動かず、ただ冬へと匂い立
つのだろうか。死の機械。夢の機械。彼らがほどけてゆく解体の場面。詩のむこうにくずおれた
父の、そのくちびるに、いまいちど詩を宿らせるための用意があったのかどうか、詩人は父を抱
いて冬の闇へ消える。僕は欠番の三番を着てこれは永久欠番だったか、そうだ永訣の朝、おまえ
のかわりになることばが見つからない、見つからない。輝ける航路へ、あまたの交響楽へ、こと
ばは船出するから。だから旅人はいつも永久欠番だ。バッハを聴く父の胸もとに造花のガーベラ
をあしらって一角獣の眠る冬の街路にこぼれだす。ロードローラーのひかれる艶やかな樹木にく
ちづけを。「僕のむこうで詩の女が眠る。そのころ詩の男は自白の庭に降っていた。僕は装飾さ
れている。ことばに。」けれども僕は永久凍土に沈む舟の黒い船体へうかべた祈りにいまいちど
ことばを顕わしたい。そうすることで僕は僕を生きなおすのだから。僕は、詩人の記した自分史
の個人的な喜びや悲しみ、怒りといった感情に映画をみつけて冬の風のすぎる街を見つめなおす。
「いったい誰が朝を迎えたのか」見つめ直す。そうしていれば、わたしがわたしであるように。
僕が僕であるように。

 *

歌うたいの頬に冬の穴がひらく。きみはその歌を胸に包んでやがて訪れる雪を見つめているだろ
う。虹色の鳥は羽ばたきながら、わたしへ耕畜されるうつくしい野辺の響きとなる。するとわた
しはきみを包む冬へ。微光へ。霞みながらうつしとられる。きみは靄のなかで夕闇をゆうやみへ
とほどく、夕闇をゆうやみへ、ゆうやみを夕闇へ、ことばのなかで母は生き続けるから。母は弟
を兄や姉の虐待から守るために、天国の永久欠番を許したのだろうか。あの場所には母がいたは
ずなのだ。母の背番号はいつも空白だ。だとして母は、過去と未来といった直線上の通路を行き
来する、ある了解によって、いつしか時間を許した。だからこそ、母は家族のまえにあらわれた
のだ。しかしそれがわからない。母のことばは、冬を生き直すのだ。ことばはことばとして横臥
している。生き直すのだ。くうはくから空白へ、空白からくうはくへ。母の舌へ圧しつけられる
白。母の美学はいつも朝を求める。朝に母は詩をひきよせるのだ。母が書き継ぐ詩のむこうでは
青い山がしずかに揺れている。仏壇の母の遺影は、いつも、わらっている。きおくのなかの母も
いつもわらっている。「救命ボートの訪れる波打ち際。それは決死の祈りであるから、わたしは
わたしを射抜くのだ。わたしの決意において、情緒ではなく、いや、情緒によって、ことばの自
由さそのものによって、わたしはわたしの詩を射抜くのだ。そうであればいい。」

 *

母は幽霊であったという事実をひとの無意識へ浸透させる。つまりひとの夢枕に立ち、眠るひと
の耳元で囁くのだ。実体のないからだの処遇を。そしてまた母は言う、子どもが、わたしの子ど
もが、無事でありますように、と。冬の深層のむこうで母がひらひらと漂っている。「わたしの
生活は、まるで朝顔の押し花のようなものだ。」炎上した小舟に水の音がすべりこみわたしとわ
たしでないものが柩から這いだしてくるのを耳で予感していた。母が背後ろに青い山を感じなが
ら水辺に透きとおっていく。そして母は消えていく。山はその途端、わたしを追いぬき冬へと返
り咲く。母のために微笑していたひとたちは逃げるようにそこを立ち去る。抽象的な物言いでこ
とばの共担を顕わしていたのは母をとりまくひとびとの方ではなかったか。そのさなか母だけは
ことばを筋肉や骨格としてとらえなおし、より正確なことばの相貌としてうけとめていた。「母
が詩を書いていたのは高校時代。あとにもさきにもそのときのみであったから、詩は母の思い出
のなかではいつも制服姿をしていた。」

