仁和寺の櫻へ子供背伸びする 藤本蘭華(1946年 川柳京洛一百題 番傘川柳社編)
終戦後1年、昭和21年10~11月にわたって行われた京都市・市民文化祭協賛の番傘川柳社主催「川柳京洛一百題大会」に寄せられた句を収録した合同句集。掲出句の兼題は「仁和寺」である。兼題はこのほかに「知恩院」「寂光院」「先斗町」「嵐山」「大文字」「祇園祭」などなど、京都にまつわる言葉が100題揃えられたようだ。良くも悪くも川柳の場合こういった「題詠」や「大会」といった制度が後の流れに大きく影響しているのだが、一旦は置いておく。それにしても100題とは揃えただけでも凄いが、それに投句された数を考えるとこの大会でのエネルギーが思い起こされる。
仁和寺の桜は「御室桜」と呼ばれ、京都の数ある桜の名所においても特に人気の高いスポットである。一般的なソメイヨシノではなく高さが2~3mと低い里桜で、江戸時代から変わらない姿だといわれている。この高さを知っていれば「子供背伸びする」の風景がはっきりと想像できるだろう。ただ桜の名所と言われるところはたくさんあって、例えば円山公園にあるしだれ桜なども「背伸び」して届きそうな気がする。川柳には句に用いる言葉の固着性とか必然性が足りない場合「動く」という評価がなされるのだが、この句の「仁和寺」は「動く」可能性が高い。今でもどこかの大会などで地名が兼題になった時「~の桜へ子供背伸びする」と書いて出せば、十中八九選ばれるだろう。
春雷はあめにかはれり夜の對坐 鈴木しづ子(1946年 春雷)
解説によると作者は「伝説の女性俳人」といわれ、アプレゲール俳人としてマスコミに脚光を浴びたそうだが、後の川柳での時実新子ブームに似た様子だったのだろうか。「夜の對坐」の重苦しい空気感が「春雷はあめにかはれり」という時間の流れとリンクしながら緊迫して読者の中へなだれ込んでくる。「春」というどちらかと言えば華やかな季節を題材としながら、逆にこの激しさや重さを際立たせている「春雷はあめに」という表現の迫力は圧巻だ。先の「仁和寺の~」と比べて、その世界観とか洗練された言葉の質感の差に愕然とする。もちろん表現として凝縮されたものと開かれた場の空気に流されたものとで根本的な違いがあるにしろ、やはりここまでに蓄積された部分の差が大きいように思う。
しらじらと櫻の花のさくみれば干戈をすてし春のしづけさ 土岐善麿(1946年 夏草)
Wikipediaで調べると、何だか凄い作者なのでそこは割愛する。「干戈(戦争・武力)をすてし」という時代の言葉を他の句語がしずかに包み込んでいる。ここに描かれた「櫻」は桜吹雪のような激しさではなく、ただ凛と花弁を広げた様をしずかに表している。あるいはこの静かさこそ作者の「希望」であったのかもしれない。いずれにせよゆったりと無理のない言葉選びが、パステル調あるいは単色系の絵画のような空気感を描いている。
NHKの短歌や俳句の番組では「兼題」が用意されているようだが、それぞれの世界でこの「兼題」がどのくらいの割合で作句・作歌に使われているのだろう。番組を見る限りは、作品が選ばれることはもちろんなのだが、選者はそれぞれにどう読み、どこを選んだのかを話す。もちろん番組として淡々と選ばれた作品を発表するだけでは持たないのだろうが、短歌・俳句でこれらの部分を語るという文化が根付いているのであろう。一方川柳では、選ばれた作品を淡々と発表していくのが通常である。最近でこそ選者が講評を述べる会も出始めているが、下手をすると句への評価ではなく、そこに書かれた内容(ことがら)についての感想に終わってしまうことも多々ある。作品の評価は、何を書いたかではなく、それをどう書いたかであると思う。