体温 H・E氏に 法橋太郎
ドアを開いてジョージは旧い厚手のジャケッ
トを着て立っている。まあどうぞとおれを招
き入れる。おまえは紅茶の袋の底を叩き粉(こ)に
なった紅茶を陶器の白いポットに入れ、湯を
注ぐ。おれにはもう夢なんて残ってないんだ
よと言っておまえは紅茶を淹れる。ふたつの
マグカップに淹れられた紅茶をまえにしてお
れは言葉に詰まる。
おおジョージ、しかしおまえが淹れてくれた
紅茶はここにある。夢が紅茶の粉のように砕
け果てたとしてもおれに淹れてくれた紅茶は
本物だ。マグカップのなかの薄い紅茶に粉と
なった夢が渦巻く。ジョージ。おれはおまえ
の手の甲に掌(て)を置いて思う。おまえの夢が亡
くなったとしてもおまえのいのちはここにあ
るんじゃないかと。
しかしね、とおまえが言う。おれは寒いんだ。
この夏になっても凍えることがあるんだと。
嘘と汚辱に抗って生きてきたおまえの腕が震
えを堪(こら)えるようにしてマグカップをとる。喪
った祖国。祖国にいながらの遠い祖国。おま
えはそのために今でも闘っているんじゃない
のか。いのちを震わせながらそうやってまず
みずからと闘っているんじゃないのか。
それをおまえに納得させるどんな言葉もおれ
にはない。おれが何を言ったとしてもおまえ
は頑固に否(いな)と言うだろう。お元気でとおれが
おまえに言っておまえの身体を渾身のちから
で抱きしめる。おまえは嬉しそうにすこし笑
ってまたなと嗄(が)れた声で別れを告げる。おお
ジョージ。おまえはまだ闘っているはずだ。
斃(たお)れるまでいのちのかぎり立ちつづけるんだ
ジョージ。おまえがそうであるようにおれは
おまえの体温を忘れない。