 *

水層のなかでおまえの詩はひらくだろう。重たい敷石のならぶ街頭でもおまえの詩はひらくだろ
う。怒りへといたる奏者たちの白皙の指にも詩はひらくだろう。しかし、いつ詩はひらくのか。
国境に詩がひらくとき、またしても風紀などということばによって詩は取り締まられる。しかし、
わたしがおまえを信じる限り、ごく個人的なことばだけが生き残り、書簡として、したためられ
る。輝かしい完成をみる。母はいつも小さな外灯をたよりに濁った水の芯のない流れに指をさし
いれて、この世界をまたしても渡っていったのだったろうか。母のことをよく知らない。母の時
代を生きてこなかったのだから知らないということを責められても、身のひるがえしようがない。
けれども、母のことを知りたいとも思う。ことばを知るようにして母を知ることもまた手段なの
か。朝、ことばは目覚めて、顔を洗い、服を着替え、ひとの往路をおもうほどに冬の身支度をす
る。ことばがそのとき、ひとつの灯りとしてあるように。詩人の背に、火が灯る。火は遠景とな
った峡谷を靄のなかへみちびき地を照らしながらしずかに撹拌しつつ消える。そのとき詩人のく
ちもとの鈴が燃える貨車となり背をふたてへわける。詩人の母はいつも夢を綴っていた。わたし
たちの方が夢となり綴られていたのだとすれば、どうしても弟のことが気がかりになる。弟が仮
象となることに母は耐えられない。それゆえに母は自ら綴る道を棄て綴られる道を選んだのだと
すれば、そのときになって、ようやく母が仮象になる。その時点を女学生として母が生きたとす
れば、母は二度死んだことになる。だとしても、かつて母はわたしたちのまえにたしかにいて、
そのことを記憶している。このときに仮象などと言ってしまった己の浅さを恥じることにもなっ
たのだが、

 *

朝な夕な、ことばを削る職人のように、あなたは生きたいと言った。透きとおった残照は葉のす
れあう朝のことばへ削られてゆくだろう。暮れなずむ夕ぐれに洞穴へ侵入する旅人のことばへ置
き直されてゆくだろう。獣の声が森に響く。銃声が森に響く。そのとき詩人の悲鳴が森に響く。
たとえ生かされなかったとしても、死とひきかえに子をなし海を渡る。無人島の砕かれた浜辺の
少女の遺骨がいつか世紀をこえて母と通じあう。三葉虫のうつくしさ。母は研摩されてゆく貝殻
の古代へと融けあい捻じれて海へ還されてゆく少女の肢体へ夏をひろいあげる。海から這いあが
ってきた貝たちの匂いを馬の群れが嗅いでいる。馬は父のうまれであり貝は母のうまれであった。
故郷を持たない子たちが、ゆりかごのなかで泣いている。よく見るとゆりかごのなかには無数の
小石が眠っていた。母はしばらく小石たちをあやしていたようだが、やがて、夢をほどく機織り
の女の痣へとくちづけた髭の男と駆け落ちしたようで機械の女をまさぐった光の男は王であっ
たがその隣の王女へといたる数世紀の歴史、書をひもといた。ときに母は朝をひもといた。「母
のとなりには美少年がいて、わたしは彼の涸れた性器に原風景として荒野をみつめていた。少年
はそのとき相貌を冬のむこうに追いやる。未だ夏に至らない夜明けの窪地へ光をうけとめていた
のだ。ひらひらと夏が降りてくる。これは幻視だったか、手のひらのうえで海が揺れている。浮
き輪。ビーチサンダル。母が地平線へこぼれだす。美少年は母を抱き上げ短剣をみぎてに髭の男
に切りかかる。そのとき母はいまいちど制服をたたむ少女の姿として現われた。三つ編みのもっ
とも似合う年頃に母は詩を書いたのだから、詩はいつも校庭に整列している。」母には女友達が
三人いて彼女らに自ら書いた詩を読ませていた形跡がある。それは父が述べたことであるが、も
う昔のはなしだ。夏の夜、母はうすく漂う。

 *

母はアパートのドアを叩いた。おまえへの復讐のように、叩いた。手紙には火が灯され、ドアは
崩される。籠城する女。それは目に見えないもののためのことば。脳病院の虻は雨上がりの葉の
うえで震える。旧い家の桜が巨人のように葉をひろげて、待っている。母を待っている。母はい
ずれ木の内に取り込まれてひとでないものになる。母がうまれたとき、母の母つまり祖母は瀕死
で、しかし、いずれ持ち直すことになった。夏だった。うぶゆのみちる風の道を母は這っていっ
た。そうしてできた轍に夏の水底が漂い霧がひらけた。母は生後一か月でことばをしゃべったと
いう。小学校にあがるころには折り紙でことばを折り、ことばにことばを編みこんでいった。す
るとことばはほどけてゆく。濃霧のなかをヘラジカのように駆けぬけてゆく。湖の端に陰をつく
る光の輪をくぐる生娘たち。これが夢なのだとわかっていながらも母は悪夢に魘される晩をひと
つ、ふたつ、くりかえしていた。

