戦後俳句を読む(18 – 2) - テーマ:「月」 - 戦後における川柳・俳句・短歌/兵頭全郎

泣きに出て月夜はいつもいいきもち  笹本英子
(1951年『句集詠ふ人々』 岡橋宣介選)

「句集詠ふ人々」は、せんば川柳社編者の岡橋宣介が創刊3周年を期して刊行1年目の掲載句から精選したアンソロジー。当時「川柳非詩論」が盛んに論争されていて、「柳樽の価値を充分に認めつつ、その川柳精神を現代感覚をもってつかみとろうとする、文芸性を重視した立場を取った。これは新興俳句運動に加わった経験を持ちながら川柳を選んだ、主宰者・岡橋宣介の理念でもある。(大西泰世氏の評より)」という流れの中の句である。この句には特別な読みは不要であろう。

前に戦後の貧しさのとらえ方について川柳と俳句の違いを挙げたが、三詩型の中で早々に戦後感を切り捨てたのは川柳ではなかったか。もちろん特殊な資料(毎年1作ごとの年度別のアンソロジー)を基にしているので偏りはあるのだろうが、特に短歌はこの後も戦争(反戦)や思想的な語句が多く続き、俳句にも戦争とか革命とかの言葉が散見される。一方川柳は50年辺りから一気に単語レベルでの語句に軽さを増し、貧しさは残るものの、こと「戦争」についてはあえて「書かない」という選択をしたのではというほど、その匂いを消している。先に挙げた「現代感覚」を川柳が書くとき、「過去に~~がありまして」から始めると「現代」に間に合わなかったのだろう。とにかく今、目の前にあるところから書き始めたのが当時の川柳精神といえるのかもしれない。

月下の宿帳
先客の名はリラダン伯爵  高柳重信(1950年 『蕗子』)

「リラダン伯爵」は19世紀後半に活躍したフランスの劇作家で神秘趣味、恐怖描写に特色があるとか。今回のテーマ「月」は、和洋関わらずに神秘的な意味合いが強い。虚構の世界の宿帳に書かれた名前が月下の光にぼんやりと浮かぶ様は、まさに神秘的。この句での多行書きには、宿帳をめくる時間経過が含まれているということだろうか。「月光」は秋の季語らしいが、ここでは季語としての蓄積よりも「リラダン伯爵」がもっている作風などの後ろ盾が句意に大きく寄与している。日本で翻訳されたのが1920年頃かららしいのだが、当時どの程度知られていたのか(今もそれほど?)は不明である。ただこの部分での知識の差は当然読みに影響するだろうが、「月下の宿帳」という演出だけでこの句はある程度まで仕上がっているともいえる。

わが家のくらし一日ごとの勝負ぞと胸せきあげて月の下ゆく  山田あき(1951年 『紺』)

この歌集は終戦を契機とした女性歌人の「心の噴出」と解説にも書かれているが、戦後の貧しさのドキュメンタリーのようだ。このようにストレートな感情表現の中で書かれる「月」とは、神秘性よりも「高み」の象徴と感じ取れる。先の「月下の宿帳」という神秘性よりは、その前「泣きに出」た先の「月夜」の方に近い。短歌の強みは「月の下」にいく前に「胸せきあげて」というベクトル付けができることだろう。つまり川柳では「月夜」という設定に「泣きに出て」という一方向の動きしかないが、短歌では胸からこみ上げるという上方向の動きと「月の下」という下向きの視線がぶつかることで感動を強めている。同じように暗闇に浮かび優しく照らす「月」へのアプローチが、詩型(言葉数)の差で明確に現れている。

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