戦後俳句を読む ‐ 執筆者紹介 ‐近木圭之介の句/藤田踏青

近木圭之介の句

明治44年に荻原井泉水が創刊した自由律俳誌「層雲」(平成4年に「層雲自由律」と「随雲→後に層雲と改名」に分裂し、現在に至る)は今年百周年を迎える。昭和40年に井泉水は秋桜子よりも先に日本芸術院会員になっているが、戦後に俳壇とは一線を画し、孤高の姿勢を貫いた。その為、自由律俳句としては山頭火、放哉ブームを除いて一般俳壇との交渉は少なく、その現在に至る変遷は余り知られていない。その戦前、戦後の自由律俳句に於いて常に現役作家として存在し続けてきた近木圭之介の作品を通して、山頭火、放哉とは異なった戦後の自由律俳句の表情を示す事が出来るのではないかと考えている。

近木圭之介(旧号:黎々火)は明治45年生まれの俳人、詩人、画家である。山頭火が山口県小郡町の其中庵に入居した昭和7年に「層雲」に加入。家が其中庵に近かった為、30歳も年下であったが、山頭火との親交が深く、有名な山頭火の「うしろ姿」の写真を撮ったのが圭之介である。その作風は長律から短律、詩性を尊重する短詩へと幾度も変化、進化させており、生涯七千句との由。平成21年、97歳で没するまで現役作家として活躍しており、荻原井泉水が明治末年に興した自由律俳句の継承者として貴重な存在である。

著作には「近木圭之介詩抄」「ケイノスケ句抄」「近木圭之介詩画集」「日没とパンがあれば」などがある。

執筆者紹介

  • 藤田踏青(ふじた・とうせい)

筆者は昭和24年生の団塊の世代。攝津幸彦氏と同じ大学の2年後輩であるが、在学中は氏との接触無し。昭和52年に「層雲」に参加。平成16年より俳句、川柳、一行詩のコラボレーションを企図し、短詩型交流句会「でんでん虫の会」を主宰。平成22年に自由律俳句の復権を目指し、各結社、グループの枠を超えた懇話会「自由律句のひろば」を発足。

現在「層雲自由律」「豈」同人、「でんでん虫の会」代表、「自由律句のひろば」世話人。

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