 *

母がいなくなって、再び現われるまでに何回かの夏が通過したはずだった。蝉の鳴る森のまえで
少女は白いスカートをふわりとさせた。少女は母自身であったかもしれない。母の生存の最後を
飾る母の最後の額縁でありえたかもしれない。そして母はいくつもの写真として胸に秘められて
いる。母はいくつめかの夏を味わい、味わいかえし、また、闇へと帰ってゆく列車として、線路
のうえをまっすぐゆく。母は列車だ。いつまでも風のように走る貨物列車だ。湖の畔をひたはし
る母の列車は、少年に覆われて、思い出のなかの車掌のてのひらへ、もういちどてわたすのだ。
天国的な切符を。夢見心地にてわたすのだった。それを少年はにぎりしめて、いまいちど青空へ
とのぼってゆく。母の列車を追いかけて、少年の飛行機は市街地を飛びまわり、いなくなった旅
人の火を、見つけようとしていたが、それも、もう夏の終わり。懐中時計がぽつんと路上に置か
れている。秋だ。ベッドのなかで母が眠る時間が増えたころ、わたしは学生として母の思い出を
ペンの先端へ集めていたが、綴られることばには母が宿らない。それがもどかしかった。ペンは
母を語らず、ただ、自惚れの綴られる秋へ。うつくしくないわたしの思い出。

 *

母の葬儀で知らない親族がたくさん集まって、わたしにはどうすることもできない。節制した生
活と規律のある日常に、母という空白がひきぬかれたのだ。母の料理は母の味がしたが、わたし
の料理はわたしの味がするだろうか。なつかしい、思い出のぬくもり。葬儀で、僧侶がひとつ、
ふたつ、幻を唱えていて、ことばの靄は、たとえば枯山水のような、寂しげな風景を、また鮮や
かに閉ざし直した。庭園は再定義されうる。わたしは少女だから、スカートを履くのではなく、
少年であったとしても、スカートを履いただろう。問題は、わたしの心にあるのだから。からだ
はいつも外部でしかない。母が履いたスカートが、たたまれて、そっと置かれている。手をかさ
ねると、わかりあえるように。「わたしは、わたしらしく。」詩人としての母は、高校時代を颯爽
と生きた。親族にそう聞かされてわたしはセーラーの母の胸もとへ、ことばを届けたい。そのと
きのゆいいつの、わたしのことばを。わたしだけのことばを。届けたい。秋、わたしが唾棄した
のは、わたしの感情だ。燃やされることのない、感情だ。海のむこうで、鷗が低空飛行をくりか
えしている。それをわたしは見る。鳥たちは、飛行する折り紙なのか。す、とすべるように薄暮
の空を吹きぬけてゆく。そして紙は折られて水辺のしずけさのなかで閉じて石となる。手のなか
で、形を成すことで、ひとは指先に鳥をとまらせる。紙の鳥だ。そうか、鳥たちは、飛行する折
り紙なのか。

 *

母が弟を抱上げて子守り歌をうたう。戦略的に。弟はわたしの背をすべりおりて雪のなかへ突貫
する。それは冬だ。湖畔には少女の忘れたレースの刺繍、その花見月の素描、打ちあがった岸に
浮かぶ怒声はついに口を塞いだのだ。いましも弟は冬に塞がれる。突破口はあるか。この不浄の
友を、いつしか見わたした風の少女へ。手紙はいつも書かれたままだ。「わたしは弟と手をつな
いで防波堤から海を見る。弟はすこしだけおびえている。波と波の間、白い闇の肌理におびえて
いるのか、もしくは、喪われた母の声のあるべき空白に、おしあてた舌の、震える湿度に、おび
えているのか、わからない」わからなかった。弟の手をぎゅっとにぎって、遠く耀きだした波打
ち際の底へ、降りてゆこう。母は弟に同情したのではない。家族という単位に、甘えることのな
い弟の「毅然」に、母の胸が打たれたのだ。稲妻のように、「母は弟になにもしてやれなかった。
虐待される弟の代言役や憑代となることを拒み、母は母の道理を通したのだ。だとすれば、やは
り、母は、兄や姉をある意味では赦したのだと思う。いや、赦したというよりも、信じたのだ。
兄や姉が、弟を虐待することを、まなざした瞬間を、また、過去の断罪へ置きかえる母は、もう、
ひとではない。もっとしずかで確かなものになったのだ。兄や姉も母にとっては子なのだから、
弟への想いと同じ分だけ抱えた寂しさに母は苦しんだはずだ。その苦しみを、わたしはけして忘
れない。忘れないだろう。」「母のハンドバッグがぽつんと置かれてある。これが母の遺品だとい
うことを、ひとは忘れてしまうから、今日だけはきっと、このハンドバッグを手にして、憧れの
あの街にでかけよう。胸をはって、でかけよう。わたしはもういない母へ手紙を書いたことがあ
る。幽霊の母が、読むことのできない、ことば、という道具をもちいて、拝啓、おげんきですか、
わたしの母への手紙は、いつでもすこし色褪せている。お母さん、ことばってなにかわかります
か? 」幼少の記憶が鮮やかなのはなぜだろう。それがいつも一過性を約束された通行券だから
だろうか。駅のまえで提示すれば、道はひらける。それはもう否応なく。退路はない。だからこ
そ、わたしは弟が幼少と呼びうる年齢のうちに、この権利を弟に受け渡したい。そのとき、わた
しはしずかに封鎖されるだろう。わたしという庭園に咲いたいくつかの巨木はしなりながら風を
巻き取りすこしずつ千切れてゆくだろう肌をぬらす水門の傾斜に浮かぶ一艘の小舟がひとりで
に波打ち際でくずれてしまうときわたしと母が手をつないで水平線にすすんでゆくそれはいつ
もどこか眩いからわたしは眸を閉じてかざはなの匂いへうもれる。「幽霊の母ではなく、生きて
いる母として、瞬間、瞬間、を飲み干してしまう。それは遠い記憶。忘れてもいいよって、言っ
てくれるひともいるだろう、遠い記憶。それでも忘れないだろう。弟と手をつないで、桜の木の
した、母の埋まっているあたりに耳をおしあてて死後の呼吸を聞くのだと、父は、うなずいてい
たが、そのようなことは誰もできはしない。」

 *

海にも層があり水の層と水の層の間にさしいれたオールが前進してゆく船体の横倒しになった
人体の骨へ波のぶつかる音や心音が混じりあいみだれて水の層は深くきりこみをつくりからだ
の先端を鮮やかに浮かべるからわたしは投げだされた海面でクロールをしながらすすんでゆき
冬の海に凍えながら岸にくだける。「きみの眸に凍えながら冬にくだける」辿りついた岸ではあ
はあと息をみだして胸のなかで逆さまにうつるきみの眸にまだはあはあと息がみだれて船が漂
流する海のむこう手をのばせば波音は耳に侵入してくるだろうわたしは泳ぎ着いた島にひとつ
ある民宿にとまりぬれた服を脱ぎ石鹸を肌にすべらせてゆくしゃぼんは鼻につき浴室にあわあ
わとひろがり喪われた冬を水面におしつける。「なあ、きみはいつからそんなに枯れて、ことば
を奪われてしまったのか? 」やわらかな春のけはいは足もとからはじまり足から踝へ踝から脛
へ脛から膝へ膝からさらにじわじわとのぼってゆくだろう白い花を咲かせながら匂い立つよう
な春の段々畑へ農婦のような温みが近づいて納屋にねむる耕運機のしずけさあるいは寂しさは
そうして顕在化するのだから。詩のむこうにもやはり海はあり、母のむこうにもやはり山があり、
父のむこうには闇があり、わたしのむこうには風があり、弟のむこうには太陽がある。そうして
越えてゆくものの数をひとつ、ふたつ、数えているとふいにきざす春が弟を覆う。弟と手をつな
いでいつかのぼった禿げ山のぽっかりと開いた孤独の(いや、あれは山が孤独なのではなく)山
に棲む獣たちの孤独なのだと、遠吠えを聞いてはじめて知る。オーベルマンの谷。

 *

詩に、清潔な夢を見る。清潔な、ということばは、昔、母が好んで使ったことばだ。詩を書いて
いた高校時代に、呼び戻される、たびたび。しかし、そのことで母が苛まれたことはない。母の
となりで弟がすやすやと眠る。母は弟の頬や小指や背骨にあまたの星を名づけてゆく。星は縫い
付けられてふいに名を失う。星を降らせる神の指先のように、北斗七星。ひろがりをもつ。詩が
星なのだとすれば、星は弟のからだにちりばめられている。「母は高校時代を終えるとそれっき
り詩を書かなかった。それがなにを意味するか。詩との決別だとか、そういう美辞麗句で語る用
意はない。潔癖だった母が、詩の「完全」を畏れただとか、そういう神経症的なことばの手つき
で語る用意も、ないのだから、それ以前に、母が詩をいつ深めたのか、それすらもわたしは知ら
ない。わたしは、本当は母のことをなにも知らないのかもしれない。幽霊になって漂っている母
のほんとうの気もちも、声を失った母からはまた遠く見失う。いつだってそうだ。わたしは母を
見失ってばかりだ。」詩人のポケットに入っていた水晶の紙片が割れて、なかには、太陽が鈍く
泥のように沈んでいた。それは、やわらかな決壊。流れゆくものがある。水晶の鋭角に溜まる光。
蜃気楼のような母の手。遠くで振られている手。浜辺ではいつも何かがつぶれる音がしていた。
星条旗には光の名を与えよう。旗にはわたしだけの匿名の記述があり、ひとはこれを詩と呼ぶ。
救援隊の訪れた岸に、瀕死の詩人が横たわり、ひとびとは胸を痛めている。詩人はかつてこの季
節を匿名の詩人として生き、そして季節のながれに任せて詩人として死のうとしているのだとし
たら……。しかし、誰もがそのことを忘れてしまった。母が詩人であった、詩人でありえた、ご
く一瞬のきらめきをここにうつしとるように印字すれば、ふいに風がひらりと舞って岸は遠ざか
る。オールはいつも水面を通過して光の方へとながれてゆく。遠い写真。母が赤ん坊の弟を抱き
上げている。にこやかなようすで。

「いつもの冬が、また、来たのだった。北の方から」

弟が幼稚園に入るころ、弟を虐待していた兄と姉はすでに素行不良で、学生でありながら、バイ
クやスクーターに乗って、恋人のもとへ駆り立てるように走ったのだった。兄も姉も、本当は、
冬を見失うことを、冬が冬に埋もれることを、理解していた。(遠い場所で手をつないでね)雪
のなかで、どうしても家族の肖像は不自然になった。不格好な家族。それでもいい。進んでいこ
うという気もちだけは失いたくなかった。わたしがまだ幼いころ、兄も姉も幼く、しかしおもざ
しはわたしよりも少し大人びていた。わたしは兄や姉を頼もしく思っていて、たとえば兄がバス
ケをしているのを、姉と並んで見た夕ぐれ、それはどのようにも改竄されない。思い出はうそを
つかない。残酷なほどに。母が亡くなった時、兄も姉も泣かなかった。ただ、弟だけがわんわん
と泣き、けれど母が亡くなったことを弟は理解していない。それくらい幼かったのだ。母の本棚
に、母が高校のころに書いた詩がそっとはさまれていた。気づいたのは母が亡くなってからだ。
あのとき父はひとりぽつんと部屋におり、母の詩を読んでいた。その父の背中を、わたしは見て
育ったのだ。

 *

カサブランカの咲く庭に、雨を降らせよう。融液のように蕩けだしたわたしであるから鏡のうえ
でもつれあい意味を失い冬へと墜ちると避雷針がぼうと浮かび地層に見えかくれする沃野のし
ずけさおまえは今なお母の匂いに声を沈める雪のきざしへ響きあう打撃音をくりかえすわたし
であるのだろうか少年のまなざしを母のまなざしにおきかえて「さよならは足音のなかに隠れて
いる」知らないだろう牛たちが鳴きながら王国をめざして出発した夜明けのことを。旅団として、
牛の群れが角を尖らせて野道をゆく。そうだ、わたしは母の知らない国へいつか行く。母のこと
を想いながら、それが遠い宛先であることを知ったとき、差出人不明のまま「白さ」へ投函する。
自明であることは、必要ではない。わたしたちの雨は、わたしたちを、わたしたちの肌を、こう
して濡らすのだから。沈丁花の蕾の仄かな光。母はいつか光を浴びながら受話器をそっと伏せた。
そのきおくの文面には、母の思い出が遠く滲んでいるのか。しかし、母はいつからか思い出にな
ってしまい、そのことばはすべてが星の匂いをさせている。

母のむこうでは、未だに星を抱いた水牛が、遠い虹にむかって駆けている。

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